第13話 これから三人で暮らす新家




 そうやってルークに案内された新居は、メインストリートからやや外れて十六半刻ほど歩いたところにある、新築の一軒家だ。


「素敵な一軒家ね!」


 大きさは当然、庶民の小宅である以上、マゼッティ伯爵家のカントリーハウスの1/10もない小さな二階建てだ。

 だがうろこ屋根に煙突を備え、ガラス張りの窓を備えた戸建てはこじんまりしているものの、センスの良さが端々から窺えるたたずまいだ。


「気に入って貰えて良かったよ。森では個人宅だとこれが精一杯だからね」


 赤い塗料ペンキの発色も真新しいうろこ屋根に、仮漆ニスの透明な光沢と独特の匂いが僅かに香る。

 小さいながらも手を抜いていない、良く纏まった仕上がりでセラフィータはここが一発で気に入ってしまった。


「でもさ、貴族のお嬢様からすれば流石に小さい、とは思うよね?」

「学院を卒業する頃には皆これぐらいの生活に逆に慣れるくらいよ」


 本を質せば貴族とは騎族であり、聖王と共に人類未制圧領域を奪還して回った戦士の末裔だ。それを忘れないよう、学院での生活は華美になりすぎないようある程度贅沢が抑えられる。

 ついでにいえば学院の面積を拡張しようがないために、学院寮の部屋は割と控えめにできているのだ。そういう事情を説明するとルークも納得したらしい。


 改めて、セラフィータは新居を眺めやる。

 玄関ポーチも、屋根はともかく床は石造りで、まだ薄い土埃しか汚れのない入口は――多分、竜の出入りを想定しているのだろう。一軒家にしては随分と大きめの両開きだ。


 そっと歩みを進めると、足元の段差を埋めるのが石段ではなくスロープだ、と分かってセラフィータの胸にそっと温かい熱が宿る。

 口からまろび出る幾万の愛の言葉などより、こういった思いやりの方がセラフィータにはよほど嬉しく感じられる。


「えっと、鍵は? 見たところ鍵穴がないみたいだけど」

「魔力登録。登録は内側からしかできないから俺が開けるよ」


 そうしてルークが扉に手をかけると扉が両開きに室内側へ開かれて、


「どうぞ、セラ」

「ありがとう!」


 片脚を引きながらのセラは、だから跳ねるように、とはお世辞にも言えないが。

 それでも心持ちだけは春風の軽やかさでセラフィータは家の中へと移動し、鼻腔に滑り込んでくる新しい木材の香りに胸を躍らせる。


 一階はダイニングキッチンと居間、御不浄に風呂。それとまだ用途未定の小さな個室。段差を少しずつ刻んだ先の二階が寝室と納戸、あとセラフィータの研究室も別個に用意されていて至れり尽くせりだ。

 一階ダイニングの角に藁が積まれた一角があるのは、あれだ。もうセラフィータにも概ね理解が及ぶようになった。あれはダナンのベッドだろうと。


 また部屋の隅に暖炉が設置されていて、その周辺だけは石造りになっているのだが、魔王国の仕様なのだろうか? セラが知っている暖炉とは随分と形が違っているように見える。


「平屋というのも検討したんだけど、敷地面積が広がると万が一結界を張るときに魔力を無駄に食うって皆が言うから。不便をかけてすまない」


 他の魔術師がやっているように、これから先に家に防御結界を展開することになった場合、護る土地が狭い方が魔力を節約できるのだそうだ。

 そういう意味でセラフィータの足が悪いことは分かっていても、全てを一階に持ってくることができなかった。そうルークは謝罪するが、セラフィータからすれば謝罪どころかその心遣いが逆に嬉しいくらいだ。


