第17話 不自由な左足と、自由になった心




「セラも先生に刻印魔術を習ってたんだろう? 生活が安定したら魔術師生活を再開してみるといいよ」


 ルークとしては騎士団の事務仕事を手伝っては欲しいけど、別段強要はしないそうだ。

 むしろこの森は魔術の技術こそ日々進歩しているが社会的には停滞しているので、趣味がない人間は退屈で耐えられないらしい。故に趣味はきちんと持ってないとセラフィータは暇してしまうだろう、と。


「うーん、とは言えどこから手を付けたものかなぁ」


 駆け出し魔術師は採取で身銭を得る。

 一人前の魔術師は製薬、製造で生計を立てる。

 優れた魔術師は特許料で生活を賄い研究に没頭する。


 セラは製薬に関しては既に器材を持っているから始められるだろう。

 魔装具は――学院にいる頃はゼミの工具を借りられたが、聖王国では工具も材料も手に入らなかったため未だ未所持である。作成はまだ不可能だ。


「私の足だと採集は難しいしなぁ。やってみたくはあるけど」


 当初はどうなるものかと思っていた人類未制圧領域の生活だが、想像以上にセラフィータにとっては理想的な環境だった。

 前々から、材料の採集とかもできるならやってみたいとは思っていたのだ。そういう魔術師らしい生き方にずっと憧れていたのである。


 もっとも、それが難しいこともまたセラフィータは知っている。

 魔術の素材が高価なのは、土地が魔力を含む場所に群生しているからで、そういった場所には当然魔獣も住んでいるのだから。


「言いづらかったら言わなくてもいいけど、セラの足ってどんな状態なの?」


 そんな邪気のない問いかけに、セラフィータは一瞬だけ身を強ばらせてしまった。

 注意深く呼吸を整えて内心の狼狽は隠したつもりだったが、


「……ごめん、どうやら安易に聞いちゃいけないことだったみたいだね」


 ルークには読まれてしまったようだ。申し訳なさそうな態度は真摯であったので、だからセラフィータも意を決した。

 いずれにせよ、今後ずっと隠しておけるわけでもないのだ。


「こんな状態よ」


 セラフィータはハーネスを解いて外した足――下腿義足を手に取ってみせる。


「……義足だったのか。気が付かなかったよ」

「隠蔽の魔術が仕込んであるからね」


 そう、貴族――というより貴族令嬢は見た目に一点の瑕疵も許されない存在である。

 その見た目は華やかで美しくなければならず、見苦しい点など一つとしてあってはならない。だからセラフィータの義足には隠蔽の刻印魔術が仕込まれていて、見た目には普通の足のように見える。


