第1話 限界です
「あれ、もう行かれるんですか?」
宿屋を出ようとすると、聞きなれた声が耳に入る。
「うん。どうかした?」
「いえ、いつもはお昼くらいに出て行かれるので珍しいなと……」
彼女はエリザ。この宿を経営しているおばさんの一人娘で、おばさんの仕事を手伝っている。
彼女が持っているホウキを見るに、どうやらロビーの掃除をしていたらしい。
「ちょっとな。急いでるし失礼するよ」
仕事の邪魔をしても悪いし、何より俺も急がなくてはならない。
そう思い少し失礼な態度を自覚しながら、彼女に背を向けて早足でドアへと向かう。
「あ、あの、無理は、なさらないでくださいね?」
思わず足が止まり、振り返る。
「……勇者に——」
そこまで言葉が出て、手を口で抑える。俺は何を言おうとしてるんだ?こんなことを彼女に言って何になる?
「……無理なんてしてないよ」
「そうですか?少し顔色がすぐれないようでしたので……」
そう言われると気になってしまい、意味もなく自分の頬をペタペタと触る。
「まあ、今日はいつもよりはゆっくりやろうかな?はは……」
「……!」
なんだか気まずくなってしまい、複雑そうな表情をしているエリザにそう伝える。
ニコッと晴れた彼女の顔を見て今度こそ俺は宿を後にしたのだった。
「少し休むか」
剣についた血を手拭いで拭き取り、鞘に収める。辺りには魔獣の死体が散乱していた。
近くに生えている木に腰掛け、目を閉じる。
「休憩なんていつぶりだろ……」
最近増えている独り言が疑問として出てくる。
今までは日が暮れるまではどれだけ疲れていようが魔物を狩り、宿に戻って泥のように眠っていた。
そうしているうちに目が閉じそうになってしまう。昨夜は少し寝不足なこともあり、この心地よい木陰は俺の眠気を呼び起こしていた。
「ひゃ……!」
ゾッっという圧迫感と共に、先程までの眠気は吹き飛ぶ。
目を開けると、俺の前には頭があった。
頭……?
急いで状況を整理する。
この寒気がするような圧。そして俺が気づく前に懐に入りこんでいるこの頭……
すでにこの頭の持ち主には心当たりがあった。しかしここにいる理由は全く思いつかない。
「ひぇって。ノエルったら随分可愛い声出したね」
「あ……? なんで……?」
エリザとは違う数少ない聞き慣れた声がすると、「こいつ」は振り向く。
真っ赤に染まった目と俺の目が合い、体が震えてしまう。
彼女はルシェ。現在の魔王で……
俺の幼馴染だ。
「ふふ……なんでだと思う?」
「ま、まだ半年経ってない、よな?」
少し震えながら俺が尋ねると、首を左右に振りルシェは否定する。
「違うよー。まだ一ヶ月あるし。まあ鈍感なノエルにはちょっと意地悪な問題だったかな?」
「ご、ごめん……」
とりあえず一番の不安が消え、なんだか力が抜けてしまう。
半年に一度、俺はノエルと戦いに魔王城へと向かう。その約束を違えると……
ルシェに国が滅ぼされる。
背中が冷や汗でびっしょになっているのを感じながら固まっていた姿勢を崩す。
俺の数え間違いで口が滅亡するとかだったらどうしようかと思っていたのだ。
「正解はねぇ……」
俺の足の間からルシェは立ち上がり、俺を見下ろしてくる。
俺は金縛りを受けたかのように固まってしまい、ルシェを見上げて言葉を待つことしかできない。
「ノエルさ、最近ちょっとたるんでるでしょ」
「た、たるんでる!?」
流石に心外なその言葉に思わず大きな声を出してしまう。
俺は「あの日」からルシェと戦うために……勝つために色々と犠牲にしてきた。
「えっと、どこがたるんでるんだ? 俺はめっちゃ努力してるつもりなんだが……」
「は?」
「ひっ」
見下ろしてくるルシェの表情が一気に険しくなり、凄まれてしまう。
「まずさ、今何してるの?」
「これは……休憩を少しだけ……」
再び背中に冷や汗がダラダラと走る。
確かに久しぶりに休憩したが、もしかしてこれがたるんでると思われているのか……?
「そんなことしてる暇あったら早く魔物狩って、強くならないとダメだよ。昨日まではそうだったじゃん」
「……ごめん」
もはや俺には謝ることしかできず、地面にあるルシェの影を見つめながら姿勢を低くする。
「ま……これもあの女に色々言われたからだよね?」
あの女、と言われエリザの今朝の言葉が頭に蘇る。
「私言ったよね? 他の奴らと仲良くするなって」
「な、仲良くというか、あれは長い間同じ宿に泊まってるから自然と少し話すようになったというか……」
自分で言葉を発しながらツッコミそうになる。それ仲良くなってるじゃん。
「それが仲良くなってるって言ってるの。っていうかそれなら他の宿に泊まればいいじゃん」
「そっ……それは!」
予想通りツッコミがルシェから飛んできて、さらに追加で辛い質問を加えてくる。
俺は勇者で何度も魔王城に行ってるのに魔王を倒さないし、何度も無事に帰ってきていることから一部から裏切り者として扱われている。
そこまで行かなくても基本的に世間からいい印象ら持たれておらず、昔命を助けたあの宿屋のおばさんの宿以外にはなかなか泊まりにくいのだ。
しかしこの正論を言ったところで状況がいいとは思えず、俯いたまま言葉が詰まってしまう。
「なんか言ったら……え?」
すると、色々と限界すぎて目から何故か涙が流れる。きっと俺はここで精神的にも肉体的にもボコボコにされるし、王国もこのままルシェに滅ぼされるのだろう。
「ひぐっ……なんで俺だけ……こんな……!」
「な、泣いてるの!? ええ!?」
とんでもない空気になっているのを感じながら、俺はしくしくと泣くのだった。
昔いじめていた幼馴染が魔王に覚醒して、歪んだ感情をぶつけられる かなえ@お友達ください @kanaesen
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