第16話 ハーミット・フォレスト




 さて、そんなこんなでセラフィータの新たな生活の始まりである。


「おはようセラ。よく眠れた?」

「おはようルーク。うん、なんだかんだで気張ってたのかもね。朝までぐっすりよ」


 今のところセラフィータの荷物は研究室に放り込んで荷解きも半ばであるので、研究室にて身なりを整える。

 鏡の前で若草色の髪を梳り、服を着替え、化粧は薄く、申し訳程度。化粧品が森で手に入るか分からないから節約しただけで、手抜きをしたわけではない。

 手すりを頼りに階下へ降りると、


「あれ、ダナンは?」

「朝の狩り。あいつ朝飯は勝手に食べるから」


 なるほどと頷いて、さて自分たちである。


「朝食はどうしましょうか」

「とりあえず卵と牛乳にパン、それと調味料はあるからそれで済まそうか」


 ルークが牛の乳搾りに向かうというのでセラフィータは小さな籠に布を敷いて鶏の檻へ向かうと、


「コァー! コココ!」

「うひぃすみません私たちも食べなきゃ生きていけないのでー!」


 鶏キックや翼を広げた威嚇の合間を縫って卵を回収、籠に入れて鶏の強襲から離脱する。


「大心配? セラ」

「な、何とか……でも卵が……」


 腐ってもセラフィータは伯爵令嬢である。お菓子作りで卵を触ったことはあれど自然環境から実際に回収するのは初めてで、見れば卵が一つ割れて白身が漏れ出してきている。

 セラフィータは泣きそうになってしまうが、どうってこと無いとルークは励ますでもなく自然に笑う。


「すぐ使っちゃうから問題ないよ。じゃあ交換、手を洗って食卓で待ってて」


 牛乳の入った缶を受け取り卵の籠を渡して、セラフィータは室内へと移動、


「確か、これよね」


 昨晩のうちに説明を受けていた【吸引】の魔装具に手を触れ魔力を流すと、管の先から水が溢れ出てくる。


「ここら辺は学院と同じで便利よね」


 聖王国では水汲みは使用人の仕事だったが、学院では全生徒の寮室まで配管が伸びていて、【吸引】の魔装具を取り付ければ水が流れるようになっていた。

 ここもどうやら同じ造りになっているようで、違和感なく使えるのはセラフィータにはありがたい。


「流石は先生の故郷、仕様が同じって助かるわ」


 手を洗い終えて食卓へ戻ると、


「そう言えばここにもあるのね、魔装具」


 食卓の上にも用途不明の平べったい魔装具が置かれていて、はてこれはなんだろうと首を傾げていると、


「手持ち無沙汰なら牛乳を冷やしておいてくれる? それの上に缶置いて、青い印に指で触れて魔力流せばいいから」

「あ、はーい」


 なるほど、多分これは食卓用の冷却、及び加熱の魔装具なのだろうとセラフィータは理解した。

 牛乳缶を魔装具の上に置いて言われた通り青い印に魔力を流すと、少しずつ缶が汗をかいていくのは魔法のよう――ではなく本当に魔術である。


 感心していると台所から油の跳ねる音が響き始めて、あっという間に、


「はい、おまたせ」


 二つ目玉の目玉焼きがするりと皿に乗せられてやってくる。

 互いの目の前に一皿ずつ。真ん中にはパンの入った籠が一つ。飲み物は牛乳のみと質素な朝食だが、


「いただきます」


 塩胡椒のみの味付けしかないのに美味しいと感じるのは、セラフィータが貴族令嬢のくせに学生時代のゼミ生活で粗食に慣れていたからか、それとも、


「? どうかした?」

「ううん、なんでも」


 広々とした食堂でマナーを気にして食べるより、この小さな距離感での食事が好ましく感じるからだろうか。




 朝食と後片付けを終えると、


「じゃあ、先ずは森の一般的な生活のレクチャーからだね」

「お願いしますルーク先生」


 何より、新しい生活の安定が最優先だ。食卓に向かい合って座りなおすと、ルークが卓に森の簡単な地図を広げて見せてくれる。


 ルークの説明によると、基本的にメインストリートにもパン屋と酒屋、雑貨屋以外の食料品店は存在しないとのこと。

 つまり商店街で手に入るのはパンと調味料と酒のみで、肉、野菜、果物は自給自足ということになるらしい。


「このうち肉は騎士団のほうで定期的に魔獣を間引くから、毎日は無理だけど定期的に俺が持って帰ってこれる。だから足りないのは果物と野菜だ。これは野生のを取ってくるか、菜園を作るかのどちらかになる」


 基本的には両立させている魔術師たちが多いとのことで、だからセラフィータが維持できるなら家庭菜園を作る方が生活は安定するそうだ。


「分かったわ、やってみる」


 ある程度の収穫ができるようになれば物々交換で他の野菜なども手に入るようになるから、あれもこれもと手を出すより種類を絞る方が良いらしい。


「だいたいの野菜や果物は誰かしらが育ててるから、困ったら助言を求めてみるといいよ」


 そもそも魔術師たちは自分の研究にしか興味がないから、他人の邪魔したり足を引っ張るような連中は少ないらしい。


「ゼロではないのね」

「魔術師見習いはまだ自分の研究とかより、生活の安定が大事だからね。カネになる素材の獲得で自然と競争になる」

「なるほど」


 要するに一人前の魔術師になるまでは、資材獲得や生活の安定の為に多少のすったもんだがある、ということらしい。


「この森の通貨だけど、店では聖王国貨幣が使えるから国民証による支払いも可能だ。ただ駆け出し魔術師とのやり取りは物々交換か魔石での取引も多い。森で手に入る物しか彼らは扱えないからね」


 駆け出し魔術師は一人前の魔術師が使う研究素材や魔獣素材などを取りに行って、それを上の魔術師に買い上げてもらい収入にするのだそうだ。


「そうやってお金を貯めて、調合器材や魔装具用の工具を購入できたら、そこからようやく魔術師として門戸に立った感じかな」


 様々な魔術効果を発動する魔装具や魔法薬などを自分で製造、商店に卸すようになれば一応、一人前の魔術師として森の皆から認められるようになるそうだ。


「で、最上位魔術師は主に特許で飯を食う。ここまで来るとほぼ丸一日研究に没頭できるようになるから、森の魔術師が目指すのはここだね」


 庶民の生活を豊かにする研究を手っ取り早く確立、特許を書いて王都バルディアに登録。

 その特許料を収入に、素材は駆け出し魔術師に集めさせて自分は自宅に閉じこもり研究三昧。これが森の魔術師の理想だそうだ。


「まさしく隠者ね……」


 生活を華美に、豪勢にする気が全くない。家も二階の戸建で満足し、権威をひけらかすことも権力で他者を屈服させ力を誇示することも興味がない。

 ただひたすらに自分の学術的興味に向けて邁進するのが唯一絶対の目的、という生活はセラフィータにとっても理想である。


 恩師が帰って来たがっている、という理由にも納得だ。この森は激戦区などではなく、隠者たちの研究室というのが実態であるようなのだから。


「うん。だからこの森には優れた魔術師が沢山住んでいて、魔術師たちの研究には魔王陛下も期待している。だからこの森の一角が第三特別区として登録され、騎士団が魔術師たちを守るようになったんだ」


 あと、この森を挟んで南には聖王十二諸公国の一つであるクウェンベルガ公国が位置しているため、間諜対策の意味でもここに第三特別区として駐屯騎士を置くことにしたそうだ。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る