第34話 人心掌握人たらし

 いつもの空しか見えないオレたちは、それでも嬉しくてハイタッチした。


 その直後だった。「ピピー」という電子音。

 嫌な予感がした。音がした方向は今日は無人のはずの工場。

 制御装置の元へ行く。心配した通り、電子音を出していたのは制御装置だった。点検してリセットしろと表示されている。そして、さっきはどばどばと湯気を立てながら出ていた排水が出ていない。予備の配管から排水が出ていないということは、本流の温室への配管の排水も止まっている。


 もういくつ目の関門なのか数えきれない。


 温室には熱帯の植物がある。イグアナも派手な鳥もいる。変温動物のイグアナはかなり低音になっても問題ないと知っている。派手な鳥は、分からない。気温が下がったらヤバいかもしれない。



「やめよ。

 もう大丈夫だって」



 オレは言った。たぶん大丈夫な京と絶対苦しむ派手な鳥を天秤にかけた。

 そんなオレの気持ちを察したのはミナトで。



「撤収しよ。生き物の命、最優先」



 そう言ってくれた。


 配管から外してあった蓋をきっちり嵌める。2箇所のバルブを閉めて元通りにし、リセットボタンを押す。



「ごめん、ももしお。京のこと、ちゃんと守りたいよな?」



 京を守りたいと最初に言ったのはももしおだった。



「へーき。京くん、想像以上に強い子だから」



 それは同感。人前で大人の思惑を無視してケンカを売るような発表をした。頭の中で、両Vサインをくいっくいっと曲げる姿がフラッシュバックした。うん。アイツは強い。


 それでもオレは、くよくよ心配した。服の下にカビと使い捨てカイロを仕込んだ京がいる付近では、陽キャ大臣のスマホは繋がらない。けれど、繋がる場所を求めて京から離れて歩き回ったら? 窓を開けたら? その時もう、発生した胞子が風でどこかへ飛ばされた後だったら? 陽キャ大臣がテンプレート通りに行動しなかったら? 写真を撮っておき、ネットに繋がる場所でSNSにアップする可能性だってある。大人の前ではその場でSNSにアップして写真に写った人に合意を求めていても、京は子供。京の合意なんて取らないかもしれない。



「宗哲クン」



 つんっと、ねぎまに頬をつつかれた。



「ん?」


「お片付け」



 そっか。撤収ってのは、逃げるだけじゃない。美しく去ること。



「え”ー、するのぉ?」



 ももしおはぶーたれた。いるよな、こーゆーガキ。作るのは楽しいけど片付けるのはメンドイってヤツ。それでもももしおは、落ち葉の上の自転車を取りに行った。

 ミナトはすでに制御装置にぶら下げるように固定した雨樋もどきを外している。

 まだ側溝の蓋から湯気が出ているから、カビのテープは最後に外すことにした。土嚢を一輪車に乗せて運ぶ。ゴミ袋を回収。雨樋もどきはももしおとミナトが元の位置に戻した。


 試行錯誤しながら造るときは時間がかかったが、片付けるのは早かった。


 屋上に貼ったカビのテープは回収不可能。戻ったら危ない。太陽光発電のメンテナンスのときに誰かが気づくだろう。貼ったのはパネルの縁の部分。誰も気づかない可能性もある。

 会議室に貼ったカビのテープは……。ほとぼりが冷めたころに会議室をレンタルして、回収しようか。


 片付けはほぼ終了。オレは目隠しにしていたガードフェンスを戻す。足の部分にローラーがついていて、運ぶのが簡単。オレたちの姿を視界に入れている人たちはいるが、堂々と作業していたからか、何も言われなかった。4人ともイベントスタッフに見えたのかもしれない。



 ガラガラガラ



 最後のガードでンスを運んでいるときだった。道路の向こう側辺りに子猫がいる。ミケ。なんか拾い食い中? その子猫を引き戻そうと母猫が道路へ向かって歩いていく。

 その時、車の音がした。黒塗りの車が突っ込んでくる。危ないっ!

 走った。



 しゅっ

 ガラガラガガーーーーーッ



 走るオレの横をガードフェンスが追い抜く。え?

 ガードフェンスに乗っていたのはももしお。まるでウインドサーフィンのごとくガードフェンスを操る。ガードフェンスは下水へ引き込む側溝の上を滑る。猛スピード。歩道を華麗にジャンプ。さっと母猫を攫って道路を横切る。



 ガッシャン

 キキーーッ


 

 セーフ。

 ガードフェンスが音を立てて道路の向こう側に倒れ、黒塗りの車が急ブレーキを踏む。


 バタンとドアの音がして、黒塗りの車からスーツ姿の男が2人出てきた。辺りを見て、1人の男がガードフェンスをかもめプラザホール側に戻す。その素早くムダのない動きに心臓がバクバク言う。

 オーマイガッ。ももしおがいない!



