第24話 英断を仰ぐときは別
外は久しぶりの雨。月曜の教室からグレーの景色を眺めながら、数時間後にこの雨が京のところへ行くことに想いを馳せていた。横浜で生まれた麦色の胞子が千葉県のI市へ届くなんて、思ったより日本は狭い。まあ、雨が降っているなら胞子は死滅するのだが。それはそれで儚くて切ない。
麦色の胞子の性質に触れたのは、結局、横浜駅西口五番街で生レンレンとすれ違った時だけ。
あ、そっか。クルージングの時、ねぎまがスマホ、繋がりにくかったっけ。
見えないから今ひとつ、存在に実感が湧かない。実験して、はっきりと電波妨害を確認したかったな。おっと。オレまでねぎまみたいになってる。
雨でテニス部は階段トレーニング。ダルい。
帰宅し、ベッドの上でゲームをしているときだった。スマホにメッセージが届いた。京から。
「うっす。久しぶり。元気?」
『あのさ、今、電話、大丈夫?』
「おう」
『何から話せば』
「そんなにいっぱいあんの?」
『じゃ、順番に。えーっと、だいぶ前、授賞式の場所が変更んなった』
「授賞式って、あの夏休みの研究のやつ?」
『うん。京都から横浜』
「へー」
『横浜のかもめプラザホールってとこ』
「マジで? それ、温泉卵作ったとこじゃん」
『案内の地図見て、そんな気ぃした。
隣にでかい工場あったし』
かもめプラザホールは、何年も前にできた施設。今は新しいイベントホールがいくつもあり、ほとんど使われていない。だから急な場所変更に対応できたのかもしれない。
「えー、横浜だったら行くし。4人で行くよ」
『ども。話のメイン、いい?』
オレがテンションを上げているのに、京は冷静。可愛げのない小学生だよ。まったく。
「なん?」
『今日、ししやのマスカット羊羹の人、
学校に来た』
「小学校に?」
『オレ、5時間目、校長室に呼ばれて。
”おめでとう、環境大臣賞だよ”って。
校長先生に言われて』
「すげー!
おめでとー」
祝ったのに、京はスルー。
『そンで、電気畑ンとこのこと、”削除しなさい。道路から奥の道は私有地で入っちゃいけない場所だから”って」
モラル的にOUTだから省きなさいと。
「そーきたか」
ただの舗装されてない道だと思ってた。あの道が私有地という認識がなかった。それより、ガッチガチの私有地に有刺鉄線の間から手ぇ入れて温度測ってたことが気になってた。
『電気畑んとこ、
地主さんに
祖母と挨拶いったんだけど』
京は遣い慣れてきたのか、澱みなく「祖母」と言う。
「それ、言った?」
『一応言った。
怖かった。圧が。
マスカット羊羹の人だけじゃなくて、
もう1人いて』
「もう1人?」
『陽キャ大臣の秘書。名刺貰った。画像、送っとく』
環境大臣の?
環境大臣、湘 南太郎。苗字が湘で名前が南太郎。通称「陽キャ大臣」。かもめプラザホールの暖房に隣の工場の排水を利用するように働きかけた人でもある。「陽キャ大臣」と言われるのは、元海系イケイケの役が多い俳優だったから。SNSや動画配信を多用し、陽キャイメージは継続している。フォロワー数は政治家の中ではダントツ1位。
環境大臣の秘書と環境省の官僚がわざわざ小学校へ。オレ、賞とかとったことねーし。分からん。そーゆーもんなの?
「だからかもめプラザホールなのかも」
オレは京に、陽キャ大臣がかもめプラザホールの暖房に工場の排水利用推しだったこと話した。
『インターネット担当って』
「あの人、動画配信もしてるし、SNSいっぱいアップしてるらしいもんな。中の人いるよな」
どれくらいの頻度とか、そーゆーのは知らない。ただ、政治家トップは超多忙。こまめにSNSをアップするのは大変だろう。更にはご高齢。自分でインターネット方面をバリバリに使いこなすとは考えにくい。
「データ研究所の方は? 何か言われた?」
『場所について、どうやって発表するか聞かれた。
地図を表示して赤いポインターで指すって。
そしたら『いいですね』って」
レーザーポインターのことだ。赤い光がついたままだから、「ここです」と示しても地図上のピンポイントを示すことは難しい。京が自転車で回った広範囲が1枚になった地図上でレーザーポインターが動いたら、データ研究所の横と1ブロック離れた四ツ角との差はなくなる。
何人もの小学生がそれぞれ何分も使って発表をする。ほんの一瞬のことを誰も気に留めないだろう。
「なるほど」
『その後、その人、マスカット羊羹の人は
別の仕事があるって帰って。
インターネット担当の人とオレだけが校長室に残された』
「それ、怖っ」
『それがさ、コミ力バリ高で。
喋りやすかった。
その人と打ち合わせ?みたいなんした』
インターネット担当は忙しい環境大臣の仕事を陰で支えていると自己紹介した。例えば、30分の演説のどこを切り取って動画にするのか、1日に何人もの人と会う大臣が、誰と会っていることをネットに載せるべきか、硬すぎず、くだけすぎず、国際社会で大切な役割を担っているとアピールしつつも、親しみが持てるように配慮していると言う。おっ喋りだなー。それってイメージ戦略じゃね?
