シオちゃん 後編

3ヶ月後に訪れた結婚式の日、式場として指定された料亭に集まった何十人の参列者の中に、かつてクニハルくんとシオちゃんの恋模様に胸をときめかせていた仲間達が集結していた。5年しか経っていないにも関わらず記憶よりも遥かに大人っぽくなった仲間達と再会を喜んだのち、家業を継いだとか、昇進したとか、交際中の相手と結婚を考えているとか、月日の経過と人としての成長を感じさせる近況報告がいくつも聞かれたが、誰ひとりとしてクニハルくんの名前は口に出さなかった。まるでクニハルくんの存在が忘れられてしまったかのようだったが、会話が途切れるごとに何人かがソワソワして、誰かが別の話題を出したら安心したようにその話題に乗っかって、そういう様を見ていると、皆ただ言い出せないだけでクニハルくんのことを気にしているのだろうと思われた。

結局誰の口からもクニハルくんの名前が出ないまま結婚式は始まり、そこで初めて目にした光男氏の姿に息を呑んだ。

高砂の前に仁王立ちになった紋付袴姿の光男氏は遠目からでも圧倒される程に背が高く、ギョロリとした大きな出目と高い鷲鼻、真一文字に結んだ口は男前だが気難しそうな印象を抱かせる。もう少しすればシオちゃんが式場に入ってきて、この人の隣に並ぶなんてところが全く想像できなかった。

しかし間もなく、黒い留袖姿の母親に手を引かれて式場へと入ってきた白無垢姿の花嫁は間違いなくシオちゃんだった。参列者やカメラマンが放つフラッシュとシャッター音が浴びせられる中、高砂へ向けて私のそばをそろそろと通り過ぎていくシオちゃんの、綿帽子の端から僅かに見える横顔は物憂げで惹き込まれるような色気があった。

それから光男氏と指輪を交換する時に浮かべた控えめな微笑み、夫婦固めの盃に口をつける瞬間に垣間見える細く伸びた睫毛、誓いの言葉を読み上げる光男氏の隣で参列者を見据える真っ直ぐな瞳と、私もスマホを携えていたにも関わらず撮影するのを忘れてたシオちゃんに釘付けになっていた。単に5年の歳月を経て洗練されたシオちゃんの美貌に見惚れていたのもあるが、シオちゃんのふとした瞬間の表情に憂いが見て取れて、シオちゃんの心の内にまだクニハルくんへの想いがあるんじゃないかと思うと目が離せなくなってしまったのだ。

挙式が終わると、新婦のお色直しの後に披露宴が始まった。大小様々な牡丹が描かれた赤い色打掛に、小花で作られた髪飾りで纏めた茶髪へと装いを変えたシオちゃんは、挙式での様子に比べて表情が柔らかくなったように見えた。

私は20畳はあろうかという広間に2列に並べられた長机の、高砂から最も遠い参列者席で同級生達と昔話に花を咲かせながら、高砂へ集っている鬼頭家とシオちゃんの家の親戚が捌けるのを待っていた。そこへ同級生のマイが不意に「もったいねえなぁ」と呟いた。


「マイ」


「あ、ごめん今のは完全に失言やった。もう言わん」


「でも分かるわ。シオちゃん訳分からんぐらい可愛いから、東京出たら天下取れたわ」


「正直クニハルより素質あるよな」


クニハルの名前が出された瞬間、同級生達は一瞬顔を引きつらせた。名前を出した張本人であるノブはしまったと言わんばかりの顔をしている。

するとまたマイが「もったいねえよな」と漏らした。


「秒で公約破ったわコイツ」


「まあまあまあ。でもシオちゃんが東京行っとったら今ごろ鬼頭のイケメン息子の隣は私やったかもやで」


「どこで出会うねん」


私はすかさず突っ込んだ。皆を囲っていた気まずい空気が吹き飛んでドッと笑いが起きた。

ふと高砂に目を向けると、光男氏の知人であろう老若男女数人のグループが捌けようとしていたので、同級生達に呼びかけて高砂へ向かった。シオちゃんは私達をすると花が咲いたような笑顔を見せ、席から立ち上がろうとしたので、私達は「立つな立つな」と慌てて嗜めた。


「みんな私達のコンビ結成式に来てくれてありがとう」


「結婚式してくれ」


「何の為の白無垢やったん」


「せっかく来てくれたし写真撮ろう。ミツさんが撮ってくれるって」


「おう任せとけ」


「光男さんも写るんだよ」


「結成だとしても主役やろ」


シオちゃんは学生時代と同じように小さなボケをいくつも繰り返した。驚くことに気難しそうだと思っていた光男氏も、厳つい顔を優しく綻ばせてシオちゃんのボケに乗っかった。

私がシオちゃんについて抱いていた心配は杞憂に終わったらしい。光男氏のことを『ミツさん』と呼び仲睦まじい様子を見せるシオちゃんを見ていたら、ここ数ヶ月のうちに胸の内にかかっていた靄が嘘のように晴れてきた。

クニハルくんも当時こそ本気でシオちゃんを迎えに来るつもりであんな宣言をしただろうが、きっと今頃は忘れているか青春の思い出として胸に収めているハズだ。シオちゃんがすんなりと光男氏との結婚を決めた辺り、クニハルくんとロクに連絡も取れてなさそうだし。

