第22話 ビビり散らかしました

 顔の片方が赤紫色。白い肌。金髪の生え際は数ミリ黒い。色を無くした唇。体に張り付く黒い服。素足。確実に生きているのに、仰向けに転がる姿は死体のようだった。長い手足。180を超えていそうな身長。黒いシャツの片方の袖は千切れ、打撲のような赤黒い痕が見える。黒の半ズボンの膝から下は透けるような白い肌が露出している。暴行を受けたのか、その脛にもアザや擦り傷があった。

 膝から下の白いツルツルの脚を見たとき、自分はこの男を知っているような気がした。



「だい、、、今、助けが来ます」



 つい「大丈夫ですか?」という言葉が出そうになった。どう見ても大丈夫じゃない。死にかけている。

 息をしているし意識はある。人工呼吸の必要はない。それ以外に、どうすべきか分からない。寒そうに見えたから毛布をかけた。

 男は、ただ息をすることだけに集中しているように見えた。


 間もなく海上保安庁の船が到着し、男を毛布に包んだまま運んでどこかへ連れて行った。

 

 マリーナに帰るときミナトは無言だった。操舵席から離れたデッキで海を眺めていた。オレも無言。子猫を助けたときとは全く異なるざわついた嫌な気分に心が支配されていた。


 男は暴行されて海に捨てられたとしか思えなかった。


 

「あ、お母さん? オレ。宗哲」


『おはよ』


「あのさ、海で人拾った」


『え、なに? よく聞こえなかった』


「人、海に落ちてて。海上保安庁の船に連れてってもらった」


『かいジョー? え、え?』


「とにかく、今、制服、びしょびしょで家、帰れない」


『着替えないの?』


「あ、部活の服あるわ」


『今どこ? 迎えに行くよ』


「や、大丈夫」


『じゃ、お金送るから服とかそれで買って』



 スマホを見ると、電子マネーの残額が増えた。

 下はジャージ、上にテニス部のウィンドブレーカーを着て、ノーパンのままコンビニへ下着を買いに行った。海に入らなかったミナトも、電車に乗れない程度に磯臭くなっていたから着替えた。

 朝8時。土曜の横浜はまだ閑散としている。



「なー、ミナト。変なこと言っていい?」


「なに?」


「さっきの、生レンレンかなって」


「それな。オレも思った」


「イケメンだったっけ? 顔、腫れてたし」


「背、高かったよな。190はないけど、たぶん、オレより高い」



 ミナトは182センチ。



「それに「ツルツル!」」



 ハモった。男の脚には臑毛がなかった。



「オレんとこに、なんか連絡くるんかな」


「宗哲が知らないのに、オレ、分かるわけないじゃん」



 腹が減った。コンビニでカップ麺を買って、コンビニ前で食べた。冷えた体が温まる。ペラペラのチャーシューを食べながら、自分が人命救助をしたことに静かに驚いていた。死体は嫌だけど、生きてたら助けるんだなー、オレ。



「ホントに生レンレンだったりして」


「一応、ねぎまちゃんから勅使河原さんに連絡してもらえば?」


「だな」



 メッセージ送信。即レス。



『人命救助!? すごい! 宗哲クン、お疲れ様』



 にやける。ねぎまには、人命救助をした勇敢な人ってとこだけが伝わる。本性はクズなのに。



「帰っか」



 親が心配していそうだから、帰ることにした。



 海上保安庁から連絡があったのは日曜だった。部活に出かけようとした時。

 男がお礼を言いたいと言っているが、反社の可能性があるので、オレの連絡先は伝えていない、未成年だから保護者と話をしたいと。オレは父に電話を変わる前に男の容体を聞いた。男はかなり体力が回復し、会話ができるようになっているとのこと。調べには「酔って海に落ちた」としか答えないらしい。

 父はスマホに「はい、はい、はい。分かりました」と頷いている。しばらくして通話が終わった。



「宗哲、警察から連絡があったらそれに従ってくれって」


「警察!?」


「事件の可能性があるってさ。宗哲とミナト君が助けた男の人は、今無職、前日までホストって人。連絡できる家族がいなくて、今は知り合いが病院に来ているらしい」


「助かってよかった」


「ん、よかったな」



 父は小さいときみたいにオレの頭をわしゃわしゃした。

 

