第33話 飛べ



 ももしおはテープが剥がれていないか最終確認をするためにレンタサイクルで小道を1周すると言う。歩いて1周すればいいのに。呆れた顔をしたのがねぎまに伝わった。



「シオリン、ウイリーができるようになったから、見せたいんだと思う」



 男子中学生かよ。今からコトを成すってときに、どこまで気楽なんだよ。オレなんか緊張して汗まみれなのにさ。……これはカイロのせい。


 1番テープが剥がれそうなのは人の出入りが多い正面玄関前。人は殆どいない。1組、TDLの袋を抱えた家族が出てきただけ。遠方からの参加者だろう。

 ミナトとオレは注意深くチェックしていく。ねぎまは海側へチェックに行った。


 ももしおは自転車を取りに行っている。アホか、急げ。京は千葉県代表。発表の最後の方。千葉、埼玉、神奈川、東京。続きは偉い人らの挨拶、授賞式、閉会。その後、会議室で京と陽キャ大臣が会う。


 自転車が止めてあるのは研究所前だから、ももしおがそちら方面のチェックをするだろう。

 ミナトとオレは、正面の部分のチェックを終えて、研究所と工場とは反対側のチェックに回った。ホールの周りにある小道を歩いていると、前方の海の方から声が聞こえた。


 

「すいません」



 男の声に胃がきゅっと縮む。呼び止められたのはねぎまだった。離れた場所でねぎまが男に振り向いている。



「はい」

 

「今日、ずっと、この辺にいるよね?」



 職質っぽいやつ? オレたちがこそこそとガードフェンスの辺りで何かやってたのを見てた? 男はスーツ姿。日曜日のお父さんじゃない。



「はい」



 テープを貼りった側溝から離れようと思ったのか、ねぎまは展望台への階段に進もうとする。



「オレ、イベントバイトで来ててさ。ね、ね、ね、時間あるなら、終わってから横浜のいいとこ案内しよっか? 友達が車で迎えに来るんだわ。君とさ、もう1人いたじゃん。かわいー子」



 ナンパかよ。ももしおのことじゃん。てか、オレらもいるし。



「いーです。失礼します」



 ねぎまは、展望台へ逃げながら、はっきりきっぱり断った。ナンパ男がねぎまを追って展望台へ駆け上がる。

 と、そこへ第2弾。



「そこの君」



 妙に張りのある口調。聞こえたのは展望台から。



「はい」



 返事をしたのはナンパ男。声の主は見えない。誰?



「ここで何をしている」



 声の厳しさにウミネコがぱささっと反応する。



「いえ、ちょっと、バイトの休憩に海を……」



 ナンパ男の言葉は遮られた。



「仕事中ずっと、こそこそと周りを窺って何をするつもりだ。何度もスマホでどこに連絡した。仲間か? ついて来てもらおう。警察だ!」



 ひえ〜。これ、ねぎまも連行される?

 ねぎまを助けようと体が勝手に動いた。1歩だけ。腕がミナトに掴まれる。驚いて見開かれたミナトの目。え? ミナトの視線につられて見れば、ももしおの自転車。アホかーっ。向こう側のチェックだろ。いや、その前に轢かれる! 思わずミナトと道を開ける。ダメだぁぁぁ! ももしおが見つかるっ。ミナトと目が合った。

 ももしおは勢いよく漕いできて、ミナトとオレの数メートル手前で自転車の前輪を上げた。ウイリー。馬が嘶くように向かってくる。

 今だ!

 ミナトがももしおの左脇、オレはももしおの右脇に腕を入れる。ももしお捕獲。ジタバタと暴れる大ウサギ。自転車は無人ウイリー状態のまま、展望台への階段に突っ込んでいく。うっそ。マジで。展望台への階段に弾かれた自転車は大きく弧を描いて宙を舞う。


  

 ガコンッ

 ばさばさっ



 一斉にウミネコが飛んだ。それと共に黄色の落ち葉がぶわっと舞い上がる。


ばさばさっ

  ばさばさっ

「うわっ」 ばさばさっ

「逃げるな!」 ばさばさっ

  ばさばさっ

「私は失礼します」 ばさばさっ

  ばさばさっばさばさっ

 ばさばさっ



 ばさばさばさばさっ


 

 ウミネコの羽音が止んだ。思わず生垣に身を隠す。



「なんだったんだ?」



と呟く声が聞こえた。その後、辺りをチェックしていたのか、しばらくしてから足音が聞こえてきた。

 息を殺していると、ナンパ男が腕を掴まれて連行されているのが枝の間から見えた。ももしおが口をパクパクさせる。



『SP、SP、SP』



 やっぱり。警察って言ってたもんな。

 会話が聞こえた。



「さっきの子は?」


「声かけただけです」


「その前からうろうろ動き回ってたじゃないか」


「あの子を探してたんです」


「スマホばっかいじってたのは?」


「繋がりにくくて」


「確かに」



 2人分の足音が消えてから展望台へ走る。

 そこには落ち葉の中から自転車を掘るねぎまがいた。


 ももしおのウイリー自転車は、SPの背後で落ち葉が集めてあった山に落ちた。ガキんちょらが荒らした後とはいえ落ち葉は残っていて、自転車はいい感じに着地。そして落ち葉に埋もれて見えなくなった。

