第19話 白く燃ゆる炎




 さて、ルークの家族のことはさておき、だ(さておくことにしたのだ)。


「あいつらがいると騒がしくて気が散るだろうから、今日はここで仕事をしようか」


 最初は人目がない方がいいだろう、ということで駐屯所二階の会議室にてルークの手伝いを始めたセラフィータであったが、


「一先ずは検算からお願いしようかな。物と金の流れも把握しやすいと思うし」


 ルークからヒョイと出納帳を渡されてびっくら仰天である。


「あ、あの……私、元聖王国民なんですけど」

「? そりゃそうだよね。それとも実は中小各国のお姫様が出自を隠すためにマゼッティ家に預けられたとか?」


 ルークは何がおかしいのか分からないらしく、その思考は何故か貴種流離譚にまでぶっ飛び始めている。


「ほら、私が第三特別区の内情を探りに来た間諜の役割を与えられているかも、とか」


 金と物の流れが分かれば、フェルドゥス王国蒼星騎士団キュロス隊第三特別区駐屯部隊の全てが丸裸になってしまうということだ。

 いくら何でもそれは不用心じゃないか、とセラフィータとしては思うのだが、


「自ら鳥馬逃げ足を手放した片脚義足の令嬢が間諜やるの?」

「……うんまあ、現実的に厳しいのは分かるけど。でもほら、伝言の魔装具とかあるでしょ?」


 セラフィータが恩師のゼミに所属していたとき、板に書いた文字を登録した相手側の板に表示する、遠隔筆談が可能な魔装具を見せて貰ったことがある。

 そういうのを使えば脚の良し悪しに関係なくいくらでも間諜行為は可能になるのだが……


「聖王十二諸公国の中でフェルドゥス王国と最も友好的なのがモンフェラート公国とスタンダール公国だ。ルナーリア女公爵からすればフェルドゥスの信頼を失ってまで得るものが森の詳細じゃ割に合わないさ」


 どうやら政治的な立場も踏まえてルークはセラフィータが間諜の可能性はあり得ない、と判断しているようだ。

 こんな森の中に住んでいながらルークはどうやら社会情勢についてかなり正確に把握しているらしい。下手すれば学院卒業後は引きこもりだったセラフィータよりも、だ。


「聖王国に関する知識が必要だから貴族令嬢を求めたって話だったと思ったけど……もしかして私が必要ないぐらいルークは知識あったりする?」


 そうセラフィータが尋ねると、少しだけルークが顎に手を当てて考えた後に、


「セラに嘘は吐きたくないから正直に言うけど、聖王国貴族を娶ることそれ自体が重要、って面も実はある」


 そう切り出してきた。

 ルーク曰く、魔王国出身というだけで学のない相手と聖王国では見做され、要するにどれだけ知識があっても魔王国民の信頼度は学院卒業済みの貴族以上になることはない、ということだそうだ。

 そう指摘されるとセラフィータとしてもやや後ろめたさを覚えてしまう。魔王国のオーガと聞いて、半ば冗談でも「棍棒持ってウホウホ」なんて言っていたのは間違いなく自分なのだから。


「先生に散々仕込まれているから、俺もそこそこの知識はある。だけど俺は所詮頭の出来に関しては凡人だから間違いもするしミスもする。だからセラに手伝って、助けて貰えたら俺は嬉しい」


 力になって欲しい、と。助けて欲しいと、そう望まれるならば、


「分かったわ。私も凡人で間違いもするしミスもするけど――どうか手助けさせて下さい、旦那様」

「ありがとうセラ。俺のところに来てくれたのが君で本当によかった。頼りにしてる」


 その物言いはズルい、とセラフィータは貴族的微笑を維持するのに若干以上の集中力を必要とした。


 ルークの顔立ちだが、どうやら体格も含めて母親の第四人類種エルフの特徴を割と強く引いているらしい。

 スッキリとした鼻梁に掘りの浅い造りと印象に残りにくいのだが……全体的には整った顔にそう笑みを向けられると、男性経験などないセラフィータは一撃で陥落しそうになるのである。


