バス待つ二人

バス待つ二人

 真田さなだ 智花ともかが死んだ。

 そう知った瞬間から今までの記憶がない。

 僕は気づくと彼女の家の前に立っていた。


 

 初めて会ったのは2年前の夏。

 二人が高校一年生の時、場所はバス停だった。


 僕は自転車通学だったのだが、ある日、土砂降りの雨が降った。

 よって、帰宅手段がバスに絞られた。

 今思えば運命だったのかもしれない。

 その日、バス停に行き、後から来たのが彼女だった。


 *


 その日、彼女は傘を持たずにバス停に駆け入ってきた。

 彼女は雨でびしょびしょに濡れていた。

 が、綺麗だった。

 男は馬鹿だ。

 綺麗な人が困っていると、助けたくなるものだ。

 リュックの中のタオルを取り出し、彼女の方に歩み寄っていった。

 「こ、これ。」

 「え?」

 彼女は驚き、タオルを受け取る。目が合う。

 「あ、、、」

 僕は気づいた時にはもう彼女に背を向け、雨の中を駆けていた。

 

 −−−

 

 翌日は快晴だった。

 でも僕は喜べなかった。

 なんとなくあの子に会いたかったのだ。


 放課後、なんとなくバス停に向かい、遠目からバス停を見ると人影があった。

 スマホで髪形をチェックし、向かう。

 バス停にいたのは、コンビニの袋を手に持った老婆だった。

 肩の力が緩む。

 踵を返して帰ろうとし、後ろを見ると、目の前にあの子が立っていた。


「やっほ。」


 なんて返せばいいのか脳内で必死に検索する。

 出た答えはこれだった。

「あ、やっほ、、」


 脳内はすでにバグっていたらしい。


「はい、昨日のタオル。洗っといた。」

 紙袋が胸元に押し付けられる。

「あ、うん。いつからいたの?」

「君が髪型チェックしてた時」

「え?!」

「ちょっと後ろにいたよ。」


 最悪だ。


「君、バスなんだ。」

「あ、うん。」

 僕は嘘をつく。

「昨日は走ってどっか行ってたのに?」

「わ、忘れ物があったから。」

 また、嘘をつく。


「何分のバス?」

 まずい。

 バスの時間表などいつもスマホで調べているし、乗る頻度も少ないので覚えていなかった。

 答えないわけにはいかない。

 ふり絞った。


「君のひとつあと。」 


−−−

 

 紙袋を片手に玄関を開ける。

 「ただいま」

 「おかえり、早かったね。」

 「バスで帰ってきたから。」

 「なんで?こんな晴れてるのに?」

 「なんでもいいだろ」

 「だめよ。お金の無駄でしょ、ちゃんと

  自転車で帰ってきなさい。」

 「わかったよ。」

 母親の声を背に階段へ向かう。


 「あんた。」

 母親の声質が変わる。


 「好きな子できたでしょ。」


 「そんなことないし、、」

 これは嘘ではない。

 はずだ。

 「あっそ。」

 少し早く階段を上がった。



 部屋に入って、ベッドに腰を掛ける。

 袋からタオルを取り出す。

 紙切れが落ちる。

 拾って見てみると、軽いタッチで、アリが描いてあった。

 数えてみると、10匹いた。


 なんだこれ。


 と思ったのは一瞬だった。

 すぐに、「ありがとう」ということだなと分かる。

 ベタすぎだろ。

 自然と頬が緩む。

「やっぱあんた好きな子できたでしょ。」

 ドアの方を見ると、母親が立っていた。

 頬がひきつる。

「勝手に入るな!」

「ごめんごめん。そのタオル、洗濯機に入れるからちょうだい。」

 手に持っていたタオルをベッドから母親の方に投げる。

 ドアが閉まり、母親が階段を降りる音がする。

 ため息を出しながらベッドに寝っ転がる。

 ありがとう、か。

 天井に彼女の顔が思い浮かぶ。


 必死に“それ”を振り払い、また起き上がろうとしたときだった。

 一階から母親の声が聞こえた。


「あら、このタオルいい匂い。

 誰かが洗ったのかしら。」


 それは間違いなく独り言ではなかった。


 *


 今思えばあの二日で僕の日常は一変したなと思う。

 ぼくはインターフォンに手を伸ばす。

 そして震える指で押す。何回も。

 玄関が開くと、小学4,5年生ぐらいの男の子が出てきた。

「誰ですか?」

「えっと、、、」

 