 男が生レンレンかどうかは、ねぎまが『勅使河原さんに連絡したよ』の昨日のメッセージが最後で分からないまま。


 人命救助の件でキャリーオーバー。京にきらきらについて知らせることについては失念していた。それに、夢にも思っていなかった。京が自ら動いていたなんて。






 京は悩んでいた。夏休みの研究のことで。

 幼いが故に真っ直ぐで、京は研究所の脇にある喫煙所へ相談に行った。そこにいるのはカルロス雨宮。

 オレがその報告を受けたのは月曜の夜だった。


 一方、ももしお×ねぎまは、土曜、横浜でカルロス雨宮に会おうとしたが叶わなかった。


 まず、ももしお×ねぎまの話から。

 日曜の午後、部活のために学校へ行くと、ももしお×ねぎまが午後1時までの部活に来ていてた。男子テニス部は1時から5時。



「運命なのかな、ね、マイマイ」


「そうなのかもね、シオリン」



 2人は顔を見合わせて、首をこてっと傾ける。



「うっす」



 挨拶。2人はテンション高めに喋り出した。



「宗哲クン、生レンレンを助けてくれてありがとう。勅使河原さんが感謝してたよ」


「なんかさー、カルロス雨宮、かわいそ」



 ミナトとオレが海から引き上げた男は生レンレンだった。土曜、カルロス雨宮は横浜に来る予定だった。しかし、勅使河原さんは、生レンレンの緊急事態の方へ行ってしまった。ももしお×ねぎまは、カルロス雨宮に接触しようとして「代わりに私たちが横浜をご案内します」と勅使河原さんに提案した。しかし、カルロス雨宮の気持ちを分かっている勅使河原さんはNGを出した。

 結果、カルロス雨宮は横浜に来なかった。


 勅使河原さんは、自ら海上保安庁に問い合わせ、生レンレンのところへ行った。

 生レンレンは現金はおろか、スマホも身分証明書もなかったと思う。誰か頼る人が必要だった。



「うちらね、お見舞いに行くの。

 宗哲クンとミナト君も行かない?」



 ねぎまに誘われ、大人から「事件、反社の可能性がある」と言われたことを話す。



「ファック! アースホール」



 え? 今、ねぎまが、丁寧な言葉遣いで品のいいはずのねぎまが、何か言った? オレの聞き間違い?



「うんこ宗哲、行きたいの? 行きたくないの? 心配じゃないの?」



 ももしおがうんこヘッダーでオレを呼ぶ。



「心配。でも、事件かもしれないって」



 ねぎまの目が絶対0度になった。



「事件に決まってっるっしょ。なンもないのに、体中あざだらけで、肋骨と足の骨折って、10月の海で泳ぐ? 行こ、シオリン」



 ひぇ〜。



「マイ」


「なに?」


「……オレも」



 ねぎまの纏う負のオーラに、オレがビビり散らかしていると、ももしおはサッとねぎまと腕を組んだ。そのままねぎまを連れて歩き始める。



「ミナト君も連れてきてちょ。

 生レンレンはちょくでお礼を言いたいのに、

 未成年だからって連絡先教えてもらえないんだって」



 ももしおは言いながら、ひらひらと手を振った。



「あ、うん」


「そっちの部活終わったら、現地集合。お花は用意しとくねー」



 ももしおに感謝しながら2人の後ろ姿を見送った。






 大きな総合病院。休日用の出入り口は正面玄関ではない場所にあった。

 ミナトと行くと、花束を抱えた2人が待っていた。


 生レンレンは2人部屋で、もう1つのベッドは空いていた。

 勅使河原さんがミナトとオレを紹介してくれた。

 生レンレンは仰向けのまま動けない。ミナトとオレは、ベッドに寝ている生レンレンを上から覗き込む。



「本当にありがとうございました。

 わざわざ来てくださって恐縮です。

 生きていられるなんて、本当に本当に」



 生レンレンの目に涙が溜まる。それをそっと勅使河原さんがハンドタオルで拭う。



「この人、お店、辞めるって言ったんだって。そしたら、色々ある世界みたいで、こんな風になって」



 色々の闇が深そう。



「薫」



 生レンレンが勅使河原さんの名前を呼ぶ。その声は静かに優しく響く。



「何があったのか、それ以上は話してくれないから。でも、もう、あの仕事は辞めてくれたの。辞められたの」



 勅使河原さんは眉を下げたまま顔を綻ばせる。

 大人って大変。勅使河原さんは企業秘密だから仕事の内容を喋らない。生レンレンは社会的にヤバそうな今回のことを喋らない。



「オレ、治ったら、仕事探す。

 履歴書、キツイけど」



 高校を中退した生レンレンの最終学歴は中卒になる。職歴欄はサービス業? ケガが治ったらイケメンと色気で、夜の世界にいたことはバレる気がする。


 ももしおはにこにこ笑顔で失言。



「もう、カビの胞子、飛ばさなくてもいーね、勅使河原さん」



 おいおいおいおい。それ、言っちゃダメなんじゃね?



「カビ?」



 生レンレンの語尾が上がる。ほらほらほらほら。知らねーじゃん。



「ふふ。スマホ、繋がらなかったでしょ?」


「あ、うん」


「わざと」


「やっぱな」


「分かってたんだ?」


「なんとなく。カイロの袋、見かけたし。夏も。あれ?」


「そ」

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