 ……いや、既に夫婦なので陥落しても何ら問題はないのだが。


「と、とにかくルークに呆れられないように頑張るわ。検算をすればいいのね?」

「うん。宜しく。一からの仕事はおいおい覚えていけばいいから」


 ありがたくもルークがそういうもので、セラは羽根ペンを片手に木札を並べると、出納帳を左手に検算を開始し、次第にそれに没頭していった。




「セラ、お昼だよ」


 そうルークに肩を叩かれてセラフィータはハッと我に返った。

 長いこと検算に没頭していたようで、確かに言われてみればそろそろお腹がすいてきた頃だ。


「初日から頑張りすぎなくてもいいんだよ? セラにとってはこの程度普通なのかもだけど、この森はのんびりしてるから」

「あー、頑張りすぎというか、一つのことを始めると周囲が目に入らなくなると言うか……」


 元々セラフィータは一つのことに集中すると周囲が目に入らなくなるタイプだ。貴族としてはあまり褒められた性格ではなく、つくづく研究者向きなのである。

 だからこそ、


「わ、きゃ!」


 いきなりルークにお姫様抱っこされて、一瞬何が起こったかわからずパニックに陥ってしまう。


「ウチと違って手すりもないしね。大丈夫、階下ですぐに下ろすから」

「あ、はい……ありがとう、ルーク」

「どういたしまして」


 まさかこの年でお姫様抱っこされるとは思いもしなかったセラフィータは、今度は朱くなる頬を抑えることができなかった。

 そのまま階段の下で解放されたセラフィータは気恥ずかしさから逃れるべく周囲を見回して、


「あれ?」


 一階にある事務所のカウンター傍に、一匹の白い狼が蹲っていることに気が付いた。

 成人男性の二倍ほどもあるその狼の牙は鋭く、一噛みでセラフィータなど喉仏を食い千切られるどころか頭が胴体と泣き別れになってしまいそうだ。

 だがセラフィータにとって重要だったのはその狼の大きさや牙などではなく、


――この狼、右前脚がない。


 セラフィータと同様に、その狼は四肢の一本を半ばで失っている、ということだった。


「ああ、来てたんだ。いらっしゃい、ラカン」


 そんなセラフィータの内心を知ってか知らずかルークがそう声をかけると、ラカンという名前なのだろう。狼が閉じていた目を開いて少しだけ顔を上げ、そして再び目を閉じて蹲る。

 そんなラカンの左前脚には黒い輪が嵌められていて、だからこの狼も恐らくは魔王国民なのだ。


「セラ、紹介するよ。彼はラカン、ベロスネシュカっていう魔王国民魔獣四大種族の出で、今はウチで戦技顧問を務めてくれている」


(人で言えば五十過ぎの大先輩だ、許可なく撫でたりとかしちゃ駄目だよ)


 そうルークに耳元で囁かれて、セラフィータの背筋がピンと伸びた。そうだ、彼もダナンと同じで動物扱いしていい相手ではない。

 対等の国民なのだ。故にどれだけ柔らかで美しい毛並みであっても、セラフィータが勝手に触れたり撫でたりするのは無礼を通り越した愚行でしかないのだ。


「よ、宜しくお願いします、ラカンさん」


 セラフィータが頭を下げると、ラカンが再び顔を上げ――セラフィータの左脚に目をやって僅かに瞳を細めた。

 だからこそ、


――ああ、彼もまた怒りと共に生きているのね。


「ルーク、この森にも鍛冶師はいるのよね?」

「ああ。そうじゃないと俺たちの武具が破損したときに困るからね」


 持つべきは理解の早さが新婚とは思えぬほどに優秀な夫であろう。

 既にセラフィータの内心を理解して笑うルークに背中を押され、彼の前にしゃがみ込んだたセラフィータは、


「ラカンさん、私の研究に――義足作りの研究に付き合っては頂けないでしょうか」


 そう、己が同胞に問いかけずにはいられないのだ。






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