十話 邂逅(わくらば)に

 男は自分が荷車から引き出した人物を眺めながら表情を緩めて言葉を発した。

 「良かった。無事だったか」

 自分を見下ろすのが誰か分かるとソレルは涙が出そうになるのを堪えた。それと同時に少年が勢いよくシャトウィルドの両足にしがみついた。

 「お姉さん、逃げて」

 懸命にも男を足止めしてその間に逃げてもらおうと考えたようだ。だが遊んで欲しくてしがみ付いているようにしか見えず、シャトウィルドは笑いそうになりながらこれ誰、と目で質問した。

 「大丈夫よ。この人は私のお友達、助けに来てくれたの」

 ソレルが言うと少年は力が抜けて座り込む。シャトウィルドを見上げて呆けた顔をしている。きっと気が抜けたのだろう。思いつきで逃がそうとしたから、気の張り方は並みではなかったはずだ。

 ソレルは目の前の彼をもう一度よく見た。いつもの彼が見返している。もうだめかと何度も思っていた。間に合わないと思っていた。

 「もう会えないかもって覚悟した・・・」

 言葉と一緒に感情も溢れ出し抑えられない。絞り出すように続けて言った。

 「来てくれてありがとう」

 手を借りて荷車から出ると思いっきり伸びをした。シャトウィルドは安堵を表情で怪我をしていないか確認した。見たところ悪いところはなさそうだった。

 しかし、ソレルが一歩踏み出した時、よろけて膝と両手をついた。

 「大丈夫か?」

 手を差し出して助け起こす。

 「どこか痛いとこあるのか?」

 「そうじゃなくて・・・・・」

 言いたくないといった顔で視線を別の方へ彷徨わせる。何をどう思ったのか、急にシャトウィルドは語気を荒げて、

 「まさか、何かされたんじゃないだろうな」

 肩を強く掴んで言ってきた。あまりの真剣な眼差しに、しかも何か勘違いしているようで本当の事を言うのが恥ずかしくなるソレル。

 一瞬の沈黙の後、ソレルは大きく息を吸って、意を決する。そしてか細い声で呟いた。

 「違うの。お腹が空いて力が入らなかっただけ」

 言った直後、顔が俄かに恥ずかしさで赤みを帯びる。それらはシャトウィルドの中で整理され、納得したが別の疑問が現れる。

 「それじゃぁ、あいつらお前に何も与えなかったって事?」

 「そうじゃなくて、美味しくなくて食べれらなかったの」

 おいしくなかった。

 久し振りに聞く言語だったのでシャトウィルドは理解に時間がかかった。ソレルは美味しいものを匂いと本能で選ぶ。それが間違う事がなく、不味いものは最初から手を付けない。おいしくなかったとはつまり、不味そうだと感じても食べたという事だ。

 その過程で何かを思い出して首を捻る。

 「かなり前にまずいの大量に食べた事あっただろ」

 学生の頃の話だった。

 「だって、それは。友達の為じゃない。困ってる友達の為だもの。我慢もするよ」

 あの時の自分を褒めてもいいとしみじみ思い出しながら答えた。

 そうだよなと言いたげにシャトウィルドは頷くが、何かが気にかかる。

 「で、ずっと空腹のままって事?」

 「果物は食べたよ」

 理解したというように再び頷くとシャトウィルドは背中を向けて屈む。何をしているのだろうと立ったまま見ていると急かす声が飛んで来た。

 「早くおぶされ」

 と、手をひらひらさせて呼んだ。手招きされてもこの状況は理解に苦しむとソレルは思った。まさか自分を背負って行こうとしているのか? それは無理だろう。もう成人しているし、怪我を負っているわけでもなし。などと考えていると、何故か少年がソレルを押してくる。ぐいぐいと背中へ向かって押しながら「いいですね」「安心ですよ」と言っている。

 「何で? 子供じゃないよ。重くなってるよ」

 思ったよりも強かった少年の力に負けて一歩ずつ背中へ。

 「大丈夫。<ルーシ>の補助がある」

 シャトウィルドは普通に答えるがソレルはまだ納得がいかない。子供の頃のお遊ぶならともかく、今はお互い成人した男女。どうしてそうも平然としているのか理解出来ないソレルは場所も情況もわきまえず動揺している。

 「私が大丈夫じゃない。恥ずかしいでしょう」

 つい大声を出してしまったが、結局シャトウィルドの背中へ押しやられ、がっしり掴まれ背負われてしまった。

 立ち上がった後の見晴らしはいつもより高くて遠くが見える。恥ずかしさを一瞬忘れて彼がいつも見ている景色はこのような感じなんだ、と知った。広い背中が安心感を与えてくれて恥じらいは残るもののこの状況を受け入れた。彼の優しさに思わず背中を軽くさすると「気持ち悪いからやめろ」と言われて笑ってしまった。つられて少年も笑った。

