ひぐらしのうわさ
鳴代由
ひぐらしのうわさ
夏の終わり、蝉の声もだんだんと少なくなって涼しくなってきた頃。川沿いに妖怪が出るという噂を聞いた。その妖怪は、「……ほしい……ほしい」と呟きながら、同じ場所をぐるぐる、ぐるぐると歩く。周囲に黒いモヤを吐き、それに触れた生命を奪うのだ。そしてそれに「なにがほしいの?」と話しかけたが最後、妖怪の大きな口に食べられてしまうという。
「──ウソみたいな話だな」
「案外本当のことかもしれないぞ」
友人は食い気味にそう言った。妖怪の噂の話題になったのは、一人の友人と夏休みの課題を片付けている最中。数学の問題に飽きたのだろう友人が、この噂話を持ち出してきた。
こいつは本当にこういった噂話が好きだ。今までも、近くの公園に幽霊が出るだとか、この町のどこかに一年中花を咲かせている桜があるだとか、どこから仕入れてくるのかそういった話題は尽きなかった。そしてその話をしたあとは、その場所に行ってみよう、噂のものを探してみようということが恒例になっている。結局付き合わされるのだ。今回も絶対……と思っていたところ、
「なあ、この問題が終わったらさ、その妖怪、探しに行こうぜ!」
と、予想通りの言葉が返ってきた。
「はあ、いい加減飽きないの?」
「飽きないね。ワクワク、ロマンがあるだろ」
どこか得意げにする友人は、もう数学の問題なんて頭に入っていないだろう。どれだけ早く行きたいのか、問題をろくに解かず適当な数字を並べているだけだ。
「俺は行かないぞ」
「ええ⁉ なんで?」
「課題やらなきゃだろ」
「このう、真面目くんめ~」
問題集に目を向ける俺の肩を小突く友人は、いつの間にかペンすら手から離している。これは俺が行くと言うまでちょっかいをかけてくるやつだ、と面倒に思った。
……まあ、横槍が入ったせいで少し集中が切れてきたところだ。俺はため息をつき、おもむろに立ち上がる。
「お、行く気になってくれたか?」
「違うぞ。ちょっと散歩に行くだけだ。お前も集中切れてきたんだろ」
「またまたそう言って~。本当は気になってるんじゃないの?」
「行って、帰ってくるだけだからな。素通りだ。本気で探しなんかしないからな」
友人はツンデレめ、とわけのわからない相槌を打ってくる。それを適当にあしらい、行くなら早く行くぞ、とスマホと財布をポケットにねじ込んだ。
空には太陽が出ていて、涼しくなってきたとはいえまだ暑いくらいだった。
「帰りにアイスでも買ってこようぜ」
妖怪探しだ、と楽しみにしていた友人も、家を出たばかりでもう帰りの話をしている。蝉の鳴き声も遠くから聞こえてきてうるさい。
住宅街よりも川沿いに出たほうが気持ち的には涼しかった。やはり水があるからだろうか。さらさらと流れる水の音も、風に揺れる葉の音も、心地よさを運んでくる。水際で遊ぶ小学生の声がきらきらと響く。こんなところに妖怪が出るなんて想像もできなかった。
「いねえな」
「そりゃそうでしょ。妖怪が常に鎮座してたら、みんなビビるって」
堤防の上を歩きながら、友人はどこか残念そうにあたりを見渡す。本当に妖怪がいると思っていそうな表情だった。俺はそんな友人を、おめでたいやつだなあと思う。
「ま、所詮は噂ってことでしょ。気が済んだなら早く帰ろうぜ」
俺の言葉に、ああ……とあまり乗り気じゃなさそうな返事をする友人は、妖怪探しをまだ諦めていないようだ。
そのとき、ふとあたりが一瞬で涼しく──というより、寒くなった気がした。さっきまでうるさいと思っていた蝉の音はいつの間にか消えており、代わりに聞こえなかったひぐらしの音が響いている。賑やかだった小学生の声も、心地よかった水や風の音も、何の音も聞こえなくなっていた。俺はぞっとした。
──まさか、いるのだろうか、と。
あたりは薄暗く、じめじめとした空気が肌を撫でる。気持ち悪いな、と頬を手で撫でなおしたとき、遠くのほうからチリーン、チリーンと鈴の音が聞こえてきた。その音はだんだんと近付いてきて、あっという間に俺のすぐ後ろで聞こえる。空耳だと思った。勉強のしすぎで疲れていただけなのだと。そうでなければ、あの噂と、まるで同じじゃないか。
「……ほしい……出して……ほしい」
耳元で、そう聞こえた。俺は思わず、えっ、と声を出してしまう。突然声が聞こえたことに驚いたのではない。噂と違う言葉に、俺は困惑してしまったのだ。
「出して……出して……」
しきりにそう言う声はどこか悲しそうで、寂しそうで、切実だった。でも俺には、きっとどうすることもできない。俺は黙った。口をつぐんだまま、余計なことを言わないように。
俺が何も言わないとわかったのか、その声は静かに遠くに向かっていった。鈴の音も、ねっとりとまとわりついてくる空気も、だんだんとなくなる。そしてうるさいくらいに耳元で響いていたひぐらしの音も、いつの間にか消えていた。
「おい、どうした? ぼうっとして」
気が付けば、目の前に友人がいた。元の暑さも、蝉の音も、子供の声も、水の音も、全部戻ってきている。夢でも見ていた気分だった。
「ああ、なんでもないよ」
不思議そうに俺を見る友人をよそに、俺はあの妖怪が向かっていった方向に視線を移す。
「噂……」
俺はぽつりとそう呟く。家に帰ったら、噂好きの友人に今の話を聞かせてやろう。そしてあわよくば、今広がっている噂を新しいものに広げ直してもらおう。そうすれば、あの妖怪を助けられる人に噂が伝わるかもしれない。ただのおせっかいかもしれないが、何もしないよりはマシだろう。
ひぐらしのうわさ 鳴代由 @nari_shiro26
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