第30話 紙とペン

 兄の婚約者である女の子に詰め寄られた夜。私は、自分の部屋にある天窓から月を眺めていた。あの鮮烈な猩々緋あかのドレスが忘れられない、忘れたくない。

 寝たら忘れてしまいそうで、私はどうにかあのドレスを記憶に留める方法を考えていた。

 だが、私の部屋には沢山の勉強用の本と書き取り用の紙と羽ペンと黒インクしかない。


 しかも枚数やインクは侍女に管理されており、無駄遣いしたら怒られるのもわかっていた。

「王族の血が半分しか流れてない庶子のくせに」と彼女はよく私を罵っていた。あれは叱りではなく、貴族付きになるはずが『無き者』に付けられた彼女の恨みだった。


 どうすれば良いのか、私は初めて月にお願い事をしたのだ。国語の勉強で、星に願う人の話を知り、稾をも縋る気持ちだった。


 すると、不思議なことが起きた。

 月の光を浴びた場所に、一冊のスケッチブックが現れた。


 私は初めて見たスケッチブックを手に取り、表紙を捲る。そこには汚いクレヨン文字でこう書かれていた


 ーーさあ、書いて

 ーー君の指は素晴らしいペンだ


 その文字に促されるまま、恐る恐る指でスケッチブックの上をなぞる。まるでうねる波のように。その指の動きに合わせて、美しい猩々緋が描かれる。

 無我夢中で、絵を描いた。何度も何度もあの美しいドレスを描いた。気づけば月夜は朝日へと変わっていた。

 それが、初めて私の《彩りの魔法》が発現した時だった。


 描きすぎによる腕の痛みと朝日を浴びて我に返った私。このままでは侍女に怒られると正直ビクビクして、スケッチブックを抱きしめていた。


 しかし、その日一番最初に私の部屋に入ってきたのは、黒いドレスと大きなツバの帽子を被った白い仮面を着けた女性だった。


「やっと、見つけたわ。遅くなったわね」

 泣きそうな声の女性は私を力強く抱きしめる。

 そう、その人は私を育ててくれた叔母だった。

 母親とともに死んだ・・・・・・・・・はずの私を迎えに来たのだ。

 この魔法の発現は、村にいる《羊飼いの魔女》が気づいたらしく、慌てて叔母が回収しにきたのだ。


 私はそのまま魔女の集落へと連れてかれ、今度は武装魔女としての訓練を受ける日々が始まった。

 そこで初めて、親を亡くした魔女の娘は、魔女の集落で育てなければ行けないという掟を知った。

 父親はそれを知っていたからこそ、敢えて私を部屋に閉じ込めていたらしい。母の忘れ形見を手放したく無かったと、今回嫁ぐ時に教えてくれた。


「嫁ぎ先を見つけるのに、時間が掛かって申し訳ない」という言葉付きで。


 本当ならば、十七になった魔女たちは旦那を探してあちこちに飛んでいく。

 私も世界を飛び、今まで知らなかった色や、ドレス、服、建物を見て、まだ見ぬ旦那さまと結婚する。仕事はお針子がいい、ドレスでもワンピースでも服を作ってみたい。

 そして、適度な頃合いで離婚をして、子供と共に集落に戻ってくる。武装魔女になれば、その後は集落から外の世界へも自由に出れるのだから。

 そういう夢を描いていた。


 けれど、私はただの魔女ではない。半分王族の血を引く子供で、王室側から結婚相手を探すのはこちらで決めると言われてしまったのだ。そして、それまでは集落から出さないよう。破ったら、集落全体の敵対行為と見做すと。


 十七歳になった日、ホウキに乗って跳ぼうとした直前に、突然王命として言われたのだ。


 空へと飛び上がっていく同い年の魔女たち。地上で叔母に引き止められて泣き叫ぶ私の声は、最後まで私が飛んでくるのを待っていた仲の悪い従姉妹だけが知っている。

 嫁ぐ報告に来た際には、今だ村から出ずにいた私を「あんな人でなしの王室なんて無視すれば良いのに」と激昂して顔を殴ってきた。

 集落の魔女たちは、最初は同情していた。しかし、時が経つにつれ、「半人前のままでいいのか」と言葉を投げかけるようになった。

 王の言葉なんて無視してもいいんだ、アイツラと敵対しても構わない、言外に発破をかけてくれてた気もする。でも、私はそれを破る勇気はなかった。


 年上、同い年、年下の子達が子供を連れ帰ってくる中、私だけがずっと仮面のない半人前として取り残される。


 だからこそ、初めて王室から「結婚相手が決まった」と言われた時、本当に安堵した。

 やっと、半人前と言われないのだと。


 そんな話を淡々と読み聞かせるように話す。

 慌てていた夕雅様は次第に落ち着き、静かに話を聞きながら私をぎゅっと抱きしめ返した。そして、話し終えた私を夕雅様は下から見上げた。


「実は、最初から武装魔女になる条件を知っていました」

 

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