今回、環境大臣は授賞式に参加した後、京と会議室で談話する。そのときの写真をSNSで発信する予定らしい。
男は、束になっているA4の紙を取り出した。未来の日付順にまとめられた紙にはラフスケッチがあり、それはSNSにアップする写真の構想。
授賞式の日付けの紙には、中央に大きく陽キャ大臣と京、少し後ろに離れて校長先生のラフスケッチ。既に言葉も考えられていた。
『成田京君の考察には”部分的なヒートアイランド現象のようなことが起こっていると考えた”とありました』
確かに京の研究の表紙の次のページにその言葉があった。
京の研究は、やったこと、最終的なグラフ、考察が表紙の次のページにあり、動機、説明、地図、データは3ページ以降になっている。全てが活字で手書きなし。表もグラフも見た目よし。小学生が作ったとは思えない出来。
研究所の横に関するヒートアイランド現象のことは、最後から2番目に書かれていた考察。1番最後は『太陽光発電は周辺の気温に影響を与えるほど高温になると考えられる』だった。
インターネット担当は厚かましかった。
『絵的に、手書きも方がいーんだよなー。小学生だから。君のメモ書きでもいいから、手書きのって残ってないかな』
京はその言葉に、気味の悪い作為的なものを感じた。
湘南太郎、いったい何が狙いなんだ。いや、ししやのマスカット羊羹の人の提案かもしれない。
京は、もともと全てスマホでデータ管理をしていると述べた。
「そーなん? グラフとかあったじゃん」
『スマホにパワポ入ってるし』
「パソコンは?」
使わねーの?
『使わない。祖母はよく使ってるけど』
えーーー。最近ってそーなの? オレ、京と同じ世代だと思ってた。ちげーじゃん。オレ、ばーちゃん側。地味にショック。
「画面、小っさくね?」
『家ではiPad』
左様でございますか。ITネイティブ。
「そのインターネット担当、なんか嫌だな」
『宗哲ニキもそー思う?』
「うん」
『オレも。ソイツは下っ端だろうけど、
あいつら、何したいんかな。
だからオレ、研究所に聞きに言った』
「は?」
ピンポーンって訪問した?
『いつも3時にタバコ吸う人に』
カルロス雨宮。
「今日、雨じゃん」
『いるし。いつも』
「雨の日は傘さしてタバコ吸ってんの?」
『そ』
雨の日ぐらい。建物の軒先で吸わせてやれよぉぉ。
「タバコ、止めればいーのに」
『オレもそー思う。
あの人にさ、夏休みにやってたこと話して、
それが環境大臣賞に決まったことも。
でもさ、ここじゃなくて別の場所で測ったことにしろって言われたっって。
”ここって、どんな研究してるんですか、
ちょっと前に、同じことを言いに父の職場にもその人が来た、
その人がこの研究所に入っていくのを見たことがある”
そんだけ言った』
「したら?」
『大人になって会社に勤めると分かるけど、
仕事については話してはいけないことが多い。
決まりで、契約書があって、
そんなことをしたらクビなんだって』
「だわなー」
『だから聞いた。
あなたが僕の立場だったらどうしますかって』
ショック。オレにそんなん1度も聞いてねーじゃん。宗哲ニキとか言うくせに。慕われてると思ってた、オレ。英断を仰ぐときは別かよ。凹む。
「なんて言ってた?」
『君は賞が欲しいの?って聞かれて、
別にどーでもいーって言ったら、
いーねーって笑われて。
だったら辞退すればいい。
父と同じこと言ってさ。
どこに連絡して、どーすればいい?』
「待て待て待て。
京はさ、もしデータが自分のものだったら賞は欲しいんだろ?」
『頑張ったこと認めてもらうのは嬉しい。
そんだけ。
市の代表の何個かの研究に入ったので、もーいい。
県の代表んときとか、
家族が喜んでたから嬉しかったけどさ。
夏休みなんてもうとっくの昔じゃん。
なのに賞とか言われても。
もう、授賞式の日に陽キャ大臣のSNSに載ることまで決定してるけどさ』
小学生って時間軸長っ。夏休みが昔なのか。
「ちゃんとしたデータで賞貰えればいーのにな」
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