第10話 さよなら、貴族令嬢だった私
そうして一夜明けたセラフィータはベッドの中で身動ぎしながら眼を開く。
ベッドの上には寝る前も今もセラフィータ一人しかおらず、初夜のようなものは流石に学びの場である学院ではナシだ。マイホームに辿り着くまでは順延である。
よって式後の一晩を過ごした場所もマゼッティ家に宛がわれた貴賓室で、扉を開ければ隣は母の寝室に繋がっている。
もっとも、
「これで私もフェルドゥス王国民か」
右手の中指に嵌められている、黒い指輪を見やってセラフィータは感慨深げに零す。
この南北大陸の人類国家では、国色の指輪がその国に属する民であることを示す証である。モンフェラート公国は黄色であり、フェルドゥス王国は黒だ。
聖王国自体としての国色は白なので、モンフェラート公国民は公的な場だと白と黄色の服を纏うことが多いが、これからのセラフィータは黒を基調として服を仕立てていくことになるだろう。
もっとも
両親と、そして妹を呼んでマゼッティ家四人が揃う最後の朝食を終えれば、既に身支度は済んでいる。
嫁入り道具の持ち込みは一切ない。セラフィータの荷など研究設備と資材以外は衣服のみ、という令嬢にあるまじき輿入れである。
「本当に鳥馬は置いていってよいのだな?」
「ええ、まだ若いですし売れば多少の資金にはなりますでしょう?」
セラフィータはもう王国貴族ではなくなったので、自分で馬を駆る必要はない。
聖王国貴族が跨がる鳥馬は人一人を乗せて空を飛ぶだけあって筋肉質。栄養価の高い餌をやらないとやせ細って空も飛べなくなる金食い虫でもある。
名馬は貴族にとって誉れで財産だ。だが末端の聖王国貴族だと、鳥馬の維持で精一杯になってしまうほどに維持費が高いのだ。これから森で生活するセラフィータには鳥馬は不要だろう。
だが鳥馬を置いていくということは、いざという時セラフィータには森から逃げる足がない、ということでもある。
両親の心配はもっともだが、健康な鳥馬は聖王国では買い手数多だ。ここは多少なりとも資産を両親に還元しておくべきだろう。
「セラ、貴方本当に使用人なしで生活できるの?」
今更母親が不安になったのか青い顔で聞いてくるが、学生時代に恩師のゼミに籠もっていたセラは一人で身なりを整えることに慣れている。
伯爵令嬢でありながら、自分の手でだいたいのことはこなせるのだ。料理はやったことがないが、とある理由でお菓子作りならできたりもする。
それに行く先は森である。人の手を借りなければ着られない衣装を纏う機会など、もう訪れることはないのだろうから。
「大丈夫よお母様。そんな心配しなくたって」
「貴方には心配いらない要素なんて何一つない、ってことを貴方一人だけが理解してないから心配なのよ」
「……」
妹にも同じことを昨日言われたばかりのセラフィータは割と凹んだ。どうやら家族内でセラフィータは相当の問題児扱いらしい。
まあ、純粋な貴族視点で見れば確かにセラフィータは怪しげな魔術の研究にのめり込み、令嬢らしいところがない駄目な子に見えるのも仕方ない、と自分を慰める。
「とにかく、あまり不安そうな顔をしないで下さいお父様、お母様。ルーク様まで不安になってしまうでしょう?」
「そうだな、既に挙式は済ませたわけだし、今更突っ返されても困る」
父親の酷い物言いをさらっと無視してセラフィータは母親と一度抱擁を交わし、次いでケルビナ、あと今生の別れになるかもしれないので、一応父親とも。
「それではセラフィータ・デッラ・マゼッティ改め、セラフィータ・カンプフント。行ってまいりますわ」
「ああ、幸せになるんだぞ」
「生水は飲んでは駄目よ!」
「無駄遣いして追い出されないようにね!」
そうしてセラフィータは家族に別れを告げ、離着陸場で待っていた良人の元へと向かえば、
「早かったな、もういいのかい?」
離着陸場では職員がセラフィータの荷をフェルドゥス王国所属の集配飛竜の背中に固定しているところだった。
「はい、今生の別れでもありませんので。ルーク様の方は?」
「親父とお袋は先生に用があるそうで森に戻るのは一騎だけ……そうだ、紹介しておくよ。俺のパートナーである騎竜のダナンだ」
ルークが傍らに伏せっていた騎竜の首筋を撫でると、
「グアッ!」
はい、とでも応えるようにダナンという名らしい騎竜が一声吠える。
前脚の代わりが翼という見た目ほぼ鳥な鳥馬とは違い、飛竜は四肢とは別に翼を備えているようだ。
「人の言うことはだいたい分かる。俺もダナンの言いたいことはある程度分かる」