 実際、二階へ続く階段にだって手すりがきちんと備えられている。

 ルークが自分一人の都合を考えて家を作ったなら、手すりなんてものはまず頭には浮かばないはずだ。


「総合的な事情を踏まえての判断、ということなのでしょう? ありがとうルーク、私の足のことまで考えてくれて」

「そう言って貰えると助かるよ。これは俺の収入が少ないだけ、って話でもあるからさ」


 少しだけ恥ずかしげに、ルークが後ろ手に頭をかく。

 成程、ルークに貴族並の収入があれば如何様にもなったろう。だがそれが無い物ねだりであることが分からないセラフィータではない。


 集配飛竜から受け取った荷物をルークがセラフィータの研究室に運んでくれている間、


「えっと、こちらの札にサインをすれば宜しいのね?」

「ガァウ」


 配達完了のサインを記載した、紐が通された木札を集配飛竜の首にかけると、「ご利用ありがとうございました」とばかりに集配飛竜がペコリとお辞儀をする。


「お疲れ様です、ありがとうございました!」

「グァグァ、ガォン!」


 セラフィータは翼を羽ばたかせて去って行く集配飛竜をダナンと共に見送ったのち、家の外をぐるりと一周してみる。


――薪棚、そういえばフェルドゥス王国の冬はモンフェラート公国より寒いって聞いていたっけ。


 モンフェラート公国は南大陸で、フェルドゥス王国は北大陸だ。季節も逆転しているし、ここ数日の温度管理は気をつけた方がいいだろう。積み上げられた薪や石炭を前にセラフィータはそんなことを考える。

 また、家の外には薪棚の他に家畜小屋が用意されていて、家畜小屋には既に牛が三頭と鶏が二十羽ほど、狭い畜舎の中で退屈そうに彷徨いていた。


――自給自足、なるほどねぇ。


 ここからなんだな、と今更ながらに自分が庶民に嫁いだことをセラフィータは痛感した。

 だがその痛感はセラフィータがモンフェラート公国で想像していたものと違い、痛みや苦しみを伴うようなものではなかった。


「ああ、その家畜は新築祝いだって先生やエリー義母さんがくれたんだ。おいおいはセラにも飼育を手伝って貰うことになるけど」


 荷を運び終えたのだろう。畜舎の前に立つセラフィータの横に、そっとルークが並び立つ。


「おいおいと言わず明日から教えて欲しいわ。できることはなんでもやりたい。早く森の一員としてここの生活に馴染みたいもの」

「そうか……ありがとうセラ。正直、嫌そうな顔をしないだけでも嬉しいよ。先生も含め、俺たちは皆この森の生活を愛しているから」


 そんな語り口からして、まだ恐らくルークはセラフィータが我慢を令嬢の微笑で隠している、と見ているのだろう。

 セラフィータが伯爵令嬢であったことを踏まえればその疑念は抱かない方がおかしいし、ここで「私の言うことを素直に信じてくれないのね」と不機嫌になるほどセラフィータも子供ではない。


 人には人の常識があり、それは必ずしも己と一致するものではないと、良くも悪くも挙式の段階でセラフィータはそれを強く印象づけられていたからだ。


「私にやって欲しいことがあったら遠慮なく言ってね、ルーク。できることは頑張るし、できないことはちゃんと努力して、それでも無理ならちゃんと理由を説明するから、一緒に考えてくれると嬉しい」


 セラフィータは誰にも、何にも求められていなかった女性だ。マゼッティ伯領の仕事を請け負っていたわけでもない。

 いっそ父クレートが凡愚であればセラフィータにも役目があったかもしれないが、クレートは普通に優秀な領主だった。

 クレートとその配下で十分職務に余裕を作れる手腕であり、セラフィータにわざわざ割り振るほどの仕事もなかった。その点はある意味不幸なすれ違いだったろう。


 だからこそセラフィータは仕事がないより仕事があることの方が望ましく感じるのだ。

 無論、ありすぎれば過労で心を病むのだろうが、何一つ求められていない状況もまた人の心を苛んでいく。


「ありがとう。でも先ずはこの家をセラにとって過ごしやすい環境にすることに注力してくれ。帰る場所が居辛いと、なにをしても幸せにはなれないから」

「わかったわ」


 気遣われた部分もあるが、ルークの言うことは事実を端的に穿っていたのでセラフィータは素直に頷いた。

 そう、帰る場所は常に安心できて、心と体をゆっくりと休められる場所でなければならない。


 セラフィータにとって、そしてルークとダナンにとって此処をそういう場所とすることがセラフィータの最初の仕事だろう。







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