 まだ生身の脚を引きずって歩く方が、義足で華麗に歩くよりは麗しく映るから。

 しかしエピテーゼのように生身を模せる素材などはまだ存在し得ないため、魔術で隠蔽する仕組みになっている。


 とは言え魔術による隠蔽は違和感が強いと効果がなくなるから、この木彫りの義足は外見が一見して人の足のように見えるようにできている。

 だがそのせいで踝の関節などが曲がるようにはできておらず、歩きやすさはまだ木の棒の方がマシ、というような仕上がりだ。


「昔は、もう少し機能的な義足を使ってたの。先生と一緒に学院のゼミで作ったのよ」


 セラフィータが魔術に転んだのも、そもそもが恩師の義体を目にして、あの姿に憧れたからだ。

 恩師も女性である以上、あの姿も当然一般的には見苦しいものとされる。だがそれを恩師に面と向かって言えるものなど存在しない。


 さもあらん、人類未制圧領域ベスティアルエリアを奪還した戦士の義手義足を笑える者など、どうしてこの世に存在できようか。

 歴戦の勇者なればこそ、恩師の義体は戦士の誉れだ。しかしただの令嬢であるセラフィータの義足は、ただ見苦しいものでしかない。だから、


「え? じゃあ何でそっち使わないの?」


 きょとん、と聞き返されてセラフィータは軽く息を呑んでしまった。そうだ、いつまで己は聖王国の常識に縛られているのだろう、と。

 そう思い直してもしかし、未だセラフィータの心を縛る鎖がある。


「でも……あまり見た目に美しいものではないのよ。ルークはそれでもいいの?」


 セラの機能的義足は、恩師のそれを超えて不可思議な形状をしている。恩師と二人でただ機能だけを優先して作成したものだからだ。

 体積的に隠蔽の魔術も組み込めず、だから生物の外観から大いに外れたそれを身につけた己が、果たして夫の目にどのように映るか――


「いいも悪いも、セラが幸せに生きられることより優先すべきものはないだろ?」


 という悩みはそもそも論外と切って捨てられて、何故だろう。

 じわりとセラフィータの目から熱い滴が湧き出して、ぽたぽたと零れ落ちる。



――まあ、何かしらあの足。骨みたいで気持ち悪いわ。


――とても人のものとは思えませんわ。魔族に感化されて感性まで賤しく成り下がったのかしら。


――身体が失われると優雅に美しくあれ、という貴族の心すらも失われるものなのね。なんとも嘆かわしいこと。



 そういった中傷がセラフィータに二つ目の義足を、見た目優先の足を作らせたのだ。

 恩師と二人で作った、楽に歩ける義足はセラフィータにとって誇りだったのに、その誇りは貴族社会では徹底して貶められた。


 屈辱だった。自分の造り上げたものが嘲笑われるのも、見た目を理由に不便を強いられるのも。

 だが何より悲しかったのは、自分の感じた屈辱を家族にすら理解して貰えなかったことだ。


「えーと、その、なんだ。軽率な事を言ってしまったのなら謝りたい、いや、何に対して謝罪するかも分かってない謝罪は謝罪にもならないだろうけど」


 目の前で慌てているルークも、セラフィータのそういう屈辱を理解しているわけではない。

 それ以前にルークは自分の一言がセラフィータを傷つけたとすら考えている。あまりに素朴で、そして善良だ。


 そういう男性の態度を、聖王国の令嬢なら無知と論い笑うだろう。ものを言う前に考えられない男、浅薄で配慮のできない男と蔑むだろう。

 完璧な令嬢たちはだから当然・・・・・・・・・・・・・完璧であることを令息たちに求めるから・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 だがセラフィータにはそういうルークの在り方が酷くありがたかった。

 確かにルークは素にして野かもしれないが、少なくとも完璧ではないセラフィータの足を嗤ったような卑ではないのだから。


「違うわ、嬉しかったのよルーク。私は此処ではありのままに振る舞っていいんだって、そう分かったから」


 もうセラフィータは傷ついているのに平気な振りをしなくてもよい。心の中で泣いていても笑顔を維持する必要はないのだと。

 だからセラフィータは二階へと上がり、荷物の底に仕舞い込んでいた、恩師と二人で作り上げた義足を装着して階下へと降りる。


 流石に生身の足ほど華麗かつ完璧には階段を降りられないが、この家にはルークが備えてくれた手すりがある。だから、何も問題はない。


「どうかしら?」


 今やセラフィータの左脚は、これまでのような自然な人体に見える形ではない。

 板バネの足部に、内部に衝撃吸収のための機構を備えた骨のような脛、そんな義足を膝上で固定するハーネスは――流石にスカートの中なので見えないが、


「うーん……」


 ルークはそんな世良の足を見て僅かに小首を傾げ、


「セラの魅力が削がれるほど見苦しいようには見えないけど。そも綺麗な顔にばかり目が行くから足とかあまり視界に入らないし」


 平然とそんなことを言うもので、僅かに頬に朱が灯るのをセラフィータは抑えきれなかった。

 貴族令息たちが語る歯の浮くような褒め言葉は期待していなかったが、これはこれで別の破壊力がある。そも、ルークはセラフィータを褒めているという意識などないのだろうし。

 だから、セラフィータは漠然と悟ってしまった。


――私はきっと、この人を好きになる。


 それが幸せな確信であると、今のセラフィータは疑いなく信じられた。

 ルークの方がセラフィータを好きになるかはまだ分からないが――否、そんなことは考える必要はない。


 ルークと共にあることでセラフィータが幸せな生活を送れるというのであれば、セラフィータもまたルークを幸せにすればいいだけのこと。

 どちらかが一方的に依存するのではなく、互いに支え合って生きていく。それが幸せな夫婦の在り方というものだろう。


「ルーク」

「ん? なんだい?」

「足が少しだけ動くようになった分だけ、貴方をより支えられるように頑張るわ。不束者ではございますが、今後とも宜しくお願いします」

「あっ……うん、ありがとう。俺もセラが苦労しないよう努力はするつもりだけど――俺も親父に似て鈍いから、不満があったら言葉で伝えてくれると嬉しい」


 それはなんとなくセラフィータも察していたから、真顔で頷いた。

 多分、ルークは察してくれと態度で伝えても、それを読み取ってくれるような青年ではない。貴族の令息と違って他人の腹を読む訓練を積んでないし、慣れてもいないだろうから。


 だから、不満があるならはっきり言えばいいのだ。それで怒るような性格ではないことは、これまでの会話からセラフィータも理解できている。

 隠した結果として誤解したり、気持ちを抑えつけることのほうを嫌がる直実な男なのだと、その程度にはセラフィータもルークを理解している。


「グァウ!」


 入口の押し戸が嘶きと共に開かれて――だから朝食を終えたダナンが帰ってきて。


「……まずはダナンの歯磨きのやり方からかしらね」


 赤く染まった口元を見て、溜息が零れるのに自然とセラフィータの唇は緩んでくる。


「やってみたい?」

「是非とも」


 顔を見合わせて薄く笑う両者を見てダナンが軽く首を傾げ、セラフィータは今度こそ声を上げて笑った。

 此処でセラフィータは、幸せに生きていくだろう。






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