また、出会う



「ねえすず。ここから離宮って遠いのかな?」

「あら。かれたいのですか? 近いですよ」

「! 愚闇、行っても良い?」

「良いんじゃないですかね。主殿には近づかないよう言われてますけど」

「やった」

「ふふ。いってらっしゃいませ」


 すずに見送られた沙夜が、愚闇ぐあんと歩く廊下には、人が見当たらない。

『果ての宮』と揶揄やゆされているぐらいのこの場所は、女官たちがいる皇城すぐ裏の主殿から、かなり遠いところに位置している。


 皇城には外堀や天守閣があり、通常の執務は城の中で行われている。

 皇帝と皇太子の居住区(寝所)である後宮には、一握りの限られた高官と女しか入れない。

 

 後宮には主殿と呼ばれる、皇帝や皇太子が主に過ごす場所の他、皇妃や女官の数だけ色々な建物がある。それらはいわゆる寝殿造のように、屋根があって外壁のない、板張りの廊下で繋がっており、大きな中庭をぐるりと囲うことから『回廊』と呼ばれている。広すぎて迷う。


 沙夜のいる『夜宮よるのみや』は北側の端に位置し、離宮にもほど近い。


「みんな部屋に籠っていて平気なのかな? 暇じゃない?」

「ははは。確かに」

「わん」


 後宮の女たちは、基本それぞれの部屋で過ごす。日がなおしゃべりをしたり、手紙を書いたり、楽器を弾いたりしているのが常なのだそうだ。

 村で忙しく働いていた沙夜にとっては、あまりに退屈で耐えられない。

 そのため愚闇と玖狼と共に散歩するのが日課となり、また自然と、魅侶玖みろくと出会った離宮の庭が心安らげる場所になった。


 そんな、ある日のこと。


 離宮まで散歩にやってきた沙夜は、池の前にしゃがみこんでいる、小さな背中を見つけた。

 ねずみ色の水干すいかん姿で、灰色の髪は肩につくぐらいの長さだ。

 いつも誰もいないのにな、と沙夜が考えていると

 

「誰だ」


 すかさず愚闇が鋭い声を発した。

 驚いたのか、小さな肩がびくりと跳ねた後で尻もちを突いたので、沙夜が慌てて駆け寄り、

「だいじょうぶ!?」

 と声を掛けると

「沙夜っ、じゃなかった、夜宮よるのみやさま! 迂闊うかつに近づいては」

 焦る愚闇。

 

「だって、転ばせちゃったもの」


 灰色の少年は、そっと背中に手を添える沙夜を見上げてふふっと笑う。


「びっくりしたあ! さよ?」

「はい」


 返事をした瞬間、ずんと腹の奥が沈んだ気がして思わず息を呑んだ。少年はそんな沙夜に

「そうかんたんに、へんじしたらだめだよ」

 と眉尻を下げて言った。

 

「しまっ」


 愚闇が絶句するのを背後で感じながらも、沙夜はそのまま少年の手を持って、立たせてやる。


「そうなんだ。知らなかったわ」

「ふふふ」


 ぱんぱん、と片手でお尻を叩いて砂を払う彼の目は――白く濁っていた。


「目、見えないの?」

「みえるよ」

「ああ、良かった!」

「やさしいなあ、さよ。きにいったよ」


 にこにこと笑いながら

「ぼくは、ハクだよ」

 と言ったその名を、復唱する。

「ハク」

「うん」

 手を繋いだまま苦笑する彼は

「そこのからす。そう、けいかいするな。ぼくだよ」

 愚闇に告げる。

「!」

「おろかなが、おおきくなったね」

「あ……なたさまは……」


 ハッと我に返った愚闇が、即座に地面へ片膝を突いてこうべを垂れる。

 

「さよがこわがるだろう。たって」

「は」

「ハク? 愚闇がひな、ってどういう」

「からすてんぐだからね」

「へ?」


 言われた沙夜がバッと振り返ると、愚闇の背中からは黒い大きな翼が生えていた。


「ですね」

「烏天狗ぅ!?」

「しらなかったの。それはわるいことしたかな」

「いいえ。寝ずの番を心配されるので、いつ言おうかと思っていたところです。というわけで、オイラは寝なくて平気ですからね?」


 

 えええええ!!


 

「ギーは、げんき?」

「お元気でいらっしゃいます」

「よかった。そとにでたのひさしぶりだから。いろいろきかせて」

「は!」


 沙夜の目は、限界まで見開いたままだ。だんだん目の表面が乾いてきても、衝撃のあまりまぶたを閉じられない。


「さよ。そこ、すわろ?」


 離宮の縁側に促されても、一歩も動けない。


「てことは、ま、さか、ギー様も」


 ようやく絞り出した声に

「なまえとみためで、わかるだろう?」

 のんびりと答えられた。

 

「いやいや、いやいや!」

「あはは! さよ、おもしろい!」


 無邪気に引っ張られて、ようやくすとんと縁側に尻もちを突いた。


「愚闇!?」

「はいはい。オイラたちは、人間と共に暮らすなのですよ」

「ってことは、他にもいるの!?」

「まあ。多くはないですけどね」


 ハクがにこにこしながら、沙夜の横で白湯さゆでも飲もうと言うと、目の前に湯気の立つ椀が現れる。


「どうぞ。へんなものは、はいっていないよ。ね、ぐあん」

「はい。ハク様の『おさゆ』は縁起物にございます」


 

 脳みそが全然ついて行かないまま、とりあえず、飲んだ――美味しかった。



 

 ◇ ◇ ◇

 



のにおいがしたから、しんぱいしてたんだけど」


 縁側で足をぷらぷらさせるハクが言う。


「けしてくれてありがとう、さよ」

「え!? いいえ、その、夢中で」

「うん。からだへいき?」

「はい」

 

 白く濁った目で、じっと目を覗きこまれた沙夜は、無駄にドキドキしている。

 少年の顔であっても、非常に整った顔立ちで鼻筋が通っていて、唇は赤い――と圧倒された。


「うーん。むりしたらだめだよ。だから」

「えっ何が!?」

「あれ。しらないの?」


 沙夜は早口で、村があやかしに食われたため、祖母の遺言に従い皇都に来て愚闇に助けられ、魅侶玖みろくにいきなり更衣に召し抱えられたことを話した。


「わー。たいへんだねー」


 ハクはにこにこと棒読みで白湯をすする。


「ハクも、もののけ?」

「まあね。きになるだろうけど、ぼくがなにかは、いえないんだ。ごめんね」

「そう……わたしの中の、なにが起きたの? わたしがあやかしを消したのよね?」

「うーん。いえない。けど、さよが、けした」


 沙夜は、ふーっと大きく息を吐いて椀を持った手を膝に乗せた。

 愚闇が玖狼と並んで、庭から心配そうに見ている。

 

「ばあばがここに導いたからには、何かあるとは思っていたの」

「うん」

「いつかは、分かる日が来る?」

「うん」

「そっか」


 ハクはにわかに真剣な顔をして、

「それまでこのおまもりは、けっしてはずしてはいけないよ」

 沙夜の左手首の組紐をそろりと触る。

 すると、身体が温まってきた。

 

「ばあばにも、同じことを言われた……」


 ポカポカと元気づけられるような気持ちになることが、不思議でならない。

 

「そっか」

「ねえハク。またここに来てもいい?」

「もちろんいいよ。あえるかは、わからないけど。あとぼくのことはだれにもいってはだめだよ」

 


 それでも、ハクといる時間が心地よかったので、素直に頷いた。

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