 その時、不意に城の方から赤い何かが放たれた。それは真っすぐ勢いよく飛んで行く。城より離れた場所へ向かって行くそれを見たのは彼らだけではない。驚きの声があちこちで上がり、まだここは敵地なのだと改めて思わされる。シャトウィルドは移動を早めるべきと考えた。通信装置はロリイと繋がっているはずなので、無事合流出来たと分かっているだろう。すぐこっちへ来てくれるはず。この状況では守るもの戦うのも難しい。

 「あれ、何だろう」

 シャトウィルドの背中から問うてくるがその答えを誰も持ってはいない。

 その赤い物体は上空で消えると、次にはアサンの光が差し込みゼルダの大地を照らしていく。

 ゆっくりと霧が晴れていき国の全体がはっきりと目の前に現れる。

 そこは以前のゼルダ国とかけ離れた国だった。少なくとも記憶の中の国ではなかった。


 ゼルダ国は仄かに乾いた薬草の香りがする。

 そう感じたのはソレルが初めてその国を訪れた時。元々匂いを嗅ぎ分ける習性があったが、その香りは不快だとは思わなかった。むしろ優しく慈しむようで、気が置けない香り。

 そこで出会った兄妹も大事な大事な友達。一年ほどの付き合いだったがそれ以上の歳月を過ごしたと勘違いするくらいの濃密さだった。

 だから彼らが留学して以降ゼルダに何が起こったのか全く知らなかった。知ろうともしていなかった。

 今目の前の光景は緑豊かでもなく、水をたたえてもおらず、仄かな薬草の香りもない、死んだ町のよう。かつての薬草園の畝には雑多な植物が生えて名残もなく荒れ放題。薬効のある木々が手入れがされておらず、枝を伸ばし放題。さらに建物も傾いたもの、植物に覆われているもの、倒壊したものもある。

 どうしてこんな状態になってしまったのか、疑問だけが騒いでいる。

 ソレルだけがこの光景に言葉を失っていたが、シャトウィルドと少年はそうではなかった。彼らは町を歩いていたので既に知っている事だった。

 「合流出来たんですね」

 呆然として町を見ているソレルの耳に初めて聞く声が届いた。他の道からやって来たロリイはシャトウィルドの前へ来ると安心したように和やかに言ってきた。

 「もう抜け出してたんだ」

 「へぇ、小さいのに凄いな」

 おかしな言い方だと思ってよく見ると勘違いで少年を見ている。いくら何でもこの間違いはないだろうとシャトウィルドは慌てて正す。

 「違う違う。こっち」

 と背中をさりげなく示す。

 ロリイは視線を上げるとシャトウィルドの背中の向こうから自分を見ている二つの翡翠を認めた。

 「────ロイゼン」

 ソレルの口から勝手に出た言葉。

 ロリイは自分のイゾを言われて大変驚いたが、直後体の内側から何かが起き出した感覚に襲われた。

 ずっと待っていた、待ち焦がれていた、この時を。

 待っていた? 何を、待っていた。

 ロリイは内から湧き上がってくるこの感情を抑え込めない。全身を駆け巡り、自分を自分でない者へ変えてしまう程の強い感情。これはイゾに記憶されたもの。自分以前に誰かの感情。そんなものがあるとは知っていても実際に今の自分に現れるとは思ってもいなかった。

 ロリイはさらに感情が溢れて自分がそれに支配されないかと恐れ、無意識に胸に手を添えて出て来ないように祈った。

 「いや、こちらはダルーナのロリイ。今回お前の救出に協力してくれたんだ。あとでしっかり礼を言えよ」

 シャトウィルドは背中に向かって言った。

 「そうですか、こんなところから失礼しました。ガリアのソレル・バールメクです。今回のご尽力に感謝します」

 初めて会う人に対する礼儀正しい笑みを浮かばながら言った。

 「ダルーナとして当然の事をしているだけです」

 ロリイは背中から顔だけを出して言うソレルをもう一度みたが、もう変な感情は起こってこなかった。安堵の表情と共に自己紹介をした。

 さっきのは何だったのだろう、と思い返してみた。突然起こったイゾの記憶の再現。かつての自分が彼女と知り合いだったのか、それとも彼女のイゾに反応したのか。だが今の自分には関係のない事だ。全部前の人達の人生に起きた事だ。そう割り切って今の務めを果たそうと決意する。




