第20話 かつて携帯小説は一世を風靡しました
コンビニへはミナトと2人で行った。戻ったのは30分後くらいだったと思う。
戻ってドアを開けると。え、涙?
赤い鼻をして上を向き、指で目の下を抑える勅使河原さんの姿があった。
ミナトとオレは、紅茶のベルガモットフレーバーを3本、空き教室のドアを開けてすぐの棚の上に置き、そっとドアを閉めた。
中庭の藤棚の下に座る。
「宗哲、ベルガモットってさ」
「ん?」
「アールグレイって知ってた?」
「え、そーなん?
アールグレイだったら
すぐそこの自販機にあるじゃん」
「まあまあ」
もちろんミナトだって、ねぎまが女同士の話をしたかったことくらい察している。
「勅使河原さん、泣いてた」
「な」
「あんなん、きらきらまで話、進まねーよな」
「さー。どーなんだろ」
校庭から届く野球部のランニングの声。開け放たれた体育館の扉から聞こえるバスケットボールが床に跳ね返る音。吹奏楽部の個人練習の管楽器。ダンス部のかけ声。32歳の勅使河原さんが高校生だったころも、こんな放課後だったんだろうか。
ももしおから『どっかで待ってて』とメッセージが届いた。ミナトの両親が所有するマンションで待つことにした。金曜なのにいーの? 烏帽子岩の女が来るんじゃね?
「もう内見終わったから」
「内見?」
「借りるかもって人が見に来てさ。先週。
それ終わった」
え、じゃ、土日に部活休んだのって、烏帽子岩の女と会ってたんじゃねーの?
「へー」
オレは騙されない。なぜならミナトは、免許もないのに地下駐車場で赤テスラを見つけたから。それが金曜の夜だった。
「母が掃除に来たから、生レンレンのこと聞けてさ」
「マンションの管理組合の集まりにいるって話?」
「そ」
本当に母親だった模様。
「ミナトが内見に立ち会ったん?」
「そ。母は、別の物件の用事に行った」
ミナトの家は他にも物件を所有している。烏帽子岩の女疑惑が解けたところで、モテ格差が埋まることはない。
日がとっぷりと暮れ、27階の窓が鏡のようになったころ、ももしお×ねぎまがやってきた。
いつもはテンション高めの2人だが、ちょっとしんみりとしていた。
「なんかね、誰かに聞いてほしかったみたい。そーゆーの、あるじゃん」
「私にはマイマイがいて、何でも話せるけど。
例えばホストに貢いじゃったとしても」
おいおいおいおい。
「貢いでんの? 勅使河原さん」
ミナトがねぎまに聞く。
「ううん。ふつーにつき合ってるだけ。
友達にも親にも言えない人とつき合うって、しんどいと思う」
「『自分の気持ちが大事』って、
うちら、綺麗事しか言えなかったよね。
マイマイがいてくれなかったら、
どーしていいか分かんなかったよ」
「読んじゃったから、ね」
「うん」
ももしお×ねぎまが顔を見合わせる。いつもだったら、その後、2人でこてっと首を傾けるのに、今日の2人は項垂れた。
「読んじゃった?」
聞くと、ねぎまはリュックからA4の紙を数枚取り出した。何かのコピー。
「これね、勅使河原さんが文芸部だったとき、文化祭で配られたののコピー。たぶん、それ、勅使河原さんが書いたと思う」
ガラスのテーブルの中央に置かれたコピーには、題名の下に白川流花という名があった。
「たぶんって。ねぎまちゃん、聞かなかったの?」
ミナトは言いながら、A4の紙を手にとってパラパラと読む。
「名前。『てしがわらかおる』の文字の中の字から『しらかわるか』が作れるの」
ねぎまは説明した。一方、ミナトは文章を読みながら顎に手をやった。
「んー。これ読んでも、ぜんぜん『読んじゃった』って感じない。これ、ホラーっぽい推理小説じゃん」
「うちらが読んじゃったのはね、放置状態の高校時代のSNS。昔、ミクランドってSNS流行ったの知らない?」
知らねー。
「何年か前、若者の間で流行ってた?」
ミナトは知っていた。
(注:この小説はフィクションです)
「放置状態ってことは、今もあるってこと?」
オレが聞くと、ねぎまが頷く。
「勅使河原さんは、そこでも小説書いてた。
白川流花が勅使河原さんなら、だけど。
文芸部の硬い感じのと違って、恋愛小説。
投稿されてたのは、勅使河原さんが
高校時代のときと大学生になってからの5月まで
大学生活が忙しくて忘れちゃったって感じ?」
ももしおが顔を歪める。
「高3のときのやつ、めっちゃ悲恋。
好きな男の子が学校来なくなって、
ホストになっちゃう話。
学校を退学するとき、
それまで人気者だった男の子のこと、
みんな軽蔑の目で見ちゃって」
「シオリン、泣かないでよ。
あそこね。うん。
誰も話しかけない中で
黙ってロッカーの荷物
カバンに突っ込むとこ。
私まで、涙が」
「女の子は走って走ってすがりついて止めるの。
熱量がすごくて、泣けて泣けて」
ずずーっと鼻水を啜る音も加わった。
「シオリン、はい」