シオちゃんの父親がシャッター係を買って出てくれたので、光男氏とシオちゃんの背後へ同級生達と共に並び、写真を撮ってもらった。シオちゃんの父親が構えるスマホに笑顔を向けていると、不意に隣のマイが「おい、おい」と小声で私に呼びかけながら、目線を下に向けるよう促してきた。言われた通りにしてみると、机の下でシオちゃんの手と光男氏の手が繋がれているのが見えて、胸の奥を圧迫する程の愛おしさを感じた。




結婚式から2ヶ月程が経って、思わぬ形でシオちゃんと再会した。

ちょうど盆休みに入った頃だ。実家に帰省して惰眠を貪っていたら母からお使いを頼まれたので、買う物を書いたメモとサイフをボディバッグに突っ込んで、薄手のパーカーをサッと羽織って町の外れにあるスーパーへ買い出しに出たら、詰め放題のオクラをビニール袋一杯に詰めているシオちゃんと出くわしたのだ。

Tシャツにハーフパンツ、うなじの辺りで1つに結んだだけのロングヘアという簡単な格好をしていたシオちゃんは、化粧をしていないにも関わらずつややかで可愛らしい顔を恥ずかしそうに赤らめて「いま限界に挑戦しよんねん」と笑っていた。


「というか久しぶりやんな。こないだは結婚式来てくれてありがとう」


「こちらこそ呼んでくれてありがとう。コンビ結成式やなかったんやな」


「まあ似たようなもんやな」


「似ても似つかんけどな」


「それよか聞いて聞いて。先月クニハルが帰ってきとってビックリした」


「ウェッ」


「えっ」と言いたかったのに妙な声を出してしまった。結婚式以降、私の中から忘れ去られていた名前がシオちゃんの口から出てきた驚きが声に乗ってしまった。


「ウソ、今まで盆も正月も帰ってこんかったよな?急に何?」


「それがどうもな、チホ達がピクグラに上げた結婚式の写真見て飛んできたらしい。ホラ、アイツが卒業式で私を迎えに来るとか言っとったやん。アレ今まで本気でおったんやと」


クニハルくんはシオちゃんへの宣言を覚えていた。実行するつもりでもあったらしい。

この時、私はよほどすごい顔をしていたのか、シオちゃんが「そうよな、そんな顔するわな」と私の顔を指して大きな笑い声を上げた。


「いや私もそうよ。だって卒業して初めの頃はよく電話したりしよったけどさ、だんだん電話繋がらんくなってメッセージも既読スルーばっかやし、ここ3年ぐらい全く連絡取ってなかったけん、もう自然消滅したと思っとったもん。やけんそのこと話して『今更すぎる』って言って、ちゃーんと振ってきた。だいたい俳優になるって言いよったけど、まだメンコンの末端止まりやしな」


「メンコンて、ようそんなこと知っとるな」


何気なくそう相槌を打ったが、直後にシオちゃんの顔を見て、自分が言葉選びをしくじったことに気づいた。

シオちゃんはアーモンド型の目を真ん丸になる程見開いて固まっていた。口許は笑みを保とうとしていたが明らかに引きつっていて、私が何か踏み込んではいけないところに踏み込んでしまったことを悟らせた。


「あ、シオちゃん、ごめん」


「いや、いや、ごめん、違うんや。ごめん、これは聞いてほしいかも」


シオちゃんが私のパーカーの袖を掴んだ。


「癖づいとったんや」


「癖…?」


「クニハルが上京してすぐな、今のメンコンに入ったんや。そんで自分のSNSアカウント作って日々のこと呟いとって、最初は俳優デビューしますーみたいな投稿が来るのを待っていつもチェックしとったんやけど、俳優デビューどころか事務所に入った様子も無くてな、メンコンでも人気無いし、連絡が取れんのもあってもう待つ必要は無いと思ったんやけど…もう見るのが癖になっとって」


シオちゃんはうつむき加減になりながら早口で喋った。大きな瞳が右へ左へと泳いで、その間にいくつも言葉が紡がれた。

クニハルくんがシオちゃんを迎えに来るつもりでいながらも日々燻っていた一方で、シオちゃんは現実的な人生を歩みながらも内心ではクニハルくんを待っていたらしい。この2人は上手くいけば結ばれたかもしれないと思うと、また胸に靄がかかり出すのが感じられた。


「いや、でももう辞める。辞めなぁいかん。別にミツさんと結婚したことに不満抱いてないし、むしろ毎日楽しくて仕方ないし。ていうかクニハル振ったし。あの、今さっきの件はどうかご内密でお願いします。後でこのオクラあげるけん」


シオちゃんがお辞儀をしつつビニール袋いっぱいのオクラを差し出してきた。私が「賄賂なんぞくれんでも誰にも言わんわ」と突き返したら、シオちゃんは元通りとまではいかないが明るい笑顔を見せた。


「あ、でも昔の男チラつかせたら夜が激しくなるかな」


「知らんわ。エロ漫画の読み過ぎや」


「数える程しか読んでないわ」


「読んではおるんか」


揃って大きな笑い声を上げた後、落ち着いたところでシオちゃんが「もうそろそろ帰らな。また会おうな」と手を振ってきた。こちらも手を振り返し、ビニールに詰めたオクラを買い物カゴに突っ込んでレジへと向かうシオちゃんの背中を見守った。

不意にシオちゃんがスマホを取り出し、 画面をじっと見つめて親指をある一点に近づけ、止まってしまった。そうしてややあって、意を決したような面持ちで画面に親指を当てた。シオちゃんの顔はスッキリとした様子だったが、どこか寂しさを感じさせた。

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思いついた恋愛の話 むーこ @KuromutaHatsuro

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