 ウミネコが一斉に飛び立ったのは、ウイリー自転車が宙を舞っているとき。ウミネコは、生命体以外の飛来物に驚いて吾れ先にと逃げた。落ち葉と共にできた白と黄色の空間は、SPの目をくらました。ウミネコの羽音は自転車の落下音をかき消した。



「その隙に逃げたの。呼び止められたのはあの人だけだったし」



 ねぎまは身を隠すために落ち葉の山の中へヘッドスライディング。



「マイマイ、葉っぱまみれ」



 ももしおがねぎまの髪についた落ち葉を取る。



「自転車は後。もう時間がない」



 オレはももしおに釘を刺した。走り出しながら親指を立てる。「ウイリーはナイス!」ねぎまを救ったから、そこは感謝。


 走れ! 制御装置に向かえ。

 それがオレの正義。


 ガードフェンスに隠れ、柵を越えた。


 制御装置を触る必要なない。温室への予備の配管は装置では一緒に扱われているから。予備の配管のバルブは2箇所。

 まず、予備の配管に取り付けられている鎖付きの蓋を外した。

 1つ目のバルブを手動で開栓。


 2つ目のバルブを回すごとにちょろちょろだった排水はじょろじょろになり、最終的にはどばばばばーっとなった。もうもうと立ち上る湯気。

 やばい。水の量が多すぎるかも。このままでは土嚢で作った水路が壊れてしまう。

 心配しながら先を見ると、壊れた雨樋もどきを通るときにいい感じに水量が溢れて調節され、土嚢で作った水路に流れていく。その先には側溝の1番高い地点。

 クリア。

 側溝に流れ込んだ排水は土嚢で少々堰き止めて作ったプールに溜まり、両側に溢れ、二手に分かれて進んで行く。Yes!

 まだだ。肝心なのはここから。排水が熱いまま最後まで流れてくれるのか。

 走って追いかけたい衝動をグッと堪える。不審な行動をとってはいけない。湯気を目で追うだけ。

 ゆっくりと歩いて正面玄関の方へ向かう。その部分は最初、排水は流れていても湯気はなかった。だんだんと湯気が多くなる。いいぞ。



 飛べ! 麦色の胞子。かもめプラザホールを炎上させろ!







「今更だけどさ、監視カメラってどこについてんの?」



 ねぎまに聞いてみた。



「外は正面玄関と展望台のとこだけだと思う。

 古いタイプのカメラ、大きくて目立つの」



 ねぎまはカメラを指差した。あ、れ? なんか、玄関の入り口ってより、道路の方を向いてる。



「まさか」


「昨日、一応、角度をちょーっとだけ変えておいたの。うふっ」



 得意だよな。

 

 4人で湯気を眺めていると、多くの人が出てきた。終わったらしい。意外にも、ほとんどの大人はカビのテープを跨いで歩く。日本人だなー。畳の縁を踏まない文化と何かあったら避ける文化の融合。



「百田さん、根岸さん」



 大勢の人の中、京の祖母がももしお×ねぎまに向かってくる。

 京の祖母は、オレたち4人をじっと見た。そして口を開く。



「あっち、途切れてますよ」



 最初、何のことか分からなかった。



「お祖母様、途切れてって」



 ねぎまが尋ねると、京の祖母は走り出す。それについていくと、温室近くの側溝の上にある3本のテープを指差した。テープのカビの面に置かれていた透明のセロハンが3本とも5メートルくらいそのままになっている。指摘されてねぎまがその部分のセロハンをぺらーっと剥がす。



「見えるんですか?」



 ももしおが尋ねると、祖母は悲しそうな顔をした。



「たぶん、京におかしなものが見えてしまうのは

 私の遺伝なんです」


「見えるなら教えてくださいっ。

 ちゃんと、発生してますか?

 きらきらはたくさんですか?

 いっぱい飛んでますか?」



 オレの聞き方がまずかったらしい。京の祖母は固まってしまった。ミナトがチェンジ。



「僕たちには確かめられないんです。

 力を貸していただけますか?」


「はい」


「Ms.NARITA 一緒に歩いてください」



 ミナトは京の祖母の手を取った。これぞモテ技ジェントルマン。

 ホールの周りを一周。



「何をなさっているかは

 存じ上げませんが、

 きっと大丈夫ですよ。

 いっぱい飛んでます。

 空が埋め尽くされてます」



 よかった。



「京くんは環境大臣と会ってるんですか?」



 まるで散歩のように歩きながら、ねぎまが尋ねる。



「はい。体中、光らせて。あなた方みたいに」



 京が服の下に仕込んでいるカビの胞子は最強。発生し続けてるんだから。 

 オレは老婦人に告げた。



「京に、体光ってるって言ってやってください。きっと喜びます」



 京、1番の理解者は、ばーちゃんだぞ。

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