第30話 蠱惑的な君に翻弄されるそれは本望
第3関門は手強い。
たかが10mを果てしない距離に感じてしまう。
すくっ
いきなりももしおが立ち上がる。
「どした?」
「ちょっと見てくる」
何を?
ももしおは再び工場の敷地内へ入って行った。そして、ウミネコがびっしり留まっていた長いものの端っこを「うんしょ」と持ち上げる。驚いたウミネコがばさばさばさっと一斉に飛び立った。そーいえば、爆音の後、ミナトと見に来たときも、ウミネコがいっぱいいたっけ。暗がりでは配管に留まっているように見えた。
ももしおがオレたちのところに近寄り、柵の向こうから報告する。
「あれ、1コは、
この間のでっかい音したとき、
上から落ちてきたやつ。
ここに置くの見たの。
2つは修理の時に外したんだと思う」
長さ3mほど、幅60センチほど、素材はアルミっぽい金属風。配管のカバー。面が半円型にカーブし、雨樋のでかいバージョンのよう。それが3枚、伏せるようにして重ねられている。1番上に見えるのは、色褪せ、数箇所が激しく凹んでいる。
ももしお案は、それを雨樋のようにして置き、流しそうめんのごとく排水を流すというもの。ナイス!
排水の制御装置部分にある、温室用と並ぶ予備のバルブを開栓し、排出された熱い排水をでかい雨樋もどきで受ける。そして3つあるそれを繋いで、展望台への階段が始まる地点まで届かせる。凹みが激しところが気にはなるが。
「柵がなければいいのに」
と額に汗を滲ませ、ねぎまが困った顔をする。
そっか。
かもめプラザホールと工場との間には高さ約1.2メートルの柵がある。本物の雨樋だったら通りそうな隙間はあるが、雨樋もどきは巨大。とても通すことはできない。
一生懸命 考えている君可愛すぎ
頬を少し赤く染め
白魚のような指で
額に張りついた髪を払うYO
そんな蠱惑的な君に翻弄される
それは本望
君は最高だYO!
うっかり見惚れてラップトリップしまった。なんだか、今日のねぎま、いつもにも増して艶っぽく見える。
そんな君と海に行きたいYO
烏帽子岩には冬に行こうYO
砂浜に続く2人の足跡
あ。
オレは小さなころの砂遊びを思い出した。
「柵のとこ以外でももしおの方法使ってさ、柵通すとこは溝作るのは? 両側、あそこの土嚢で土手にして」
「うーん、宗哲クン、
高低差が」
ねぎまとの言う通り。地面は制御装置近くより展望台付近の方が明らかに高く、オレの案では水が逆流する。そしてミナトが最終案を出した。
「じゃさ、柵の向こうで、1番高いとこに持ってって、こっち側で、あの展望台の階段んとこへ繋げれば?」
「そーしよ」
「「オケ」」
まだ午前中。授賞式が終わるまでにはできるだろう。
土は水が染み込みやすいからビニールの45リットルのゴミ袋を底に敷く。カビのテープを剥がされないように、12時から13時の休憩時間の後にテープを貼る。休憩時間以外も人の出入りは頻繁。特に正面玄関前の数メートルは排水を流す直前に貼る。
本日は、波、風、弱し。しかし、ここは海辺。きらきらの麦色の胞子は発生してもとどまりにくいと考えられる。排水を流すのは授賞式のとき。
「上は?」
きょとんとした顔のももしお。
上? あ”ー。上、考えてなかった。電波は上空から届く。勅使河原さんはアヤCの建物の周りにカビのテープを置いたと言った。かもめプラザホールはアヤCの数倍の大きさ。アヤCは周囲をテープで囲むだけで電波を妨害できたかもしれなくても、かもめプラザホールにそれがそのまま応用できるとは思えない。
「上、太陽光発電のパネルが並んでる。小学校んとき見学した」
「「イエッス!」」
オレが告げると、ももしおは嬉しそうにねぎまとぱちんと手を合わせる。
「どしたの? ももしおちゃんとねぎまちゃん」
ミナトは2人の真似をして、子猫と手を合わせる。
ももしおは嬉しそうに答えた。
「小学生が見学できるくらい安全な屋上があるってこと。ふつう、こーゆーとこって、屋上は工事の人くらいしか歩けないデザインじゃん? ラッキー!」
「行こ! カビのテープ、仕掛けよ」
ねぎまは使い捨てカイロが入ったキャスター付きのケースに手をかけた。その手に自分の手を重ね、オレは運ぶのを変わった。
会議室へ行ったとき同様、階段を使う。エレベーターのところには「関係者以外立ち入り禁止」の札が立っている。その部分を横目に階段へ進んだ。もちろん、階段にも「関係者以外立ち入り禁止」の札がある。
