第8話 大団円

 実際に教祖になってみると、やりたい放題だった。女は信者の中からより取り見取り。さらには、食事もおいしいものが食べられて、まるで、毎日がハーレムの酒池肉林であった。

「こんな世界が存在するのか?」

 と、まるで夢見心地の毎日に、とてもじゃないが、前の普通の生活になど戻れるわけもない。

 ただ、普通に考えれば、

「教祖になれば、これだけのことができるのに、なぜ誰もしようとしないのか?」

 というそんな当たり前のことを、梶原は感じようとしない。

 いつの間にこんな立派な教団施設が出来上がっていたのか、そう思うくらいの建物だった。

 どこか誰も知らないような山の中に、こんなハーレムのような、まるで小国家のようなものが存在しているなど、誰が想像できるだろう。

 小説家にだって、想像ができない。ただ、今までにこのような新興宗教はあったではないか。

 大きな化学工場であったが、明らかに教団の工場であった。そこで、国家転覆に近いことを、自己保身のためだけに行った団体、もう四半世紀も経っていて、梶原も生まれる前のことであったが、その話は、東北の震災とともに、衝撃的なことであった。

 そういえば、時代も、関西で起こった大震災と同じくらいの時期ではなかったか? そういう意味では、日本では、自然、人間が起こすこと、それぞれに、

「それこそ、世紀末を予感させる出来事だった」

 といってもいいのではないだろうか?

 そんな時代の話をもう少し真剣に見ていれば、もう少し違ったかも知れない。

「こんな教団に入ろうなどと思わなかっただろうな?」

 と感じたが、一度溺れてしまうと、身体がいうことを聞いてくれないのだ。

 女の肌は憶えてしまうと、なかなか頭から離れてくれない。

 それは、

「頭では理解して分かっているのに、その頭はいうことを聞いてくれない」

 という、矛盾したジレンマが、襲い掛かってくるのだ。

 ただ、

「自分はもう少し、理性があると思っていたが、どうしたことなんだ?」

 と考えていると、どうも最初の頃に教祖になるための修行と称して、その修行も大したことはなかったので、その時に悟るべきだったのだろうが、引きこもった部屋で、お香のようなものが焚かれていたのを思い出した。

 以前、アロマ効果ということで、リラクゼーションに行った時に嗅いだ匂いによく似ていた。

 頭がボーっとしてきて、神経がマヒしてくるのか、指先が痺れてもいないのに、感覚がなくなり、

「痛さも快感に変わるのではないか?」

 と思えるほどの感覚だったのを思い出していた。

 あのお香はまさしく、あの時のお香を彷彿させるもので、身体から、どんどん汗が噴き出してくる。

「何かを欲している身体になってきた」

 と、思うのだが、その何かが分からない。

 そう思っているうちに、修行は終わり、

「教祖としての開眼でございます」

 と、改まった儀式を霊験あらたかに、そしておごそかに、

「儀式」

 は行われたのだ。

 それなのに……。

「ここからは、教祖様の今まで抑えてきた欲望が放たれる時がやってきたのです」

 といって、女やごちそうを嫌というほど与えてくれる。

 しかし、今までであれば、飽和状態、つまり限界がすぐに来ていて、後ろめたさが出てくるから、そんなものは受け入れられないはずなのに、今は貪欲に身体がすべてを求めてしまう。

「我々の団体は、別に本能を抑えるような宗派ではございません。どちらかというと、欲望を爆発させて、そこから得られるものを、真実だとして捉えるようにしております」

 と倉橋は言った。

「じゃあ、皆。このような修行を経ているのかい?」

 と聞くと、

「ここまで徹底はしていませんが、我々もみそぎのようなものは受けております」

 というのだった。

「どういうものなんだい?」

 と聞くと、

「我々の団体は、個性を伸ばすということを中心に考えているんですよ。だから、無理に欲求を抑えるようなことはしない。抑えたって、いずれどこかで爆発して、うまく行かなくなるのは必定ですからね。それだったら、せっかくそういう力があるんだから、その力を使わない手はないということなんですよ」

 と言われ、

「でも、そうやって皆が、自分が自分がというようになると、統制が取れなくなるんじゃないのかな?」

 というと、

「それはあるかも知れません。だけど、すべてにおいてうまく行くなんてことありっこないんですよ。今の民主主義だって、平等だ、自由だとか言いながら、結局、勝者がいて敗者がいる。強者がいて、弱者がいる。敗者や弱者はどうなるんですか? 貧富の差の激しさだって、民主主義じゃないですか、特に民主主義は多数決でしょう? 51対49でも、49の負けなんですよ。少数派はどうなるんです? 昔、特撮やアニメなんかでよく言われていたじゃないですか、人間一人の命は、地球よりも重いとか言ってですね。あれだって、結局詭弁じゃないですか。しょせんは、民主主義といっても、数でものを言わせる世界でしかないんですよね。それを思うと、少々のマイナス面など、民主主義の穴に比べれば可愛いものですよ」