深緑に輝く鱗に、人の三~四倍はあろうという体躯。身体は引き締まっているが、顔つきはセラフィータが予想していたより愛嬌がある。
黄色いクリッとした目はどこか挑戦的なように輝いているけど、不思議と恐怖は感じない。
角に黒い輪が嵌まっているのは――あれはセラの指輪と同じ魔王国の国民証だ。
魔王国は魔獣をも国民として認めている。だからダナンは家畜ではなく、歴とした国民、セラフィータと同格なのだ。
「歳は二十六で男、人間で言えば歳はだいたい十三歳ほどかな。空を飛ぶのは上手いが気まぐれで拗ねやすい――おっと」
余計なことは言うな、とばかりに振るわれた尻尾をルークは華麗に避けて笑う。
どうやら仲の良いペアであるようだ。と見ているだけでセラフィータは微笑ましくなる。
「昨日だって人の式なんか興味がないとか言ってたのにさ、直前になっていきなり参席したいってごねたせいで君を迎えに行くのが遅くなった。うん、だいたいダナンが悪いな」
「ガオッ!」
続いての猫パンチ、いや竜パンチを躱したルークが、背後で会釈をした職員に片手をあげて応える。
「荷の固定が終わったようだ。前と後ろ、どっちがいい?」
「と、おっしゃいますと?」
ダナンの背中に備えられている、やや大きめの鞍をルークはポン、と叩いてみせる。
「ダナンの背中。鳥馬は置いていくんだろう?」
そう問われて、少しだけセラフィータは気恥ずかしくなった。
そうだ、鳥馬を返したんだから、セラフィータはルークとダナンの背中でニケツしてフェルドゥスの大地に降りるのだ、と。
「ど、どちらが宜しいでしょうか」
「そうだね、速度を出すなら俺の視界が開ける方が、ってそういうことを聞きたいんじゃないよな。安全なのは君が前だね。安全帯でハーネスに身体を固定するから万が一にも落下することはないけど、俺が抱きかかえるかたちになるし」
逆に後ろだと腰に手を回して貰うことになる、ということで密着することに変わりはないらしい。
「えっと、では後ろで……」
気恥ずかしさが勝ったセラフィータは後ろを選択した。
どちらかと言えば、抱かれるより抱きつく方がまだ自分の行いである以上、照れくささが抑えられるし、赤く熱った顔を見られずにすむ。
「了解」
どうやらルークにとってはどちらでもよかったらしい。先に鐙に足をかけてダナンの背中に跨ると、
「それでは奥様、お手を」
「あ、はい」
鐙に足をかけて手を伸ばしたセラフィータは安々と引っ張り上げられて――無論、自分が重いとは思ってなかったが――その膂力に感心してしまう。
――さっすが現役騎士。力あるんだなぁ。
細身に見えるが、どうやら第三人類種オーガの血筋は伊達ではないようだ、と。
そのままルークは自分の手で安全帯を、セラフィータには学院職員が安全帯をダナンのハーネスに取り付けてくれて強度を確認。
離陸準備完了と職員が手を上げて下がっていくと、遠話の魔装具が備えられた籠手にルークが魔力を流して通信を確立。
「それじゃあ出発だ。フェルドゥス王国蒼星騎士団ルークよりブルーガーデン蒼穹騎士団本部へ、離陸許可頼む、以上」
『ブルーガーデン蒼穹騎士団本部より蒼星騎士団員ルークへ、離陸を許可する。なお、セラフィータ夫人には学院長命令で常に受け入れ態勢が整えられていることをここに忠告しておく。愛想尽かされるなよ新郎! 以上』
「やかましい! 離陸する、以上!」
ダナンが翼を羽ばたかせると、フワリという浮遊感とともに少しずつ高度が増していき、
「いくぞ、ダナン!」
「ガアウ!」
ブルーガーデン中央、ペールタワーを駆け上るように舞い上がる最中、ペールタワー最上階にいた恩師が窓ガラスの向こうで笑顔で銀色の手を振っていて、だから、
「行ってきます、先生!」
相手は屋内だし、声が届くはずもないのだが。
セラフィータもまた大きく手を振って、恩師に別れを告げる。
ブルーガーデンを離れて向かう先にはセラフィータたちを遮るものなど何一つない、無限に開けた青と緑と白い世界だ。
「乗り心地はどうだい、花嫁様」
「少なくとも私が操る鳥馬よりはお上手よ! あとセラでいいわ、旦那様!」
「それは重畳、俺もルークでいいよ! これから宜しく頼む、セラ!」
「こちらこそ!」
「グガァ!」
「はいはいダナンも忘れてないよ」
振り返ったルークが「ほら、拗ねやすいだろ」と目で語っていて、思わずセラフィータは吹き出してしまった。
どうなることかと思った新婚生活だが、少なくとも人間関係については予想より上手くやれそうだ。
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