第2話 温泉卵ならぬ横浜工場排水卵






 土曜、晴れ。波、風弱し。クルージング日和。

 部活をサボってカノジョと会えるのは嬉しい。


 ミナトとオレは男子硬式テニス部所属。

 インターハイとかランキングとは無関係のゆる〜い部活。そのゆるさ故、出欠席自由。テニスコートの数に対して部員が多すぎるため、欠席するとありがたがられる。練習試合の場合も現地集合現地解散、参加自由。



「うっす。宗哲」



 船の点検をしていると、眠そうな目をしたミナトがやってきた。


 船を係留してあるマリーナと待ち合わせのぽかり桟橋は船で約10分。

「妖精さん」とやらはインターフォンチホテルに宿泊しているらしい。海に面して建つインターフォンチホテルの海側に、ぽかり桟橋がある。


 インターフォンチホテルまでは交通の便がいい。一方、船を係留してあるマリーナは駅からもバス停からも離れた場所。パシらされてる感がハンパない。



「うっす。こっちきてくれたんだ?」



 いーヤツ。


 ミナトは両手をポケットに突っ込んだまま、長い足でひょいっと船尾から船に乗り込んで来た。

 潮風にゆるふわウエーブの髪を揺らしながらの大あくび。かろうじて口を覆った大きな左手には、女の子がセクシーと称賛する長い指がついている。

 オレはミナトにライフジャケットを1つ放り投げる。それをキャッチすると、ミナトはリュックからジュースやお茶を取り出す。今日のおもてなし用だと言う。さすがの心配り。



「おー。さんきゅ」



 そこまで気が回らなかった。



「ほい、生卵も」


「ナイス。やっぱ卵っしょ」


「眠い。もし寝たらごめん」



 ミナトは一言断ると、バウバースから毛布を引っ張り出して包まり、一瞬で寝た。


 オレは船の点検を再開。燃料チェック、エンジンチェック、人数分のライフジャケットを用意、クラブハウスに出港届提出。出航。



 ぽかり桟橋へ迎えに行くと、ももしお×ねぎまと他2名が待っていた。

 ねぎまはベージュのTシャツに白のデニム。キャップも似合う。

 制服も似合う。大人っぽい私服も似合う。今日のようなカジュアルな服装は1番好み。


 ももしおはダボっとしたデニムに細い脚を隠していた。乗船するときはスカート禁止にしてある。コイツは平気で脚をM字に開いて座るから。見せパンだとほざくが、見せパンでもこっちは視線が行って困るんだよっ。


 ところで他2名は、ももしおお気に入りの美少年と老婦人。ばーちゃんのことは聞いてない。どこで知り合ったんだろ。小学生となんて。しかもばーちゃんつき。


 ガキんちょの名前は成田けいだと紹介された。



「本当にありがとうございます。孫をよろしくお願いします。

 こちら、お召し上がりください」



 品の良さそうな老婦人は、深々と頭を下げながら大きな紙袋を差し出す。



「どうぞ、乗ってください」



 ジェントルマンミナトが、船から降りて老婦人の手を取った。

 しかし、老婦人は船酔いするから乗らないのだそうな。

 ってことで、5人で出発することになった。



 ……。

 視線を感じる。

 ガキんちょの視線。

 コイツ、この間、横浜駅西口五番街にいたヤツじゃん。あの、3階くらいの高さにあるファーストフード店の外看板に座ってたイカれたヤツ。見覚えのあるマジックテープ付きの靴。

 確かに美少年。間近で見ると顔の強さがエグい。身長は150センチ弱。


 視線を感じるのは、あっちもオレを覚えているからだろうか。分からん。目が合ったのはほんの一瞬。

 もし覚えられているならマズい。マズイマズイマズイ。

 あの状態を見て見ぬふりしたとバレたら人間性を疑われる。ましてや小学生。子供が危険なのになんて人なのって愛するカノジョに幻滅される。ねぎまがそんな人間を許すはずがない。


 あっちが覚えてたら、人違いだったことにしよ。

 大丈夫。オレの顔は100人いたら99人が忘れる顔。

 バレないことを祈りながら。ロープを外して船を離岸させた。


 老婦人からの紙袋の中身は、インターフォンチホテルのレストランの品々だった。豪華。

 ももしお×ねぎまは容器に入った色とりどりの品を次々に開封。「わぁ♪」という歓声&拍手と共にメニュー確認。デザートとスイーツまで。星がついてるホテルのレストランのケータリング、絶対美味い。


 なんでオレだけ操舵係なんだろ。

 なくなる。食いたい。



「千葉のどこに住んでるの?」



 ももしおが京に尋ねている。会話はエンジンと波の音に混じって聞こえてくる。

 千葉。へー。



「I市です」



 京が敬語で答えている。



「TDL近い?」



 女子ってTDL好きだよなー。



「ぜんぜん。千葉だけど遠いんです。

 こっからと変わらないかもです」


「今度、TD Lで待ち合わせしてあそぼーよ♡」




 気持ちいい潮風。平和。


 海から見る横浜は美しい。

 都市計画によるバランスが取れた人工的な美しさ。

 ランドマークタワー、観覧車、残された赤レンガ倉庫。THE横浜。

 横浜がこう見られたいと考え造られた街。

 オレはそんな努力し前進する横浜が好きだ。


 一方で、開発からうっかり取り残されたような横浜駅西口五番街にも惹かれてしまう。



 THE横浜の景色を眺めた後、そのまま船を京浜運河に進めていく。

 このエリアはプラントが多く、夜は蛍のようにライトが灯り、未来都市の一部を切り取ったような幻想的な空間になる。マニアにはたまらない場所。時々、夜景用の観光船が出るほど。



 確かこの辺。あった。

 オレは工場とかもめプラザホールの境辺りに船を停泊させた。他の船の通行の妨げにならなくてちょうどいい。と言っても、今日、土曜にこの場所を通行する船はほぼない。

 かもめプラザホールは公共のイベントホール。隣の工場の壁には、大手化学メーカー企業の名称が書かれている。


 エンジンを止めると、ミナトが網を求めてやってきた。



「ここか。分かりやすいじゃん。

 宗哲、網、どこ?」


「卵6個? なら、これがいいかも」



 オレは祖父の魚釣りの道具の中から、スカリを取り出す。ミナトはビニール袋の中にミネラルウォーターを入れ、その中に生卵6個をIN。オレの祖父は「殻剥くからいーじゃん」と言っていたが、神経質なミナトは卵をそのまま網に入れられないらしい。オレもどっちかってゆーとミナト派。ちなみにももしお×ねぎまは祖父派。

 スカリをそっと、湯気がたちのぼる海の中に沈めていく。スカリがしっかり海に入ったところで船の手すりに固定した。



「30分。タイマーセット。宗哲のお祖父じいさん、いーとこ知ってっじゃん」


「魚、いなさそ」


「いたら煮魚だよな」



 ここは祖父に教えてもらった秘密のスポット。



「何してンの?」



 ねぎまが海の中に浮遊するスカリを覗きこむ。



「温泉卵作ンの」


「温泉卵? そういえば、湯気出てる」


「こっちの工場、熱処理するとき熱湯ができるらしくて。で、環境だかエコだかで、こっちのかもめプラザホールの暖房、その水を循環させて使ってんの。冬だけ。今、暖房用の水いらないから海に出てるんだって」


「えー、それっていーの?」


「知らね。一応、この水なんとかする工事予定はあるって聞いた」



 祖父からの聞いた釣り人情報。



「ふーん。温泉卵ができちゃうなんて、すごいね」



 ねぎまは、スカリの紐を持ってゆらゆら揺らして遊ぶ。



「温泉卵?」


「うわっ」



 びっくりした。背後に食べ物の話に敏感なももしおが立っていた。いつの間に。



「工場の熱いお湯使っての」



 ミナトがそれだけ言うと、ももしおは首からかけていた双眼鏡で工場とかもめプラザホールを繋ぐ太さ15センチほどの何本ものパイプを眺める。その双眼鏡、オレのじゃん、いつの間に。



「温泉卵の適温は65℃。ふーん。海水と絡んでいい感じになるなんて、さすが恋の港街横浜」


「恋の港街初耳」



 ももしおはオレの茶々をガン無視。双眼鏡を覗きながら、ふむふむと独り言。

 


「あそこにある小さい箱っぽいのが制御装置ね。

 切り替えスイッチは箱の中にありそ。

 通常はリモート操作だろーけど。

 設定温度41℃にしてお湯引いたら、360度オーシャンビューの温泉「工場排水だからな」



 オレはおかしなことを企むももしおを制した。ももしおは冗談じゃなくガチ。この船でやりかねん。


 工場とかもめプラザホールの間にはクリーム色のパイプが数本繋がっている。施設の地下部分から温めるからか、工場から来たパイプはかもめプラザホールの地下部分へ潜り込んでいる。地上より低い海からはパイプの様子がよく見える。

 暖房を必要としないこの季節、パイプからのお湯は音を立てて海に繋がる側溝に流れ込んでいる。



「工場の向こう側にでっかい温室があってさ、イグアナとか派手な鳥いる」



 オレは言ったが、ねぎまは興味がなさそう。



「イグアナかぁ。カピバラの方がいい」



 小学生のときに行った巨大温室は研究施設の一部らしく、白衣の人が試験管を持って歩いていたっけ。

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