 *


 帰りのチャイムが鳴る。

 校門を出る。

 10分ほど歩きバス停に行く。

 彼女と話す。

 彼女を見送る。

 ダッシュで学校へ自転車を取りに帰る。

 自転車で家まで帰る。


 というのが僕の放課後になった。

 あの日を境に。


 彼女と話しているうちに、たくさん彼女のことについて知れた。


 名前は真田さなだ 智花ともか

 隣の高校で美術部に入っているらしい。幽霊部員だそうだ。

 得意なのは風景画。苦手なのは動物の絵。

 自称 文武両道。モテ女。 

 あくまでだ。


 そして彼女はベタなを毎日のように出題してきた。

 パンはパンでも・・・的なやつだ。


 そして僕が正解を答えるたびに彼女は言った。

「君モテないでしょ。」

 そのたびに僕は言った。

「なぞなぞ好きの女はこっちからお断りだよ。」

 そのたび僕は、嘘を重ねた。


 *


 「どなたさまですか。」


 気づくと智花の母親だろうか、女の人と、智花の弟だろうか、さっきの男の子が前に座っていた。

 というか、僕が前に座らされていた。

 リビングの真ん中に位置する机を挟んで対面しているので事情聴取のようで緊張する。

「えっと、、、」

 張り詰まった空気が流れる。

「真田さんの知り合いです。」

 僕が言うと、男の子が口をひらく。

「真田って、うちに4人いたんだけど、どの真田?」


 んだけど。その言葉が僕の心をむしばむ。


 *


 高校3年の冬。

 僕らは揃って白い息を自分の赤い指先に当てていた。

 もちろんあのバス停で。


「もうすぐ卒業だね。」

 彼女が口を開く。

 僕は言う。

「卒業したらさ、僕らってどうなるの。」

「わかんない。」

 彼女は僕を見た。

 悲しそうな、嬉しそうな、そんな笑顔だった。

「あ、そうだ。渡したいものがあるんだ。」

 彼女は鞄から茶封筒を取り出し、僕の胸元に押し付けた。

「開けてもいい?」

 彼女はうなずく。

 中には、一枚、厚めの紙が入っていた。

 それは、絵だった。


 緑色に茂った木に囲まれたバス停。

 バス停の中には笑いあい、楽しそうな二人の男女。

 夏の絵のようなのにどこか涼しそうだ。


 絵の右下を見る。

 絵の題名だろうか、こう書いてあった。


【バス待つ二人】


「これって僕ら?」

「うん。」

「智花が描いたの?」

「うん。上手いでしょ。」

 彼女は何か寂しげで何かに気付いてほしそうな、そんな目をしていた。

「さすが美術部だね。これ僕にくれるの?」

「だから渡したんだよ。裏、、見て。」

「裏?」

 紙を裏返す。

 そこには動物が描いてあった。

 犬のような、猫のような、熊のような、、、不思議な動物だった。

 動物の横には〈Me too〉の文字。


「これが美術部の絵かよ。」

「動物描くのは苦手なの。」

「これ何の動物?」

「内緒。」

 バスが横にとまる。

「じゃね。私、このバスだから。」

「じゃ。」

 彼女は、バスに乗り込む直前、こう言った。


「そんななぞなぞも解けないようじゃ、モテないよ。」


 言っている意味が分からなかった。

 手に持っている絵がいつものベタななぞなぞ、ましてや、なぞなぞにすら思えなかった。

 そして、この日が彼女と会った最後の日だった。


 *


「智花の友達だったのね。どうして家がわかったの?」

 必死に調べたなんて言えない。

「友達から聞いて、、、」

「そうなの。で、用件は?」

 鞄から茶封筒を取り出す。

「これを見てほしくて。」

 あの絵を見せる。

「姉ちゃんの絵だ。」

 男の子が言う。名前はゆうというらしい。さっき教えてもらった。

「これ、智花があなたに?」

 その目にはすでに涙があふれていた。

「はい。」

 絵を持ち上げて見ている智花の母親は智花そのもののように見えた。

 その横を見ると優くんが興味ありげに紙の裏を見ている。

「これ、、、」

 そして優くんはその動物を指さして言った。


「これ、、、、たぬき。」


 *


 僕が絵を受け取った翌日、彼女はバス停に来なかった。

 胸が異様に騒いだ。嫌な予感がした。


 夕飯を食べている時だった。

 テレビを見ていた母親が言った。

「あんたの高校の近くじゃんこれ。」

 箸を止め、テレビの方に向かう。

 テレビを見るとニュースがやっていた。

 どうやら事故があったらしい。

 キャスターが淡々と読み上げる。

《今日、朝、午前8時ごろ、自転車とトラックが衝突するという事故が起こりました。》

 自転車、と聞いた時なぜか安心した自分がいた。

《トラックの運転手は飲酒運転をしていたとみられ―――》

 テレビに背を向け、机に向かった。

 早くご飯を食べ、あのなぞなぞを解こう。

 そう思ったところだった。

《この事故で自転車に乗っていた18歳の高校生、真田智花さんが亡くなり――――――》


 そこから先は思い出せない。


 思い出したくもない。


 *


「これ、たぬきだよ。」

「たぬき?」

「うん、たぬき。よく姉ちゃんが絵でなぞなぞを出してきたんだ。これが描いてある時はを前の文から抜くんだ。抜きだからね。」

 優くんは得意げにそう語った。

 僕ははっとした。やっぱりベタだった。



 【バス待つ二人】 の6文字。

  たぬきの絵。


 

 君は知っていたんだ。

 僕がをしていたことを。


 たぬきの絵の横には〈Me too〉の文字。

 僕は聞く。

「智花って通学に何を使ってました?」

「行きも帰りも自転車だけど。だからあの事故に―――」


 君も僕と一緒だったんだ。


 途端に視界がぼやけて、何かが心の奥の奥、深いところからぐわっと湧き出す。

 湧き出るものをとめることはできなかった。

 僕は声を出して泣いた。


 君を想って。


−−−


「だからあの子いつも忘れ物したとか、何かしら理由をつけて学校に戻っていたんだわ。何かあるんだなとは思っていたけど、まさか自転車を取りに行ってたなんて。」

「毎日、ですか?」

「毎日よ。それだけ智花はあなたのことを――――」

 その時ドアが開いた。

「ただいま。」

 男の人だった。優くんたちの反応を見るに父親だろう。

「おかえり、この子は智花の知り合いよ。」

「お邪魔しています。」

 僕は立ち上がり、頭を下げる。

「智花の、、か。」

「はい。」

 沈黙の後、少し気まずそうに彼は言った。

「智花のことどう思ってたんだ?」

「ちょっと、いきなり失礼よ。」

 僕は一瞬戸惑ったが、答えは決まっていた。

 天国の智花にも聞こえるように少し大きな声で言った。



「大好きでした。」



 これは嘘ではない。

 はずだ。 




〜 完 〜









 

 


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