小学生のころの記憶を頼りに、屋上まで行った。1階からの階段は会議室のある最上階までしか続いていない。最上階ではトイレや給湯室の前を通って、屋上への階段を上がった。屋外へのドアは2重。最初のドアは、なぜか鍵がかかっていない。ほとんど使用されない施設だからセキュリティが甘いのかも。
屋上に出るドアは、その場で誰でも開けられるタイプの鍵だった。横になっている鍵を縦にした。
簡単に出られた。マジか。
屋上には整然と太陽光発電のパネルが並んでいた。
太陽光発電のパネルに触れてみる。熱い。確実に35℃以上ある。
「カイロいらないかも」
使い捨てカイロにテープを貼り付けて地面に置くつもりだった。手間が省ける。太陽光発電のパネルの淵にカビのテープを貼れば、即、胞子が発生すると思う。問題はどのパネルにどれだけ貼るか。全部貼る必要はない。カビのテープを使いすぎて、ホールの周りの分がなくなっては困る。
それに関してはねぎまの指示に従った。ねぎまは頭の中でアヤCの建物の大きさとかもめプラザホールの大きさを比較し、風が強い分を考慮。テープの在庫量も考える。
「この列のパネルの下んとこに1本、あと、この列、それから……」
作業はスムーズ。ぴーっとカビのテープをのばし、接着面についているテープを剥がす。貼る。カビの付着面についている透明のセロハンを剥がす。
「オータムリーブス♪
オータムリーブス♪
アイドルってすごーい♪
ドルオタは♪ 経済♪
くるくるー♪ 回すよ♪」
想像よりも楽勝。ももしおは歌い出す。
自分担当の最後のセロハンを剥がしたときだった。
ガチャ
屋上のドアノブが回される音がした。
咄嗟に屈んで太陽光パネルの影に身を隠す。数メートル横にねぎま。ミナトはかがむとき、前方20メートルほどで隠れる姿が見えた。
歌っていたももしおが1アクション遅れた。幸い、ドアが開く方向は中から外で、更にももしおがいる場所は、開けたドアで視界が遮られる側。しかし、ドアからももしおの間には隠れる場所がない。ももしおは、
ぴょん
直立したまま、後ろに飛んだ。ももしおの姿は足から順番に消えていった。最後は落下の勢いで上に流れた髪の先。悪夢。一瞬で体が凍りつく。
ドアの影から男が姿を現し、ちらっと周りを見てドアを閉めた。
『シオリンっ』
声にならない息を吐き、ねぎまが屋上の淵に走る。ミナトもオレも全速力。走るほんの何秒かに頭の中で大丈夫と唱える。大丈夫、死ぬようなヤツじゃない。大丈夫、落ちた音がしない。大丈夫、きっとぶら下がってる。
ももしおが1歩下がった場所から見下ろす。そこは屋上の淵。ミナトとオレは匍匐前進。
オレが小学校のころにあったはずの柵は取り外され、台だけが残っていた。柵があっただろう場所から3メートルほど先はコンクリートの絶壁。もちろん、そんな場所に太陽光パネルは設置されていない。作業を早く終えたももしおは、きっと遊んでいたんだ。あのアホ。最期までアホなんて。
地面には死体も怪我人もない。地上に小さく見える人々は普通に歩いている。
ももしおが消えた。
「ね、そこ、横浜市のマークあるよ」
ねぎまが気づいた。見れば、ももしおが飛び降りたのは、壁に巨大な横浜市のマークがついている場所。横長ひし形に真ん中に1本の横線。横浜市のマークは、幅80センチほど壁から飛び出している。見下ろすと、2メートルほど下にひし型の上の頂点。そこから始まる幅80センチほどの斜面の傾斜は約30度。
「もう、レスキュー呼ぼ。探そ」
オレはバクバクいう心臓を抱えたままドアに向かった。ドアノブを捻ろうとしたが、できなかった。鍵がかかっている。さっきの男だ。
なんとか開かないかと、がちゃがちゃドアノブを回す。3人の口から言葉が溢れる。
「SOSがムリって」
「スマホ繋がらねーし」
「叫ぶ?」
「シオリン、きっと捕まったんだよ。尋問受けてるよ」
「どっかにぶら下がってればいーけど……」
「カビの胞子の効き目って?」
「生レンレンは1日半って」
「スマホ繋がる前にバッテリー切れるし」
「シオリーン、どこ」
「オレらこそ死亡フラグ?」
ももしおがいないと、意外とみんな悲観的。
かちゃ
ん? 今。
ドアが開いた。現れたのはももしお。ねぎまはももしおに抱きついた。
「シオリン! 心配したよぉぉぉ」
オレはへなへなと足から崩れ落ちた。ヨカッタ。
「はぁ、ももしおちゃん、勘弁して」
ミナトもため息。
ももしおは幻のうさぎの耳をぺろんと垂らし、バツが悪そうに「へへ」と笑う。そして通常運転。
「お腹すいた」
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