「猫とフェンスです」



 もう1人の男が報告する。

 ガードフェンスで死角なっていたももしおは、運転席からは見えていなかった。ヨカッタ。

 と、車から陽キャ大臣が降りてきた。

 陽キャ大臣は、ももしおが向こう側の歩道に運んだ母猫を「よいしょ」と抱き上げる。子猫たちが道路を隔てて「にゃーにゃー」と母猫を呼ぶ。はぐれていたミケも「にゃーにゃー」鳴きながら陽キャ大臣について歩く。



「君たちのお母さん? ごめんね。びっくりしたね」



 陽キャ大臣は子猫たちに話しかけ、そっと母猫をかもめプラザホール側の歩道に下ろした。子猫らを撫でた後、母猫を抱っこ、男の1人に自分のスマホを渡す。記念撮影。スマホが戻ってくると、なぜか、かもめプラザホールの建物も写真に収めていた。

 車から降りた秘書らしき男が声をかける。



「大臣、予定時間がかなり過ぎております」



 そして、黒塗りの車は走り去った。



「ももしお!」



 オレは道路の向こう側に走った。どこだよ。またかよ。ねぎまもミナトも駆け寄ってくる。


 ……。

 

 いたし。

 

 ももしおは側溝にピッチリとはまっていた。両手を上げてI字型。晴天続きで側溝の底が乾いていたからよかった。それでも、ねぎまが抱き起こすと服はグレーに汚れていた。髪も白髪状態。マジでアホ。




 テープを剥がす作業が目立ちそうだと話していたとき、京が来た。



「祖母がお礼を言ってこいって。

 ありがとうございました」



 照れくさいのか、ばーちゃんを使う。



「陽キャ大臣とはどーだった?」



 ももしおが尋ねると、京は明るく笑って親指を立てた。



「すっげーカッケー人でした。

 オレのこと、大人みたいに『成田さん』って呼んでくれて。

 小学校でどんな環境問題に取り組んでるかって話して。

 世界の中の日本を考えてほしいって言われました。

 握手しました」



 京は思い出すように自分の右手を見る。



「電気畑のことや喫煙所の写真のこと、なンか言われた?」



 ねぎまは不安気。



「ぜんぜん。

 25日間も、精神的にタフだって言われました。

 『私も成田さんみたいに頑張ります』って

 そのとき、握手したんです」



 さすが政治家。人心掌握の人たらし。



「よかったじゃん」



 オレも京に親指を立てた。



「その後、校長先生も一緒に3人で写真撮って」



 おっと、そこが肝心。



「SNSにアップしようとしてた?」


「ぜんぜん」



 発表を見て判断したんだ。

 ミナトは微笑んだ。



「よかったね」


「校長先生は自分のSNSにアップしようとして、繋がらないって困ってました」



 京がイタズラっぽく笑う。校長がSNSにアップしたところで問題ない。強いキャラと写真撮りたかっただけだから。クラウド事業やヒートアイランドについて言及することはない。何より、メディアが取り上げない。


 そこで別れようとすると、京の友達がわらわらとやってきた。京は友達に言う。



「あのさ、このテープ、剥がすの手伝ってくんない?」


 

 なんて気が利くガキんちょなんだ! オレが小6の女子だったら「ステキ♡」ってなってる。カビのテープはあっという間に剥がされた。


 テープを剥がしているとき、オレは聞いてしまった。京と京のカノジョとの会話を。



カノジョ『探したんだよ。スマホ繋がらなくて。心配だったよ』


京『じゃ、そばにいるよ』


 

 モテる男はスキルを磨き、モテ街道をまっしぐら。参考になりました、京師匠。さっそく使わせていただきます。ねぎまに。



「スマホ繋がらないって、なんか不安だよな」



 あれ? こっちのセリフ、オレが言ったらダメなんじゃね?



「うん。そだね」



 お、これで言える。



 ぽよん



「じゃ」と口に出す前にももしおがねぎまの胸に顔を埋めた。



「だいじょーぶ! マイマイのそばにいつもいるから♡」


「そだね、シオリン。うふっ」



 くっそう、ももしお。




 「繋がらない」という人々の声を耳にしながら、かもめプラザホールを後にした。

 骨折った割に、結局は京が自分の力でクリアしたんだよな。それを言うと、ミナトは「ちげー」と言う。



「オレらの気持ちが京くんを動かしたんだって」


「ホントにそーなんだよ、宗哲クン。直前でね、発表用のデータ、作り直したの」



 とねぎまが教えてくれた。



「知ってたのかよ」


「どう作り直したかは知らなかったから。ね、シオリン」


「うん」


「『京くんの研究は京くんのもの』ってシオリンが言ったから。

 やっぱシオリンは、正義のヒーローだよ」



 ねぎまが称賛する。

 全面的に正しいとは言い難い、子供側から見た正義。

 ヒロインじゃね? ま、いっか。

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