第32話 正義なんてうつろいやすいもの

 



 罪悪感に足がすくんだ。それはミナトも同じ。

 ももしおは柵を軽く飛び越えた。ねぎまは柵のない部分をすっと通った。2人は一体どこへ躊躇というものを忘れてきたんだろう。母親のお腹の中? 遺伝子レベルで持ち合わせてなかったんじゃないか?


 誰も見ていない隙に「工事中」のガードフェンスに身を隠す。温室と工場に人がいないことを確認。

 柵を越えたらOUT。不法侵入。

 頭の中でファンファンと警鐘が鳴る。心の奥のモラルを塗り潰すために目をぎゅっと瞑った。軍手着用。深呼吸。

 よし。

 柵を乗り越える。制御装置の箱のところへ行く。温室へ繋がる配管と並ぶ予備の配管。これだ。行き先のない予備の配管には鎖つきの蓋がはまっている。



「この下へ、あれ持ってこよ」



 ミナトと話しながら、雨樋もどきが置いてあるところへ進む。羽を休めていたウミネコが飛び立つ。



「宗哲、持ってくのはいーけどさ、どーやって固定する? なるべく高い方がよくね?」



 そうだ。雨樋もどきを配管の位置に合わせて置くだけじゃ、水は逆流してしまう。



 !


「いーのある」



 オレは、リュックの中からゴミを取り出した。カビのテープから剥がした紙と透明のセロハン。買ったときのシールがくっついているようなツルツルした紙は丈夫そう。それを紐として使える。ミナトとオレは、雨樋もどきを制御装置の箱にぶら下げるようにしてくくりつけた。海側に向かって排水が流れるように。

 もう1枚は、1枚目の雨樋もどきに10センチだけ重なるように置き、縦に並べてみた。それで十分。海に近い、高さのある部分まで到達。


 

 気づけば子供たちの声が止み、ウミネコだけが鳴いていた。


 ガードフェンスの上からかもめプラザホールの方を見てみた。展望台、ウミネコだらけじゃん。

 誰かが忘れて行ったスナック菓子をつつくウミネコ、誰かから奪い取ったらしき特大のピザをつつくウミネコ、人の代わりにベンチで休むウミネコ。展望台は日当たり良好。展望台の手すりに隙間なく留まっているウミネコは揃って海方向を向いている。展望台は落ち葉の黄色にウミネコの白ドットで埋め尽くされている。


 

 ももしお×ねぎまが戻ってきた。ねぎまは相変わらず頬を紅潮させている。ああ艶っぽ。



「お昼の休憩、終わったね。

 人いなくなったよ」


「重いの運んでくれて

 ありがと」



 ももしおは腕を捲り上げ、ねぎまは2リットルサイズの空のペットボトル差し出す。



「空じゃん」



 何?



「実験用。これで水流すの」



とねぎま。ほー。


 ねぎまはまず、2リットルのペットボトルに水を入れてきて、展望台の階段の下に流した。すると、小道がカーブする外側の角の部分よりも30センチ以上向こう側に背水を流さないと、排水は1周せず、そのまま工場側の側溝だけを通って下水方向へ流れてしまう。


 これには、土嚢で対応。中身を減らした土嚢を2つ作り、それを使って堰き止める形で、排水が落ちる地点に浅いプールを作る。そのプールから排水が溢れて、プールの両側に流れ出るようにする。プールの長さで高低差をカバー。


 ももしおは作業現場が隠れるように「工事中」のガードフェンスを動かし、オレは土嚢を運ぶ。幸い、温室の傍には、使っていない土嚢が積み上げてあり、それを運ぶ一輪車がある。オレたちには使えないが、小さなショベルカーも残されたまま。



「う”っ。ムリムリムリムリ」



 ミナトが変な声を上げ、無様に尻餅をついてひっくり返った。見れば長さ10センチのミミズ。

 モテ要素完璧に見えるミナトには、昭和的に言うところの「男らしくない」という欠点がある。虫はカブトムシとクワガタムシ以外NG。水の中のヌルヌル生物もNG。爬虫類もNG。そっち系にはヘタレ。ついでに、脱いだら上半身は大したことない。下半身は知らん。

 ねぎまが素手でミミズを摘み、遠くへ放り投げた。え、オレでも、素手は嫌かも。



「チェンジ」



 ねぎま命令でミナトと担当を交代。


 雨樋もどきは3枚あった。2枚は使用済み。あと1枚残っている。使えるなら使いたい。ビニールを敷いて土嚢を積むよりも作業が早い。地面の凹凸の影響を受けず、排水がスムーズに流れそう。


 ねぎまが残った雨樋もどきにペットボトルの水を流してみた。大穴が空いている。たぶん、爆音させて落っこったやつ。



「ムリか」



 オレは諦めたが、ももしおが考えた。



「傾ければ?」



 穴が空いているところを下にするのではなく、少し傾ければ、穴を避けて水を流すことができる。大きな雨樋もどきをかもめプラザホールの敷地内に移し傾けて置く。これで水路造り作業が約3メートル分軽減される。