 と、力説していた。

「なるほど、その意見には、僕は大賛成ですね。特に歴史を勉強していれば、よく分かる。時の権力者というのは、結構力を持つと、その力を維持しようとして、どんどん卑怯な真似をして、言いがかりをつけて、相手を亡ぼすなんて、当たり前のようにしていたじゃないですか。蘇我氏あたりから始まって、北条氏などひどいもの。家康の豊臣家を滅ぼした話など、まだかわいい方だと思うくらいですよ。秀吉の、秀次事件や、千利休の切腹など、本当にひどいものだった」

 と、梶原は言った。

「そういうことを考えれば、我々が個人の能力を生かすために、他の人が少々犠牲になるのは、僕は仕方がないと思っています。犠牲になりたくなかったら、自分も個性で対抗すればいいんですよ。そんなことも考えずに、ただ、個性を生かして登ってきた相手を杭で打つような真似をすることの方が、よほど理不尽に見えてくるのは、この僕だけなんでしょうかね?」

 と、倉橋がいうと、

「その通りだよ。民主主義というのは、自由競争だと言いながら、負けた方に同情的になる。それも、判官びいきと言われることになるんでしょうね。ただ、まだまだ歴史上では、勝者にどうしても目が向いてしまう。判官びいきなどというのは、義経のように、歴史的にも大天才と呼ばれる男が、兄のやっかみから滅ぼされるなどというエピソードがあり、さらに、絶世の美少年などという、どこから出てきたのか分からないウワサが飛び交うことで、悲劇のヒーローに仕立て上げてしまうんでしょうね。それは、新選組の沖田総司しかりではないだろうか?」

 というと、

「確かにそうだ。新選組もどちらかというと、悲劇のヒーローですよね。ただ、あの団体は、鬼の法度なるものがあって、それに従わないと、必ず切腹という掟があるから、余計に悲劇なんでしょうね。しかも、すたれていく武家制度の最期のロウソクの燃え尽きるまでのようなイメージも一緒にあるからなのか、それが、歴史に与えるイメージは果てしないもので、歴史というものが、どれほど残酷なものかということも教えてくれる」

 と、倉橋が言った。

「義経も、肖像画を見ると、どこが美青年なのかと思うような雰囲気だし、沖田総司も写真や絵も残っていないので、それほどでもないと言われている。きっと、話継がれていくうちに、話に尾ひれが勝手についていったのではないなか?」

 というと、

「そうなんでしょうね。歴史というのは本当に面白い。要するに主義主張によって、何が正義で、何が悪なのか、分かったものではないというものなんじゃないでしょうか?」

 と倉橋は言った。

「ということは、自分が信じるものが正義だと考えればいいのかな?」

 と梶原がいうと、

「そうです。その通りです。私はそれが正解だと思っています。だけど、何をしてもいいというわけではありません。キチンと誰かそれを導く人がいるはずなんです。そういう意味では、今の政府という体制は間違っているわけではないんですよ。だけど、先ほどの民主主義という考え方のお話と同じで、今の体制だと、多数決であり、少数派は抹殺されてしまうことになる。だといって、社会主義のように、政府が何でもかんでも、雁字搦めにしてしまって、自由を奪ってしまうと、必ずひずみが出てしまう。このバランスが難しいところなんですよ。我々は、その民主主義と社会主義の狭間において、どこで落ち着けばいいのかということを模索する団体なんです。だから、我々が今のところ宗教団体だといっていますが、当然なんの力もない。そこで教祖をまず頂いて、その人を中心に動いていくわけですが、その教祖を育てるのも我々の役目だと思っています。教祖が社会主義やファシズムのような危険な独裁者にならないようにしないといけませんからね」

 というのだった。

「これは、僕の考えで極端なのかも知れないんですが、僕は決して、社会主義やファシズムの考えは嫌いではないんです。社会を収めるための粛清であったり、ホロコーストは、実際のやり方は正しいとは言えないけど、考え方は間違っているとは思わないんです。そこかに妥協点はなかったのかな? と考えるくらいなんです」

 というと、

「そこなんですよ。問題は。私たちの団体は、そこの落としどころを考えているんです」

 というので、

「それが、摂関政治に見ることができると?」

「ええ、そうなんです。主君の補佐をする人間は必須であり、それは歴史を証明しているじゃないですか。でも、それでもうまく機能しない場合が多い。だけど、藤原摂関家では、宮中での抗争はありながらも、戦争のようなことは起こっていない。しかも、あれだけ長続きした。さすがに主君が、煩わしさから、藤原氏排除に動いて、院政を始めることで、藤原氏を遠ざけたんだけど、そのせいからか、武士の台頭を許すことになる。もちろん、客観的に見てのことですけどね。武士の発生は、どんな時代からでも、免れなかったことだとは思いますが、あんなに鮮やかに武家政治が生まれたのは、本当に偶然なのかも知れないと私は思っています」