ねぎまはももしおにティシュを差し出し、自分の涙も拭う。
「それ、実話だったって?」
オレの言葉にねぎまは「きっと、女の子の行動は、勅使河原さんがしたかったこと」と答えた。
ももしおは、ぶーんと鼻をかみながら語る。
「もうね、泣いたの。いっぱい。まだ泣けるし。
生レンレンがいなくなった体育館のバスケ部とか、
卒業写真用にできてきた顔写真を
アルバム委員がコミ箱に捨てるとことか、
受験のときすら笑顔が思い浮かんじゃうとことか、
ああ、もう、うっうっうっ」
生レンレンって言っちゃってる。
ももしお×ねぎまは普通に感動してっけどさ、一般的には思春期における小説は黒歴史。それに、特定できてしまう実在する人間のことを書くのはプライバシーの侵害。人の名前を使うなんてもってのほかーーーBy #横浜イケメンの被害者。
博識ミナト先生によれば、ミクランドというSNSでは、小説やイラスト、自作音楽の投稿ができる。アイドルや趣味について語り合う機能アリ。そして当時、携帯が普及したティーンの女子の間で携帯小説が一大ブームだった。ミクランドでは多くの携帯小説が書かれ、読まれた。暴走族モノと暴力団モノ、そしてホストモノが人気を博していた。
うっわー、不健全な世界。普通に学校生活を送ってると惹かれるのかも。不良がカッコいいって時代があったらしいから。
「なんか、ガチっぽくて、
勅使河原さんに白川流花さんですかって
聞けなかったよ」
ねぎまはそう締め括った。
「ぜーったい勅使河原さんだよ。
あんなに大好きだった人と再会するなんて。運命。
二俣川ってすごい。
港町じゃなくても横浜は恋の街なんだよ。
恋の二俣川。
あれ? なんか、二股かけてる感じんなっちゃう」
ももしおの独り言は放置。
一通りくっちゃべってから、思い出したようにねぎまは袋から食べ物を次々とテーブルの上に出す。ちょうど小腹が空いたころ。いつものように4で割って精算。スマホで電子マネーを送る。便利。ももしお×ねぎま、ミナト、オレの間では、男だから奢るという文化はナシ。楽。
ねぎまとのデートのときも基本ワリカン。
欲しい食べ物は早い者勝ち。表向きは。実際にはミナトのフェミニストに引きずられ、レディファーストになっている。最後は、ミナトとオレが譲り合う感じ。
「ももしおちゃん、文転はやめたの?」
ミナトがみんなのコップに2ℓのペットボトルからお茶を注ぐ。
オレも聞きたかった。友達に聞いてこいって言われてたんだよ。
「文転はやめた。
官僚は考え中。
夢にまで見たもん」
「官僚んなって霞ヶ関で仕事する夢?」
オレが茶化すと、ももしおはオレに両手で拳を突き出す。
「ビシッと着たスーツの両腕の袖口から、
ししやのマスカット羊羹を
シュバババババって飛ばして、
いろんな人にゆーこと聞かせる夢」
なんてシュールな夢。袖の下激しすぎ。コイツの頭ん中ってどーなってんだろ。
珍獣ももしおを眺めながら焼そばを頬張っていると、ねぎまが話し出した。
「勅使河原さん、生レンレンにI市まで送ってもらったことあるって。もう、聞かなくても分かってたけど。一応。アヤCって会社へ行ったのは、カビによる電波障害のテストをしてほしいって依頼があったから。けど、温度を30度以上にしなきゃいけないから、真夏日しか使えないってことで中断したの」
あの状態でどうやってきらきらの話を聞いたのか不思議。その疑問はすぐに解けた。
「マイマイ、『カレシさんの仕事のこと、辛いんですね』って言ったんだよね。そしたら『仕事ってわかってても嫌。だからいつも、カビの胞子をいっぱい置いてくる』って。他の女や仕事の連絡できないように」
すげー。それそれ、1番知りたかったの。
ミナトは「置いてくる」という言葉に反応した。
「勅使河原さんって見えンの? きらきら」
そっか。見えなかったら、いっぱいかどうか分からない。
「見えないよ。
京くんのこと話したら、びっくりしてたもん。
ね、マイマイ」
「カビは目視できるの。
カビを付着させたシートを
使い捨てカイロで温あっためるの。
少しのカビでもかなり胞子は飛ぶって。
幅4センチのテープ状のシート作って、
アヤCのデータ研究所の周りに置いたら
スマホが繋がらなくなったんだって。
シオリン、他になんかあったっけ」
「ほら、工場の配管壊れたやつ」
「あ、そうそう。
確定じゃないけどね、
カビの胞子が水に濡れると、
金属が錆びやすい気がするって。
錆の触媒になってるかもしンない。
工場の配管のカバーが外れたのは、
そのせいかもって」
「なんかね、勅使河原さんの会社、胞子をブロックするミストシャワーがあって、それで濡れる辺の金属が錆びてきてるっつってた」
割と迷惑な代物だよな、きらきらの麦色の胞子。
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