亡国の国宝

腹違いの思惑



 沙夜が「今日から更衣こういだ」と言われてから数日後。

 後宮には新たな部屋ができ、「夜宮よるのみや」と名付けられた。

 

 皇妃もしくは皇太子妃候補として後宮へ参内さんだいする、公家くげや上流階級の子女がなる女御にょうごという身分がある。

 更衣というのは、その女御に次ぐ位置づけだと聞いて、沙夜は眩暈めまいのする思いだった。皇帝の服を着替える(更衣)のを手伝うために、寝所しんじょに入る権限を持つ女官である。寝所に入るとはつまり……と思い至ってからは、ずっとクラクラしている。


 更衣となると専用の部屋が与えられ、部屋には名前が付き、以降は個人の名ではなく部屋の名で呼ばれるようになる。

 身の回りの世話をする侍女までつけられ、つい最近までただの村娘だった自分にとってあまりにも大きすぎる変化に、一体どうしろと! と首をひねるばかりである。

 

 しかも、女性には全く興味がないとささやかれていた第一皇子(!)である魅侶玖みろくの指名(!!)、ということで、図らずも沙夜の存在が皇都中に響き渡ってしまった。

 ギーが状況をおもんぱかって

「今はなにかと物騒でなぁ。侵入したあやかしのこともあるし、護衛をつけよう」

 と言ってきたぐらいである。

 当然、沙夜は驚く。

 

「護衛!?」

「ふくく。見知った者が良いよなぁ」

 

 そうして紫電二位が笑いながら指名したのは――

 

「ねえ愚闇ぐあん、どうしてこうなったの!?」

「くぅ~ん」

「えーっと、夜宮よるのみや様が殿下と仲良くなって、かつ、あやかしを消したからですね」

「仲良くはない! 呼ばれ慣れないから名前がいい! 敬語やめてーーーーー!」

「はっは。ご命令とあらば」

「命令って!」


 通常女しか入れない後宮だが、暗黙の了解で護衛(と監視)のため黒雨くろさめは普段から配備されている。

 とはいえ堂々と歩ける男性は高官のみなので、愚闇が表立って歩けるよう、魅侶玖の要望として押し通したのはギーだ。

 それについては心強くありがたかったが、更衣は愚闇の階級より上なため、配下として扱わなければならない。

 一瞬でそんなことになるだなんて、と沙夜は切なく思ったのだった。


 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ようやく落ち着いて身支度ができるようになった、ある朝のこと。

 鏡台の前で侍女のすず――二十五歳で年上だからと、沙夜が『おすずさん』と呼んだらこっぴどく叱られた――に整えられながら、他愛もない会話をしていた。

 

 武家出身のすずは、公家の人々とは違って嫌味もなくさっぱりとした話しやすい女性である。

 これもまたギーの采配だと聞いてホッとした沙夜は、それでも

「愚闇もすずも、私みたいな村娘に従うのって、嫌じゃない?」

 と聞いてしまう。

 

「まあ! 夜宮よるのみや様ったら。魅侶玖親王しんのう寵姫ちょうきに仕えるだなんて、望外の喜びなのですよ」

「ちょうきなんかじゃないってば!」


 部屋の名前で呼ばれるのも、何かと魅侶玖のお手付きみたいに言われるのも、沙夜にとってはなかなか受け入れがたい。

 

「ひひひ」

「んもー愚闇、笑ってないでなんとか言って!」

寵姫ちょうきじゃないんです?」

「ちーがーうー!」

「おん、おん!」

「玖狼~! わたしの味方は玖狼だけだよ~」

「わん!」

 

 

 縁側の三和土たたきにいる玖狼の横に座り直し、撫でながらねていたら

夜宮よるのみや様。お時間にございます」

 お迎えが来た。

「はい」


 

 くしすら通らなかった髪の毛は、動くたびにサラサラと音を立てるようだ。肌も手も整えられて、まるで別人だと自分でも思う。

 未だに着慣れないうちきの襟元を引っ張って正し、内袴うちばかまの裾を踏みそうになりながらも「えいっ」と立ち上がった。

 

 後宮主殿近くの小部屋で、今や大嫌いになった時間が始まるため、大げさなぐらいの気合いが必要なのだ。

 

 

夜宮よるのみや。今日はお作法である」

「げ……はい」


 キッ。

 

 音が鳴るぐらい睨んでくる侍女長じじょちょうは、不満な態度を隠そうともしない。

 平民が更衣になるのは異例中の異例。当然沙夜は、家で習ってしかるべき基本すらも全く知らない、ド素人だ。


「……すみません」


 ても仕方がないと思えるのは、彼女が公家くげ出身だからだ。自尊心が高く、細かい嫌がらせもしてくる。身分や出自は努力でもどうしようもないものであるからして、耐えるしかないと思っている。

 

 そんな侍女長も、沙夜には護衛として愚闇が常に付き従っているため、すずいわく「これでも大人しい方」らしい。

 沙夜が、あれで!? と驚いたら、すずはコロコロと笑いながら「何人もいじめ抜いて、辞めさせているのですよ」とそら恐ろしいことを言った。


 

