第7話 真っ白なスケッチブック

「夕雅様、少々お時間を頂きます」

「も、もちろんです」


 下着姿の私は、髪の毛に手を通し、そこから一冊のスケッチブックを取り出した。

 そのスケッチブックを開けば、私が先程まで着ていたドレスが美しい鉛筆画で描かれている。

 その上に手を置き、一息ついた後、制約呪文を唱える。


「《罪作りな夜に会いましょうニュイ・ド・クリミネル》」


 スケッチブックの紙が、たぷんと水面のように揺れる。私はそのデザイン画を胸に当てるようにして、ぎゅっと抱きしめた。一瞬の光が私の体を包み、次の瞬間には元のドレスを着た状態へと戻っていた。


 そして、今からやることはただ一つである。


「先程は、ご迷惑をおかけしました」

 羽織を夕雅様に返した私は、地面に片膝をつくようにして跪いて頭を下げた。これは私の国での、最上級の謝罪方法である。


「い、いえ、こちらこそ、雨神様のお戯れが過ぎたようでして。あの、その服はやはり魔法で?」

「はい、まさかこうなるとは、迂闊でした」

「雨神様は洗い流す力があるので、力を洗い流してしまったのようですね」

「そのようです。惰性で魔法のドレスを着ていた私の迂闊さが悪いのです」


 羽織を着直した夕雅様は、眼の前で謝罪する私におろおろと戸惑っている。


 下着と靴は私の魔法では再現できない。補正したり、支える強度がないからだ。それが最低限の恥を守ることになるなんて思いも知らなかった。

 神様のイタズラとはいえ、こんな年下の前で裸になってしまうのは、まさに恥である。ただ、下着姿も相当恥ではあるし、そもそも私の体型は良くない。うまい具合にコルセットと布地の濃淡で、スタイル良く見えるように工夫している。

 うっ、最近少し緩んできた下腹部の肉、コルセットで隠れてたかしら。


「テュベルーズ殿、頭を挙げてください。皆待ってると思うので、下に降りましょう」

 ただただ絶望のまま跪く私に、夕雅様は優しく頭を上げるよう促す。私よりもしっかりしてる彼に、こくりと頷くと彼の手を取り、登ってきた階段を降りようとした。


「え」

 階段の下には、自分たちを待っている人達が肉眼で見える。目を疑って、思わず目を擦ってもう一度見るが、あの無表情な人達がこちらをじっと見上げているのだ。私達が登ってきた階段の距離から考えると、有りえないことが起きていた。


「テュベルーズ殿、この階段は行きは怖いが、帰りはよいよいなのです。さあ、行きましょう」

「ど、どういうことですの?」

 私よりも一歩下の段に降りた夕雅様にエスコートされながら、ゆっくりと階段を降りていく。それでも、すぐに彼らの下へと着いた。

 彼らは皆、私達の姿を見るとまた綺麗な紙吹雪を撒き、踊り始める。「嫁御様が御目通り叶った! 奥方様じゃ奥方様じゃ!」と一様に騒ぎ始める間を通り、またからくり人力車に乗り込んだ。


「ヒーン!!」

 からくり人形はまた嘶くと、人力車を引っ張り走り始める。森と開けた田園。農民の方々が、田の手入れをしているのが見える。

 どこまでものどかな自然が広がっていた。そんな揺れる人力車の上で、先程の階段のことを思い直す。


「あの階段、不思議ですわね。行きと帰りで違うなんて」

「行きは雨神様が距離を決めるので、帰りの階段が本当の道乗りなんですよ」

「あんなに長かったのは、嫌われているのかしら」

「いえ、少しでも嫌いならまず辿り着けませんから。むしろ長すぎて疲れないように、気を配っていたと思います」

「そうなのですね。感謝しなければ」

 夕雅様の言葉に素直にホッとする。さっさと離婚する予定とはいえ、他国の神に嫌われるなんてなるべくなら避けたい。

 しかし、普通神様だとしたら、こんなにも離婚をしようとしている女を嫌がりそうな。


「私も、テュベルーズ殿の服が魔法でどうなってるのか不思議ですよ」

「えっ。あっ、そうですよね、私の魔法の話をしていませんでしたよね」

 神様について考えていたため、驚いて思わず変な声が出る。昔からついつい周囲を忘れて、違う方向に考えを向けてしまうのはよくない癖。


「それなら、今お見せしますわ」

 私はそう言いながら、自分の鞄から先ほど持っていたスケッチブックを取り出す。


「それは?」

「スケッチブック、私の魔法を見せるにはぴったりなんですよ」


 そう行って私は、慣れた手付きで新しいページを開く。真っ白なスケッチブックには何も描かれていない。

 その上で、制約呪文を唱える。

「《罪作りな夜に会いましょうニュイ・ド・クリミネル》」

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