第18話 ルークの妻で御座いますわ




 さて、一ヶ月もすればセラフィータはすっかり森での新しい生活に慣れきっていた。


「ふぁああああっ、おふぁようルーク」

「はいおはようセラ」


 目が覚めたら眼を擦りながら研究室に移動して着替えを済ませ、階下に降りて朝食の準備。

 元々菓子作りはできたので、料理の作り方を覚えるのも然程時間はかからなかった。


「よっ、ほっと」


 細かく切った野菜とチーズを溶き卵に落としてかき混ぜ、油を強いたフライパンに半分を流し込んで形成、ふわふわのオムレツを皿に移して、さらにもう一つ。

 お皿を食卓に並べる頃には朝食のパンを買いに行っていたルークが戻ってきて、焼きたての香ばしいパンとオムレツの香りにダイニングが満たされる。

 既に狩りと朝食を終えたダナンは、特に何をするでもなくセラフィータの横で蹲っている。することはなくても一人で待っているのはどうも嫌であるらしい。


「今日の予定は?」


 オムレツを挟んだパンをもりもり食べながら、ルークが今日の身の振り方を聞いてくる。

 新婚休暇も終わり職務に戻ったルークではあるが、水の曜は休日として休むことができている。

 他の騎士団員は週に二日休みがあるのだが、ルークは書類仕事ができる数少ない駐屯騎士なので休みが一日しか貰えないのだ。


「んー、そろそろセラも森に慣れてきた頃だろうし、うちの職場に紹介しようと思うんだけど、どう?」


 そうルークに問われて、一も二もなくセラフィータは頷いた。


「待ってました、といったところね。正直私も自分でお金を稼ぎたいと思っていたし」


 ルークはセラに書類仕事を手伝って欲しい、と言っていたはずだ。ということはセラフィータは生まれて初めて、自分の仕事で給料を得られるようになるのである。

 聖王国では働こうにも容姿が邪魔をして何の職も貰えなかった。容姿が必須技能になっているのは魔王国からすれば失笑ものだろうが、聖王国では極めて真面目な悩みなのだ。

 そも強く賢く美しくあることができねば、それは庶民と何が違うのだ? という話になってしまうわけで――庶民と貴族の二社会に国を分けている聖王国では、貴族は貴族らしくあらねばならないのだ。


「普通はこういうの、働きたくないっていうかと思ってたんだけど、セラは逆なんだね。正直ありがたいけど」

「まあ、ちょっと切実でね……採集に行けないから素材を駆け出し魔術師から買おうにも、何もかも購入だとお小遣いじゃ足りなくて」

「あー……」


 セラフィータは好きに使ってよい小遣いをルークから貰っているが、一切採集ができずあらゆる素材を購入しなければならないセラフィータにはそれでは足らないのだ。

 これはルークがくれる額が少ないという話ではなく、単にセラフィータの都合で必要な出費が嵩むわけで。つまりセラフィータは自分のために働かねばならないということだ。そうしないと趣味の魔術研究に着手もできないのである。