 目的の救出は果たされ、あとは脱出するのみ。彼らは急いで港へ向かった。シャトウィルドは背負ったままで、ロリイは周りを警戒しながら最後尾につき、少年も一緒に行く。

 この段階でソレルは少年の事を説明し、今後の面倒を見ると伝えた。彼の希望を尊重して成人するまでの責任を持つと。

 シャトウィルドは頷いて聞いていた。

 その後、港へ急ぐ彼らの後を追って来る気配があった。ロリイはそちらを見て<ルーシ>を送る。キッシアが部下を連れて追い付いて来たと分かる。

 「殿下」

 ガリアの城の奥では禁句の言葉が出た。それを平然と言っているキッシアって何者なんだ、とシャトウィルドの中で謎が深まる。

 「キーちゃん?」

 ソレルは彼女を認めると向きを変えようと動いた。シャトウィルドは落とさないようにしっかり支え直す。下ろすように言ってきたので彼は腰をかがめておろしてやった。ソレルはキッシアへ真っすぐ走って行って抱きついた。

 「キーちゃん、キーちゃんも来てくれたんだ」

 と泣き出しそうな声で叫んだ。キッシアは背中をさすりながら幼子をあやすように話しかける。

 「当然ですよ。相変わらず甘えん坊さんですね」

 しゃがれた声だが穏やかで優しく言っている。

 この様子を見てこの二人は誰と誰だ、とシャトウィルドはさらに驚く。彼は驚かされっぱなしで、どう反応して良いか本気で悩んだ。

 この二人は面識があるのだ、自分が知らないだけで。そんな事を思いながら、どうして自分には知らされていないのかが気になった。ソレルの側近といわれてかなり経つのに、知らない事が意外と多い。あの人に遊ばれているみたいで何ともむず痒い感じがしていた。

 「霧を晴らしたのでそろそろあの木が動き出すかもしれません。急ぎましょう」

 さらりとソレルに言ったのだが、あの木と動き出すという言葉が気にかかる、シャトウィルドとロリイ。キッシアに説明を求めると彼女はミレイシャから聞いた話を語った。ゼイラーの昔ばなしは省略して。

 麻薬が打たれていたと知った彼らの驚きは言うまでもない事だが納得できた。ソレルはおもむろに服の下に隠していた筒を取り出した。

 「これ。この子が持ってきてくれたの。これを持ったままだと自由に動けたから出て来れたんだよ」

 全員が注目した。ソレルの手にはやや大きめで手の平の三倍くらいの長さ。点灯していた光は今は消えている。

 「あの時持っていたな」

 あの時とはもちろんクリーニ館から連れ出された時。

 「これを壊せばいいんだな?」

 言いながらシャトウィルドは筒を取り上げた。

 「待ちなさい。すぐ壊していいのですか?」

 意外なキッシアの言葉に全員が疑問を共に振り向く。

 「ミレイシャは麻薬の効果は残ると言っていました。それと麻薬との因果関係を調べなくてもいいのですか。この麻薬はまだ解明されていない部分が多いんですよ」

 一度言葉をきった。

 「未知のもの、効果が残ったままでは今後何があるか心配になりませんか」

 彼女の言う事は正しい。この件に選択権を持っているのはソレル本人だが、自分にはどの程度の介入が許されるかとシャトウィルドは考えた。

 筒を持つ彼の手にそっと自分の手を重ねて、ソレルは見上げて頷いた。

 「シャルなら解明できるよね。私は信じてるよ。それに」

 周りを見回し

 「今はこんなにも頼もしい人達がいるから、安心だよ」

 時々見せる、純真無垢な笑みを向けた。これを見せられると何故か逆らう気が失せてくる。直接心の芯を打ち抜かれたような感じを受け、これにやられて何人もの人がソレルに協力してきたものだ。

 シャトウィルドは渋々頷くと了承し、筒は彼が預かる事になった。

 それから彼らは港へ、今度こそ帰る為に向かうはずだった。ロリイが何か不穏なものが現れたと言うまで。

 ロリイは城方面へ向けて<ルーシ>を放つとそれが弾かれ、黒々としたものが沸き起こってくるのを感じた。

 「来る」

 セイドを取り出すと刀身を現し警戒する。

 全員が振り向くと城上空に黒い靄のようなものがある。膨らんだと思ったらそれが四方へ飛んで行き、散ったと思ったらその全てがこっちへ向かって飛んで来る。

 それは骨と皮だけの黒い翼を持ち、短い体毛の胴からは鱗のある黒光りした尾が伸びて、反対側には毛のない細長い首がひょろりとあり、その先端にはつるりとした大きな頭が乗っている鳥だった。目が頭の半分を占めるくらい大きく嘴も大きくて不快な鳴き声を発している。