 強制的に女官として必要な勉強の時間を入れられ、環境に慣れるのに必死のうちに、あっという間に時が過ぎていく。

 毎日もたらされる気苦労と肉体疲労が、祖母の遺言や離宮で見たあやかし、それを自分が消したかもしれないという事実から、目をらさせていた。

 

 

 ――その間、皇城内では当然、さまざまな陰謀や欲望が渦巻いていたのだが。




 ◇ ◇ ◇



 

「なぁんだ。ただの田舎者じゃないか」


 その、宵。

 沙夜が自室で文字の練習をしていると、唐突にそんな言葉を投げかけられた。

 

 いきなりそのようなことを言われて、いらつかない人がいたら教えて欲しい――と思いつつ顔を上げると、敷居の向こうに見覚えのない男が立っていた。沙夜はこの部屋を訪れる者はいないからと、几帳きちょうもせず開け放っている。部屋から廊下、そして中庭まで筒抜けなのが災いしたかもしれない。丸見えだからだ。


「どなたです?」

「僕のこと知らないの? やっぱり平民の、どこの馬の骨とも知れない小娘だねえ」

 

 その男性は、許しもなくずかずかと敷居をまたいで部屋に上がり込んでくる。


「ちょ!」


 非常識な振る舞いではあるものの、気づくと愚闇もすずも畳に額をこすりつける勢いで座礼していた。かなり高位の人物なのは確かだ。

 その証拠に、金糸を贅沢に使った刺繍の、みやび紅花べにばな色の束帯そくたいを着ている。紅花、ということは――皇族だ、とようやく沙夜は思い至った。


 仁王立ちのまま、彼は「これ」と持っていたしゃくで座っていた沙夜の脳天をぽんと叩く。


が高いぞ」



 あ、嫌い。



「慣れぬゆえ、ご無礼をお許しください」

 

 沙夜はすかさず、きちんと膝ごと向き直ってから頭を下げた。三つ指を突いて、三角になるように――と侍女長のお小言が思い出されて余計に苛々いらいらするが、耐える。


「いいよ」

 

 目を伏せたまま、ゆっくりと上体を起こす沙夜の前に片膝を突いて、彼は笏の先であごを持ち上げる。それでも沙夜は目は伏せたままだ――こうして煽るのは、何か目的があるのかもしれない、と気を引き締める。


「うーん。とりたてて美人でもなし。兄者はお前の何が良かったのかな? ねやが得意とか?」


 兄者ということは、こいつが噂の第二皇子だと確信し、口を開く。


龍樹りゅうじゅ殿下。このような場所までわざわざご足労を賜り、光栄に存じます」


 沙夜の部屋は主殿から最も遠い場所にあるため、『果ての宮』と揶揄やゆされているぐらいである。

 目的地としない限り、来られるような場所ではない。

 

「……ふうん」


 す、とようやく笏を下ろされ、沙夜の顎も落ちる。

 まだ目は合わせず畳のへりを見つめたままにすると、ふわりと座るころもに包まれた膝が目に入った。

 

夜宮よるのみやおもてを上げよ」


 言われてようやく、目線を合わす。

 

 真正面から見据えた龍樹は、美少女と見紛みまごうほどの美貌を誇っていた。

 立烏帽子から胸元まで下りている黒髪は、つややか。その目の色は、少し赤みがかったとび色で、着物とよく合っていた。白磁のような肌に、華奢な手首。自分よりよっぽど美人だと思った沙夜だが、その口角に性格の悪さがにじみ出ているのを残念だとも思う。

 魅侶玖とは、骨格から仕草まで似ても似つかない。そういえば、腹違いと言っていたなと思いだす。



 この人きっと、性根が歪んでいる。こんなに綺麗なのに、もったいない。

 

 

「多少は言葉が通じるみたいだから、聞くけど。……どうやって、取り入った?」

 

 そのひん曲がった口角が、どろりとした感情を乗せつつも柔らかな声を発する。耳心地の良い、軽やかな音だ。歌でも詠んだら、誰もが耳を傾けるに違いない。

 

「取り入る、とは」

「そのまんまだよ。兄者は身も心も固いからね。どのような手練手管てれんてくだを使ったのか、興味があって」

「足を、拭きました」

「え?」

「わたくしは離宮のお掃除番でした。殿下の御御足おみあしが大層汚れていらっしゃったのを、たまたま見つけたのです。そうしたら、気が利くと」

「兄者の足を、拭いた?」

「はい」

「それで更衣こういに召し抱えられたって、そう言うの?」

「はい」


 きょとんとした後で、

「それを、誰が信じると思う?」

 憤った様子を隠しもせず、龍樹は問うが

「事実です」

 沙夜は、負けなかった。

 


 ――あやかしのことは、黙っておこう。絶対その方がいい。


 

 しばらくじっと沙夜の目を見据えてから

「まあいいや。君の顔覚えたからね、夜宮よるのみや

 捨て台詞を吐き、ようやく去っていく背中に

「恐悦至極に存じます」

 沙夜は深深と座礼をしながら、言葉を投げた。



 第二皇子までわざわざ夜宮よるのみやを訪れた、と後宮に知れ渡り――沙夜はますます肩身の狭い思いを味わうことになった。

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