第35話 他のお客様にご迷惑です




「陽キャ大臣がお祭りの記事をSNSにアップしたら、確実なんだけどなー」



 使い捨てカイロとカビのテープを脱ぎ捨てたねぎまが伸びをする。4人とも、やっと秋の涼しさを感じられるようになった。



「まだスマホ、繋がんないね。服の繊維とか髪とか皮膚にもきらきらした胞子、ついちゃってんのかな」



 ももしおは、ぶるんぶるんと犬みたいに頭や体を振る。



「生レンレン、不便だったんだな」



 ミナトは気の毒そうに言った。



「温室の温度、どうなってんのかな」



 オレは熱帯の植物と派手な鳥が心配でたまらない。ねぎまから勅使河原さんに連絡して欲しい。温度はどれくらい鳥の命に関わるのか。リセットの後、ちゃんと暖房はされているのか。可能ならば、勅使河原さんに温室へ確認しに行ってほしい。ネットが繋がらないって困る。


 

「どっかで休も」



 ミナトの提案でお茶することにした。オレたちの遊び場はやっぱ横浜。空いていそうな店へ行く。入り口にあるアルコール消毒の容器を見て、突然、ねぎまは、



「ちょっと行ってくる、先に座ってて」



とスーツケースを置いて店を出て行った。しばらくして走って戻ってきたら、霧吹きを手にしていた。

 基本、ももしお×ねぎまは自分中心。テラスのあるスタイリッシュなカフェにも関わらず、きゃぴきゃぴと騒ぎ始める。



「それな!」



 ねぎまの手にある霧吹きを指差すももしお。さっそく開封。自分の席に置かれたコップの水を霧吹きの中にIN。



「はいはーい、バンザーイ」



 ねぎまの声に、ももしおは立ち上がってY文字ポーズ。それにシューシューと霧吹きで水をかけるねぎま。ももしおはくるくると回る。服の生地が水分でくてっとなりそう。終了すると、



 ぴょこん



 ももしおは自分の席に座ってスマホにサインイン。繋がらない。

 するとももしおは、オレたちを見て下唇を突き出した。つまり、オレたちのせいで繋がらないと。



 ぴょんぴょんぴょん



 ももしおはオレたちのテーブルから離れ、テラス席の方へ行く。しばらくすると、左手を腰に、右手のスマホを天に掲げる。繋がったらしい。

 


「きゃー! シオリン、やったぁ」



 ねぎまはぱちぱちと手を叩く。店内にいるカップルが何事かと注目する。恥い。やめろ。



 ぴょーんとテーブルに戻ってきたももしおは、霧吹きをねぎまにシューシューする。ねぎまも立ち上がってバンザイくるくる。おい、ももしお、ストップ。服が透けそう。

 今度はねぎまがテラス席の方へ行き、オレたちに向かって腕でマル。


 それを見たオレは立ち上がり、自分でシューシュー。次はミナト。オレがミナトの手に霧吹きを渡したときだった。1人の店員が能面のような顔でこちらに歩いてくる。ヤバい、騒ぎすぎた。店員がオレたちのテーブルの前で足をとめたのと、霧吹きを渡されたミナトが立ち上がるのは同時だった。



「お客様、他のお客様もいらっしゃ……」



 立ち上がって店員の方を振り向いたミナト。



「あ、すみ「いえ」」



 ミナトが謝罪の言葉を述べる前に、目をハートマーク ♡_♡ にした店員がそれを遮る。店員はミナトに最高の営業スマイル。



「お水をお持ちします」



 イケメンパワー恐るべし。



 オレはねぎまに、勅使河原さんに連絡してほしいと頼んだ。ねぎまは、温室への排水の制御装置が作動したことを話した。



「今はたぶん、元通りになってると思うんですけど。確認できないんです」


『オオハシ君たちならへーきだよ』


「大橋君?」


『オオハシ科の鳥がいるから、職場で鳥のことオオハシ君って呼んでるの。インコの方が多いんだけど』



 即ググった。オオハシのハシは嘴だった。おおー、これもいたいた。過去に停電で暖房が止まったことがあったが、低温を乗り切ったらしい。そして、温室を使う研究は現在されていないため、万が一暖房が切れても、会社の業務に支障をきたすことはないとのこと。通話を終了した後、ねぎまがオレに伝えてくれた。



「オオハシ君だちはきっと大丈夫」


「へー」


「よかったな、宗哲」


「オオハシ君見たーい」


 


 ももしお×ねぎま、ミナト、オレ、4人の中で1番図太いのがももしおで、1番繊細なのがミナトだと思う。ミナトは心労により、食後うとうとと寝てしまった。休日の飲食店での長居は申し訳ないが、ミナトの顔面の強さに免じて許してもらおう。


 日はとっぷりと暮れ、テーブルにはキャンドルが灯る。さすがのももしお×ねぎまも疲れたのか、テンション高めのお喋りはナシ。ももしおはパソコンに向かい、ねぎまはスマホ。オレは音楽を聴く。店に入ったのは17時前。現在19時ごろ。