 ももしお×ねぎまは、かもめプラザホールの海側の小道の側溝にカビのテープを貼った。3重に。


 土嚢を並べる。ペットボトルのシャベルで地面が平らになるように調整する。ゴミ袋を敷く。土嚢部分にペットボトルのテスト用の水を流す。ゴミ袋がめくれる。直す。再テスト。水が脇に溢れる。改善。再テスト。そんなふうに進んだ。


 途中、ミナトとオレはかもめプラザホールの横側の小道の側溝にカビのテープを貼った。3重に。その反対側にはももしお×ねぎまが。3重に。


 下水へ流れる部分を、中途半端に堰き止めた。少しは溜まったほうが温度が上がるような気がしたから。根拠はない。

 なんとか流れるようにできた。


 たった2リットルの水では特大の砂遊び的な水路のテストは不可能。一か八か。



 不法侵入罪、使用窃盗、冊子にQRコードを貼ったのは公文書偽造? まだ引き返せると理性的などこかが訴える。

 京はももしおのことを正義のヒーローと言った。正義ってなんだ? 

 そもそも京がプロバガンダに利用されるなんて、思い込みって可能性もある。いや、冊子のデータは改竄されていた。SNSの内容まで決まってる。ああ、公文書偽造はあっちじゃん。

 それでも一般的に見て、悪いことをしているのはオレら。



「正義か」



 ぽろっと独り言が溢れた。 



「どしたの? 宗哲クン」



 ねぎまがオレの顔を覗き込む。



「ん? オレら、やばいことしてンなって。誰が見たって、正義のヒーローは陽キャ大臣らの方だよな」



 軍手を丸めてデニムの後ろのポケットに突っ込んだ。泥がぱらぱらと散らばる。

 バチクソに日本のことを考えている国務大臣が税収を増やそうとするのは、国民の未来のため。それは単なる大義の二文字じゃない。あれこそが正義なんじゃないか? ももしおが語った暗闇の中の日本は誰かの受け売りだろうけど、事実。税収が増えることは日本の未来に差す光の1つかもしれない。


 ねぎまはふわっと微笑んだ。



「正義なんてうつろいやすいもン、気にしなくていーんじゃない?」



 その言葉だけで、ガチガチに強張っていた顔の筋肉が溶けるように楽になった。オレってマジでチョロい。




 最後、4人で見張りをしながら道路に面した部分の側溝にカビのテープを貼った。4重に。ここは閉会の後、大勢の人が通る。靴で踏んでカビが取れてしまう可能性がある。本当はその後に貼りたい。しかし、それでは京と環境大臣の談話が始まってしまう。


 トイレで泥だらけの手を洗い、ももしお×ねぎまと同じように、服の下に使い捨てカイロとカビのテープを仕込んだ。



「カイロが熱くなってきた」



 トイレの鏡には、苦笑いしたミナトが写る。



「オレも」



 10月下旬。カイロを使うには早い。

 

 トイレを出たところでは、泥の匂いを落としたももしお×ねぎまが待っていた。



「行こ。京くんの発表、もうすぐ」


「間に合ったね」



 京の発表は最後から4番目。時間通りに進まなかったらしく、25分遅れている。

 照明が落とされたホールの中に入る。後ろの方の通路側の席に座った。京の2人前の子が発表していた。


 京はスクリーンに映った資料で澱みなく説明する。順を追わず、伝えたいことが心に残るように。

 冊子のデータは改竄されていても、発表に使うデータは個人が用意する。京はやってくれた。計測10地点を地図で示すだけでなく、写真を用意していた。スクリーンに映し出された写真は最初に4箇所、次に4箇所。最後の2箇所は電気畑の写真とアヤCの電柱横、喫煙所の深緑のガーデンチェア。

 冊子で9本になっていたグラフは10本表示され、考察は「ヒートアイランド現象」の部分をカット。発表からは、電気畑横の気温が高いという結果のみが伝わってくる。


 京、めっちゃ大人に抗ってっじゃん。


 ももしおは手が痛くなるんじゃないかってほど力一杯拍手をしていた。スタンディングしそうだったのをねぎまに止められた。



「シオリン、目立っちゃダメ」



 この発表に環境大臣賞、まずくね?

 皮肉たっぷりの発表。


 オレは初めて京を見たときを思い出す。肩のあたりで両手Vサインの指をくいっくいっと曲げた。使い方は間違ってる。それでも分かった。京はあーゆーヤツなんだ。


『おあいにくさま。大人の思い通りになんかならないよ』


 そんな声が聞こえる気がした。




「行こ」



 号令はももしお。


 オレたちは速やかに立ち上がった。走らず慌てず素知らぬ顔で会場を出る。受賞者は決まっている。授賞式を見ずに帰る人達がいるだろう。そうなると、ホールの外に人が多くなる。まだ発表者がいる今が最適。



「ももしおちゃん、正義のヒーローだもんね」



 ミナトの言葉にオレは加える。



「正義っつってもダークだけどな」



 そんなオレにねぎまは熱った顔で垂れ目の視線。「うふっ」と笑った。



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