亡国の国宝
腹違いの思惑
沙夜が「今日から
後宮には新たな部屋ができ、「
皇妃もしくは皇太子妃候補として後宮へ
更衣というのは、その女御に次ぐ位置づけだと聞いて、沙夜は
更衣となると専用の部屋が与えられ、部屋には名前が付き、以降は個人の名ではなく部屋の名で呼ばれるようになる。
身の回りの世話をする侍女までつけられ、つい最近までただの村娘だった自分にとってあまりにも大きすぎる変化に、一体どうしろと! と首をひねるばかりである。
しかも、女性には全く興味がないと
ギーが状況を
「今はなにかと物騒でなぁ。侵入したあやかしのこともあるし、護衛をつけよう」
と言ってきたぐらいである。
当然、沙夜は驚く。
「護衛!?」
「ふくく。見知った者が良いよなぁ」
そうして紫電二位が笑いながら指名したのは――
「ねえ
「くぅ~ん」
「えーっと、
「仲良くはない! 呼ばれ慣れないから名前がいい! 敬語やめてーーーーー!」
「はっは。ご命令とあらば」
「命令って!」
通常女しか入れない後宮だが、暗黙の了解で護衛(と監視)のため
とはいえ堂々と歩ける男性は高官のみなので、愚闇が表立って歩けるよう、魅侶玖の要望として押し通したのはギーだ。
それについては心強くありがたかったが、更衣は愚闇の階級より上なため、配下として扱わなければならない。
一瞬でそんなことになるだなんて、と沙夜は切なく思ったのだった。
◇ ◇ ◇
ようやく落ち着いて身支度ができるようになった、ある朝のこと。
鏡台の前で侍女のすず――二十五歳で年上だからと、沙夜が『おすずさん』と呼んだらこっぴどく叱られた――に整えられながら、他愛もない会話をしていた。
武家出身のすずは、公家の人々とは違って嫌味もなくさっぱりとした話しやすい女性である。
これもまたギーの采配だと聞いてホッとした沙夜は、それでも
「愚闇もすずも、私みたいな村娘に従うのって、嫌じゃない?」
と聞いてしまう。
「まあ!
「ちょうきなんかじゃないってば!」
部屋の名前で呼ばれるのも、何かと魅侶玖のお手付きみたいに言われるのも、沙夜にとってはなかなか受け入れがたい。
「ひひひ」
「んもー愚闇、笑ってないでなんとか言って!」
「
「ちーがーうー!」
「おん、おん!」
「玖狼~! わたしの味方は玖狼だけだよ~」
「わん!」
縁側の
「
お迎えが来た。
「はい」
未だに着慣れない
後宮主殿近くの小部屋で、今や大嫌いになった時間が始まるため、大げさなぐらいの気合いが必要なのだ。
「
「げ……はい」
キッ。
音が鳴るぐらい睨んでくる
平民が更衣になるのは異例中の異例。当然沙夜は、家で習ってしかるべき基本すらも全く知らない、ド素人だ。
「……すみません」
そんな侍女長も、沙夜には護衛として愚闇が常に付き従っているため、すずいわく「これでも大人しい方」らしい。
沙夜が、あれで!? と驚いたら、すずはコロコロと笑いながら「何人もいじめ抜いて、辞めさせているのですよ」とそら恐ろしいことを言った。
強制的に女官として必要な勉強の時間を入れられ、環境に慣れるのに必死のうちに、あっという間に時が過ぎていく。
毎日もたらされる気苦労と肉体疲労が、祖母の遺言や離宮で見たあやかし、それを自分が消したかもしれないという事実から、目を
――その間、皇城内では当然、さまざまな陰謀や欲望が渦巻いていたのだが。
◇ ◇ ◇
「なぁんだ。ただの田舎者じゃないか」
その、宵。
沙夜が自室で文字の練習をしていると、唐突にそんな言葉を投げかけられた。
いきなりそのようなことを言われて、
「どなたです?」
「僕のこと知らないの? やっぱり平民の、どこの馬の骨とも知れない小娘だねえ」
その男性は、許しもなくずかずかと敷居をまたいで部屋に上がり込んでくる。
「ちょ!」
非常識な振る舞いではあるものの、気づくと愚闇もすずも畳に額をこすりつける勢いで座礼していた。かなり高位の人物なのは確かだ。
その証拠に、金糸を贅沢に使った刺繍の、
仁王立ちのまま、彼は「これ」と持っていた
「
あ、嫌い。
「慣れぬゆえ、ご無礼をお許しください」
沙夜はすかさず、きちんと膝ごと向き直ってから頭を下げた。三つ指を突いて、三角になるように――と侍女長のお小言が思い出されて余計に
「いいよ」
目を伏せたまま、ゆっくりと上体を起こす沙夜の前に片膝を突いて、彼は笏の先で
「うーん。とりたてて美人でもなし。兄者はお前の何が良かったのかな?
兄者ということは、こいつが噂の第二皇子だと確信し、口を開く。
「
沙夜の部屋は主殿から最も遠い場所にあるため、『果ての宮』と
目的地としない限り、来られるような場所ではない。
「……ふうん」
す、とようやく笏を下ろされ、沙夜の顎も落ちる。
まだ目は合わせず畳の
「
言われてようやく、目線を合わす。
真正面から見据えた龍樹は、美少女と
立烏帽子から胸元まで下りている黒髪は、つややか。その目の色は、少し赤みがかったとび色で、着物とよく合っていた。白磁のような肌に、華奢な手首。自分よりよっぽど美人だと思った沙夜だが、その口角に性格の悪さがにじみ出ているのを残念だとも思う。
魅侶玖とは、骨格から仕草まで似ても似つかない。そういえば、腹違いと言っていたなと思いだす。
この人きっと、性根が歪んでいる。こんなに綺麗なのに、もったいない。
「多少は言葉が通じるみたいだから、聞くけど。……どうやって、取り入った?」
そのひん曲がった口角が、どろりとした感情を乗せつつも柔らかな声を発する。耳心地の良い、軽やかな音だ。歌でも詠んだら、誰もが耳を傾けるに違いない。
「取り入る、とは」
「そのまんまだよ。兄者は身も心も固いからね。どのような
「足を、拭きました」
「え?」
「わたくしは離宮のお掃除番でした。殿下の
「兄者の足を、拭いた?」
「はい」
「それで
「はい」
きょとんとした後で、
「それを、誰が信じると思う?」
憤った様子を隠しもせず、龍樹は問うが
「事実です」
沙夜は、負けなかった。
――あやかしのことは、黙っておこう。絶対その方がいい。
しばらくじっと沙夜の目を見据えてから
「まあいいや。君の顔覚えたからね、
捨て台詞を吐き、ようやく去っていく背中に
「恐悦至極に存じます」
沙夜は深深と座礼をしながら、言葉を投げた。
第二皇子までわざわざ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます