scene 00 ちーちゃん

 ――尚人が二年生になった日。


 彼のクラスに一人の転校生がやって来た。


「早速ですが、今日は皆さんに転校生を紹介したいと思います。……入ってください」


 新しい担任教師に呼ばれ、そそくさと教壇に移動する生徒。その姿を見た瞬間、尚人は雷に打たれたような衝撃を受けた。


「ちー……!」


 うっかり声をあげてしまい、慌てて口を閉ざす。


 隣の席に座る女子が、驚いた表情で尚人の横顔を見つめた。


(間違いない、あれは幼なじみの……)


 尚人は、息苦しいほどの胸の高鳴りを覚えながら、心の中で噛み締めるように呟いた。


 転校生は幼なじみの「ちーちゃん」だった。見た目の印象は昔とかなり違うが、間違いない。尚人が大好きなちーちゃんを間違えるはずがなかった。


「はじめまして。このたび隣県の高校から転校して参りました――」


 転校生が、高く澄んだ声音で自己紹介を始める。


 尚人は首を傾げた。


 幼い頃はただ「ちーちゃん」と呼んでいたので、本名を聞いてもピンと来なかった。しかも「ち」と読める字がどこにも使われていない。名前だけで判断するなら別人だ。それでも尚人は、転校生がちーちゃんであることを疑わなかった。


 ――そんなことより早く話がしたい!


 尚人は、どのタイミングで声をかけるべきか迷った。


 このあと控えているのは始業式だけだ。学校が終わってから声をかけても遅くはない。だがそうなると、入学式を終えたみゆきが尚人のところに来てしまう。場合によっては、進級祝いだ入学祝いだと言って、あちこち出かけたがるかもしれない。


 それは困る、と尚人は思った。


 みゆきは、幼い頃からちーちゃんのことを快く思っていなかった。仮にちーちゃんを誘ってもギクシャクするだけだろう。できれば二人を会わせたくない。 


(……よし、それなら!)


 尚人は、全校生徒が体育館へ移動する時間になると、ちーちゃんの後ろに近づき、その耳元でそっと囁いた。


「ちーちゃん?」


 尚人の声を聞いて、ちーちゃんはビクッと肩を震わせた。


「え、どうしてそのあだ名を知って……。もしかして、あーくん!?」


 その瞳が幼なじみの姿を認め、驚きと喜びの色を湛える。


「やっぱりちーちゃんだ。久しぶりだね。また会えるなんて夢にも思わなかったよ!」


 感極まった尚人は、つい声が大きくなってしまい、慌てて口元を押さえた。


「懐かしいね、あーくん。ホントにまた会えるなんて。でもね、ちーちゃんって呼ばれるのはちょっと……」

「あ、もしかして恥ずかしい?」

「それもあるけど、今は苗字が違うから『ちーちゃん』じゃないんだ。下の名前も男の子ってイメージが強いから嫌いだし、できれば苗字で呼んで欲しいかな。あーくんのことも学校では阿久沢君って呼ぶから」


 今は苗字が違うと言われて、尚人はようやく、ニックネームが本名にかすりもしない理由に思い当たった。


 それは、ちーちゃんが引っ越した原因でもある「両親の離婚」だった。母親に引き取られた今は、母方の姓を名乗っているのだ。確かにもうちーちゃんではない。


「そっか。俺さっきの自己紹介で初めて本名知ったけど、この『ちーちゃん』ってあだ名、実は苗字から来てたんだな」

「うん、父の苗字が茅原だったから。僕がそう呼んでって頼んだんだ。みんなのニックネームも、僕が苗字を聞いて勝手につけたんだよ」


 尚人は頷き、そして笑いながら言った。


「茅原のちーちゃんか。その法則であだ名をつけるなら、今のおまえはちーちゃんじゃなくて『とーちゃん』だな」

「あ、そんなオヤジみたいなニックネーム、絶対に許さないからね!」


 元ちーちゃんは両頬を膨らませた。


「じゃあ、二人きりのときは何て呼べばいいんだ?」

「それは……うーん、もう定着しちゃったから、やっぱりちーちゃんかな?」

「何だよそりゃ」


 尚人は、照れ臭そうな遠山ヨシキを見つめて楽しそうに微笑んだ。


(了)

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幼なじみの終わり方 川奈雅礼 @kawana_gare

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