 それらは子供くらいの大きさで、囲むように舞い降りてぎゃあぎゃあとうるさく鳴く。鳴き声は次第に人の声へ変わり、何か喋っている。

 「・・・・・おかえりかな・・・おじいさん・・・おいてくろ・・・・むかへにきた・・おじいさん・・・・・おいてくの・・・」

 地上に降りた鳥の一羽の嘴から聞こえてくる。

 ぎょろりとした大きな目がソレルを見据える。気味の悪さに鳥から離れようと後退りをする。すると真後ろに別の鳥が降りて来て、同じ事を言い始めた。

 「おじイさん・・・かぁわいそ・・おてけぼり・・・・おいてけ・・・けけけえええ」

 「気持ち悪い。何これ」

 キッシアが今喋った鳥の細首を素早く切る。鳥の首は切られて落ちても喋り続けている。胴と翼の部分は倒れて鉤爪で空を掻く。

 「疑似<ルーシ>ですね、これ。なんて雑な作りでしょう」

 キッシアが切り落とした首と胴体にとどめを刺すと黒いチリとなって黙った。

 ロリイは頷きながらセイドを鳥に向ける。鳥はただ同じ事を繰り返し喋っているだけで、攻撃を仕掛ける気はないようだ。ただ、パルナ老がこちらにいると仄めかしているだけだった。

 疑似<ルーシ>とはイゾを開いていない人が使える偽物の<ルーシ>。ハルストで開発されたもので様々な物に嵌め込まれた何かしらの発生源によって作られる。誰でも使えるそれは使う人によって労働に、生活に、武器にといろいろ。

 「切ると臭いますね。失敗しました」

 とどめを刺した鳥から腐臭が漂い、みな口元を袖などで塞いだ。

 ロリイは喋り続けて囲む鳥を見回してから

 「一気に仕留めます。そのまま動かないで下さい」

 と言って体を回転させながらセイドを軽く振った。それは人を通過してうるさい鳥達だけを切った。人は切らず、人でないものだけを切る<ルーシ>をセイドに乗せて放ったので不気味な鳥達は切られた瞬間に黒いチリとなった。

 「これは腐肉鳥ふにくちょう。もともと腐肉の臭いのする向こう側の生き物です。イゾの奥底から姿を映して疑似<ルーシ>で実体を与えたのだと思います。間違いなく、ダルーナが関与していますね。そいつは僕が相手をします」 

 ロリイは鳥が全部チリとなって消えていくのを確認しながら言った。

 俄かに事態が変わってきたと誰もが感じた。

 「キーちゃん、私の着替え持ってきてくれてたりする?」

 ソレルの突然の言葉に、着替えを持ってくるなんてあり得ないだろうとシャトウィルドとロリイは顔を見合わせた。

 「よく分かりましたね」

 キッシアは片手を上げて部下を呼んだ。その人は外套の衣嚢いのうから包みを取り出し、ソレルに差し出した。ソレルは受け取ると近くの建物へ入って行った。後ろをキッシアの部下が付いて行って見張りをする。

 間もなく着替えて現れたソレルの表情はどこか凛々しさがあった。その顔を見て嫌な予感しかしないシャトウィルド。

 「待たせたわね」

 着替えと一緒にあったおやつを片手に持って言った。服装はいつもの上品な装いではなく、動きやすくこれから野山にでも出かけるような感じだ。

 ソレルの視線が城に向いているのに気付いたシャトウィルドは嫌な予感は当たりだと思う。鳥は間違いなく彼女を誘き寄せる為に放たれている。パルナ老を使って。

 「お祖父様を迎えに行くわよ」

 着替えた段階でそう言い出すと分かったはずだ。本来なら止めるのが正しい。すぐにでも港へ向かい、脱出するべきだ。しかし、今の彼女を止められるのか。この二日間でかなり神経をすり減らしているはず。故郷ガリアの事、何より家族の事を一度も口にしていないのが気になっていた。色々な事が一気にありすぎて整理しきれていないのだろう。麻薬を打たれていた事も含めて。

 最終的にシャトウィルドは止めるという選択をしない事にした。四大ダルーナ、エル-メディーテという自分では望んでも得られない者達が偶然にもここにいる。麻薬を操る筒はこちらにある。あとはどこまで自分が出来るか、やるか、だった。

 ソレルに歩み寄り手に乗せた二つの飾りのない指輪を見せる。

 「使い方は分かるな。強い光だから気を付けて使うんだ」

 普段見せない真剣な顔つきでそっと指輪をソレルの手に握らせた。 

 「絶対に無茶はするな。必ず俺達を頼れ」

 シャトウィルドは握らせた手をさらに自分の手で包み込んでいつも見ている二つの翡翠を凝視した。






 はようやく微睡から目覚めた。

 何か、強く目覚めさせる何かがあった。

 意識が次第にはっきりすると、理解した。

 死んでしまった。今度こそ本当に死んでしまった。

 まだ残っていた微かな繋がりが消えてしまった。


 そして、は泣いた。

 










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ルーシアンミス  アンダステ編 月村  @konfuji

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