「あ」



 スマホを見ていたねぎまが顔を上げた。声はミナトの睡眠を妨げない程度。



「どした?」


 

 突然。



「陽キャ大臣がSNSアップした」



 ねぎまはスマホをテーブルの中央に置いた。

 

『かもめプラザホールは私の政治家人生の起点です。

 猫の親子と記念撮影。

 P.S.ネット環境が悪かったのですが、やっと繫りました』


 写真はかもめプラザホールが1枚、母猫を抱っこし、地面に子猫がいる写真が1枚。



「っしゃあ!」



 オレは思わずガッツポーズ。ミナトが起きてしまった。



「……ん。あふぁ」


「おはよ。ミナト君、京くんの記事、ないよ」



 ねぎまが報告。



「マジで。おおー」



 ミナトはテーブルの中央にあるスマホをタップする。記事には早くもイイネがつき始めている。さすがSNS人気、政治家トップ。



「なんかさ、赤ちゃんみたいにブタ猫抱いてね?」



 陽キャ大臣はしゃがみこんで、母猫の頭を自分の肩にもたれさせ、縦に抱っこしている。子猫が陽キャ大臣の膝に一生懸命登ろうとしている姿が愛らしい。



「ブタってゆーな。うんこ宗哲」



 おっと。気を抜いてブタ呼ばわりしてた。

 ねぎまは画面をスクロールして、前の記事を表示させる。



「朝はシャケとほうれん草のお浸しとTKGとわかめの御御御付け」



 庶民派アピールばっちり。

 予想は、ごはん、京、祭りだった。それが、ごはん、猫、祭りになりそう。



「あれ? なんでスマホ、繋がらなかったんだろ。

 京に会ったから?

 え、でも、そんなに長い時間じゃねーじゃん。

 でさ、いきなり今繋がってんの、なんで?」



 不思議すぎる。午前中、服の下にカビのテープを仕込んでいたももしお×ねぎまの近くにいたときは確かにスマホが繋がらなかった。でも、離れたら繋がった。繋がりにくかったけどさ、とりあえず。ミナトもオレも、ももしお×ねぎまとずっと行動を共にしていた後だった。


 例えば、陽キャ大臣がカビの胞子を纏っていたとしよう。そうすると、それはそれで、ケースが異なる。生レンレンは1日半ほどネットが繋がらないと言っていた。今、オレたちは霧吹きで水をかけて、やっとネットが繋がるようになった。


 なぜ、陽キャ大臣は今、ネットが繋がる? 早すぎる。



 しばらくすると、再び陽キャ大臣のSNSが更新された。


『今年も太鼓を叩きます』


 写真はハッピ姿の陽キャ大臣。



「着替えたから、繋がったんじゃね? あふぅ〜」



 寝起きのミナトはあくびをしながら、もう1杯コーヒーを注文した。



「ってことは、服に胞子がついてたってこと?」



 そうとしか考えられない。

 ねぎまは自分のスマホを手に取り、じーっと眺めている。



「にゃんこについてる。ほら、シオリンがつけたやつ」



 陽キャ大臣が抱く母猫の首をよく見ると、肉に埋もれながらも微かに見えるのは、カビのテープだった。オレは昨日、体に巻かれていたカビのテープは外したが、首の方は半分に折り曲げただけ。

 ももしおが画面を指差す。



「見て見て。肉球ちゃんが白い」



 母猫の足の裏の肉球が白い。おそらくカビのテープを踏んで肉球にカビがついた状態。陽キャ大臣は母猫を抱くことによって体にカビが付着してしまった。付着したカビは、陽キャ大臣の体温で胞子を飛ばした。


 ネットが繋がったのは、ミナトの言う通り着替えたからだろう。露出している首辺りは拭いたのかもしれない。



「あらら。じゃ、帰るとき自分の服に着替えたら、また繋がンないじゃん」



 言いながら、ミナトは届いた熱々のコーヒーにミルクを入れる。


 自分のスマホでも見てみた。母猫を抱いた陽キャ大臣の記事には、すでにコメントが寄せられている。


『湘 南太郎改め、湘 にゃん太郎ですね』

『にゃん太郎ちゃん可愛い』


 にゃん太郎ちゃん。そう言われるほど親しまれてるってことか。可愛い? にゃん太郎ちゃんの写真はただのじーさんとブタ猫にしか見えない。



 キャンドルが揺れる暗い店内。隣にはねぎま。紅潮していないねぎまは、白い肌と柔らかい微笑みでクールに見える。その空気に触れて自分も穏やかなふりをする。

 本当は、今日は頑張ったねってぎゅってしたい。心に負担がかかった割には無駄骨で。達成感を削がれた分だけぎゅってされたい。できればその胸に甘えたい。どーしよーもなく煩悩まみれ。


 そんな1日が終わっていく。




 このときはまだ知らなかった。オレたちがやったことが無駄じゃなかったって。




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