「分かった。じゃあ今日から仕事を手伝って貰おうか。書記を一人入れる話は騎士団に通してあるから、働き始めればすぐ給料は出ると思うよ」

「助かるわ、ありがとうルーク」


 朝食の後片付けを住ませば、いよいよセラフィータも騎士団デビューである。





「と、いうわけで今日からここで働いて貰う俺の――あー、妻であるセラフィータ・カンプフントだ」

「セラフィータです。皆さんの仕事の邪魔をしないよう刻苦勉励致します。どうか宜しくお願いします」


 そうセラフィータが騎士団駐屯所でペコリと頭を下げると、僅かな遅延の後に、


「よかったなルーク! スゲーまともな人じゃないか!」

「綺麗だし細いし柔っこさそうだし! ようやくお前も幸せになれるんだな! いやホントよかったよ!」

「お前もうべた惚れだろ? べた惚れだよな、分かるよ。めっちゃお前好みっぽい嫁さんじゃないか!」


 周囲は割れんばかりの拍手に包まれた上、何故か騎士たちが突撃してきてルークをもみくちゃにして胴上げまで始める始末。セラフィータには何が何だかさっぱりだ。


「お、おい! 紹介の途中だろ、あと見て分かると思うけどセラは左脚が義足で不自由だ、乱暴にしたりとか――」

「しないしない! ようやくお前を支えてくれる人ができたんだろ! ガラス細工みたいに大事にするって!」

「いや、お前の場合ガラス細工程度は握りつぶすだろ……分かってるよルーク。ようやくお前が掴んだ幸せなんだ、無下にはしねぇって」

「な、なんだろ。俺なんか涙出てきちゃったよ。マジでこれからお前幸せになれるんだなぁ……」


 更には何やらグズグズと男泣きまで始まってしまって、本当にセラフィータはどうしていいか分らない。

 歓迎されているのは分かる。だが何故ここまで持て囃されているのか、それがさっぱり分からないのだ。


「セラフィータさん!」

「はっ、はい!」


 ルークと同じ青い鎧を身につけた、多分同僚と思われる騎士の一人が膝を付いて、いきなりセラフィータに頭を垂れる。


「お願いです、ルークに優しくしてやって下さい! こいつ融通が利かないところはあるけど、殴る前にせめて対話から始めてやって欲しいんです!」


 続いてその場にいた全員がその男に続いてザッと膝を付く様は、流石洗練されている騎士団だ。

 その動きに一矢の乱れもない、と感心したセラフィータの感性は割と現実逃避に入り始めている。というか殴る前にって何だ。


「貴方がルークを支えてくれる限り、我々蒼星騎士団キュロス隊第三特別区域駐屯騎士一同はセラフィータ・カンプフント夫人に無限の忠誠を尽くす所存に御座います」

『尽くす所存に御座います!』


 ついには忠誠まで誓われてしまったセラフィータは、困ったように夫を見た。

 ルークも困っていたが、あとで説明するとその顔に書かれていたので、セラフィータは何とか頷いた。


 そうして、一応全体の前での紹介が終わり、施設内部を案内する、ということで二階にある会議室へと移動。

 セラと正面から向き合ったルークが軽く困ったように頭をかき回す。


「まあ、悪い連中じゃないんだ。許してやって欲しい」

「勿論、ルークが皆に愛されてるって分かってホッとしたけど……ルークの家庭環境、もしかして劣悪だったの?」


 そうルークに問うと、ルークが怒るでも悲しむでもなく、形容しがたいハニワのような顔でしばし言葉を探し始めた。


「俺、姉と妹がいるんだけど」

「……うん?」


 セラフィータは首を傾げた。式場にはそのどちらもいなかったように思えたが――


「妹は多少おかしいけど普通なんだ。ただ幼いからエリー義母さんのところに預けてあるだけで」


 可愛い妹だからいずれ紹介するよ、と言いつつもルークの顔は苦々しい。


「ただ姉の方がね、言葉は通じるけど会話が成り立たないんだ。他人に暴力を振るわない程度の分別はあるけど、姉にとって俺は他人じゃないから――基底言語が肉体ゲンコツなんだよ」


 なんか嫌な予感がし始めたぞ、とセラフィータは軽く額を抑えて呻く。


「親父やエリー義母さんのみならず先生ですら匙を投げるバ――人の話を聞く耳を持ってないくせして、しかも強いんだ。脳筋ゴリラで、第三特別区域駐屯騎士全員が束になってかかっても勝てない」


 今バカって言おうとしたよね、という言葉をセラフィータはなんとか飲み込んだ。

 どうやらルークはルークで何とか罵倒にならない範囲の表現を探しているようで、その様子からすると姉弟仲が悪いわけでは無さそうなのだが――でも関わりたくない、とはっきりと顔には書いてあった。


「まぁセラと姉貴は血が繋がってないし、セラは戦士じゃないから、姉貴もセラには手を出さないよ。そこは安心してくれていい。それにちょっと前に飛び出していったばっかだから半年くらいは戻ってこないと思うし、安心してくれ」

「は、はぁ……」

「大丈夫、俺と親父とエリー義母さんで徹底的に黙らせるから、セラは珍獣だと思って黙って見ていてくれればいいよ。嵐かなんかだと思ってさ、待ってればいつか去るからさ」

「ははぁ……」


 ギュッとルークに手を握られ、セラフィータは呆然と頷いた。ただ呆然と頷くだけしかできなかった。

 ただ、少なくとも半年後には嵐が来ると、それだけは頭に刻み込んでおいたほうがいいだろうとセラフィータは理解した。なにせそう覚悟せざるを得ないほどにルークの表情は鬼気迫っていたので。







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