 歴史認識というのは、人それぞれの考えがあるが、この話に関しては、梶原も賛成であった。

「確かに藤原摂関家という考え方は、摂政・関白それぞれに、政治のわき役であり、主役でもある。天皇が独裁にならなかったのは、こういう人たちがいたからでしょうね」

 と梶原がいうと、

「その通り。だから、摂関政治に近い形の世の中を作れば、もう少し日本を亡国にせずに済むと思っています。大日本帝国も、似たような考えで出発したはずだと思うのですが、どこでどう間違えたのか、亡国にしてしまった。だけど、個人個人の考え方は、今の時代のような、自由や平和というものにボケてしまっているわけではなく、よほど、勉強を積んでいたはずなんです。それは、教科書でしか教えられないものではなく、生き方、考え方を教え込んでいたんですね。それが正しいのか間違いなのは、誰にもジャッジはできないのでしょうが、今の世の中というのは、本当に個人個人が世の中のことを考えていない。つまり、自分さえよければそれでいいという人が多すぎるんですよ。だから、カリスマ性が必要なんですよ。実際に、今までの宗教の中でもカリスマ性を持った人が教祖として君臨してきたけど、結果は悲惨なものですよね? 国家転覆に繋がったり、宗教団体存命のためにだけ動いたり、教祖としての自分の利益しか考えていなかったりとですね。たぶん、権力をその手に握ったことで舞い上がってしまったのではないでしょうか?」

 と、倉橋は言った。

「そうですね。それはあるでしょうね? だとしたら、この団体は僕をどういう教祖に仕立て上げようとしているんですか? カリスマ性を持たなければいけないということは分かるんだけど、僕だって人間だから、欲望を抑えることはできない」

 というと、

「だから、抑える必要なんかないんですよ。抑えるんじゃなくて、表に出してもいいだけの技量をまず身に着ける。いや、持っていると感じたから、我々はあなたを推しているんです。あなたの中にある潜在意識は、しっかりとあるはずなので、あとは、それを独裁にならないように、我々がコントロールするんです」

 と倉橋がいうので、

「ん? ということは、補佐をする人間もコントロールする必要があると?」

 と聞くと、

「ええ、そうです。今の世の中、必ず権力を持っている人間を補佐する役目の人がいます。その体制はできているんですが、補佐している人間は、君主から遠ければ遠いほど、自覚がないんです。民主主義の観点から言えば、国民全員が政治の参加者でなければいけない。もちろん、未成年は別ですけどね。でも、結果として、多数決で決まってしまうじゃないですか? それを本当に民主主義として認めて、そこを妥協点としていいんでしょうか? つまりは、妥協点をどこかで認めなければいけないというのは、当たり前のことなんですが、今の世界が狂ってしまっているのは、その妥協点を間違えているからではないかと思うんですよ。だから、我々はそれを正したい。それがこの宗教であり、教祖であるあなたが、それを導くように動いてほしいんです」

 と倉橋がいうのを聞くと、梶原は急に怖くなってきた。

「僕にそんな大それたことができるとは思えないが」

 というと、

「大丈夫です。もうすでにあなたは、無意識かも知れないけど、潜在意識で動いています。そのことは、あなたが今自覚しているはずだと私は思っていますよ」

 というではないか?

「そういえば、さっきから、何やらアロマのようなリラクゼーションのようなお香の匂いがしてくるんですが」

「ええ、それがあなたの潜在意識を覚醒させている証拠なんです。これは、ヒトラーもスターリンも、毛沢東も使っていたと言われています」

 という爆弾発言を倉橋は言った。

「そんなものを使えば、私も独裁者になってしまうではないか?」

「いいえ、大丈夫です。我々補佐役も同じようにお香の効果に甘んじるんです。そうすることで、かつての独裁者が犯してきた間違いをしなくて済むんです。皆結果だけを見て、独裁者が悪いなどと言っているけど、そんなバカなことはないんです。すべてを覚醒させるから、おかしくなるのであって。すべてを覚醒させるということは、不安も覚醒させることになって、それが結局、本当の独裁者を産むことになる。その不安が、ホロコーストや大粛清を産むわけですからね。自分のことだけしか考えない。それが独裁者なんでしょうね」

 というのだった。

 匂いがつよくなって、どんどん意識が朦朧としてくる。

「これは、本当のことなのか? それとも夢の世界のことなのか?」

 そのまま、梶原は、深い眠りに就いていった。

 目が覚めたその世界は、自分の知っているはずの世界ではなくなっていたのだった。


                 (  完  )

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摂関主義宗教団体 森本 晃次 @kakku

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