第6話 マリッジブルーガーデン
「卒業時より少し背が伸びましたか? 元気そうで何よりです、セラ」
「ありがとうございます、先生は変わりませんね」
「ええ、悔しながらちんちくりんのままですよ。寿命だけは他の魔族と同じだと良いのですが……」
もう七十歳を越えてるはずなのに、セラフィータが入学した頃から全く容姿が変わらない少女が不安そうに肩をすくめる。
魔族こと第一人類種マグスが年を取らない種族なのではない。魔族は人間の三倍生きるが、ゆっくりながら成長も老化もする。
この恩師一人だけが、理由はセラフィータにはわからないが成長から取り残されているのだ。
「マリッジブルーですか? セラ」
「かもしれませんし、そうでないかもしれません」
セラフィータに座るよう手振りした学院長もまた、鈴の鳴るような音を響かせながらセラフィータの横に腰を下ろす。
その身振り手振りは少女のようでいて、鎧を纏う老練の戦士のようでもあり、しかし羽毛が舞い踊るかのようにまるで質量を感じさせない。あえて表現を選ぶなら、そう――環境も相まって天女という言葉が相応しいだろうか。
「すみません先生。たくさん目をかけて貰ったのに、私は結局何にも為れませんでした」
「ははぁ、これは確かにマリッジブルーだ。あのお転婆セラが殊勝にも反省の言葉を述べるなんてねぇ」
そう笑った恩師の顔は、どこか呆れているようにも見受けられる。
「結婚は人生の墓場、貴方もそういう類いの言葉を信じる口ですかセラ。結婚してからの方が人生は長いのですよ。まだまだこれからだというのに貴方は何を黄昏れているんです」
「……でも、私の嫁ぐ先は
「だからこそ優秀な魔術師がいっぱいいますよ。聖王国の貴族街に納まっているよりはよほど貴方向きだと思いますが」
そりゃあ師ならそう前向きに考えられるだろう、とセラフィータはほんの少し呆れてしまった。
この学院は魔王国が総力を挙げて制圧するまで、「数多の龍を運んで大陸各地を回る龍の巣」という極めて危険かつ厄介な存在だったのだ。
要するにこの空飛ぶ島が魔獣の手に有る限り、人類圏のどこであろうと容赦なく対魔獣戦線の最前線になってしまう、と言えばその危険性は瞭然だろう。
人類圏の平和のために腹をくくった魔王が、幾多の犠牲を払いここを人類の手に取り戻した――まではよいとして、何故このような少女が学院長を、つまりこのブルーガーデンの統括を務めているのか?
その答えは単純で、この学院長がブルーガーデン陥落作戦において功績第二の手柄を立てた龍殺しの英雄であるからだ。
四肢のうち、三肢が義体。それはこの恩師がブルーガーデン陥落作戦に挑んだ
ブルーガーデン陥落作戦に
四肢が腕一本しか残っていない、肉体的には今と同じ十二歳程度の身体で、この魔族は人類史に名を残すレベルの活躍をしてのけた。
然るにセラフィータにとってこの恩師は理想であり希望たり得た。この恩師に出会えたから、セラフィータは腐らずに学院を卒業できたのだ。
片脚がろくに動かない自分にだって、この恩師みたいな活躍ができるんじゃないかと、そんなふうに自惚れて。
「神樹の森は魔術師が生きるにはこれ以上ない環境ですよ。魔獣の素材も沢山手に入りますし」
「私は先生と違って魔獣から身を守れるわけではないんですけど」
「それは夫に頼ってしまいなさい。よい土地ですよあそこは。能うならば、私も学院長なんて立場を放り投げて帰りたいぐらいなんですから」
「……帰りたい?」
「ええ、私が育ったのがあそこ、神樹の森ですからね」
そう聞かされたセラフィータの顔に、少しだけだが生気が舞い戻ってきた。
恩師が育った場所があそこであるというなら、たとえ人類未制圧領域といえど興味を惹かれなくもないからだ。
「私みたいな魔術師未満の雑魚でも、生き延びられますか?」
「その程度はルークを信用してあげてもよいと思いますよ。あの子はいい子です、決して貴方を危険に曝したりはしませんよ」
まるで見てきたように語る恩師の言葉にセラフィータは首を傾げた。
「もしかして、お知り合いなんですか?」
「ええ、森で暮らす面々はだいたい知り合いです。というかルナーリア様から今回の話を聞いてルークを推挙したのが私ですし」
「え!?」
恩師曰く、マゼッティ家の上の娘が嫁ぎ先を探していると聞いて、どうやらセラには貴族社会の水が合ってないのだろうと推測、此度の提案をしたのだそうだ。
「これ、先生の伝手だったんですね……」
「貴方を聖王国では一般的ではない刻印魔術に転ばせたのは私ですからねぇ。一応責任みたいなものも……え、泣くほど嫌でしたか?」
そうではない、この両目から零れ落ちる涙はそういう意味ではない、とセラフィータは
学院を卒業した後も、こんな、数多いる生徒の一人でしかなかった己のことを覚えていて。気遣ってくれたというその事実がたまらなく嬉しくて仕方がないから、セラフィータの涙は止まらないのだ。
しばし顔を両手のひらで覆って、頬をしとどに濡らし、零れ落ちる涙が止まるまで、恩師はただ黙ってセラフィータを見守ってくれていた。
「森は自給自足の生活ですので、使用人にお世話してもらえるわけではありませんが。あそこでは誰も貴方を指差して笑ったりはしません。貴方がやったことの全てが貴方の成果であり、貴方の責任です。肉体的には辛いですが、気は楽ですよ」
「……ありがとうございます先生。私、頑張ってみます」
「ええ、辛かったらこのブルーガーデンがフェルドゥス上空に来た時に、ここまで逃げてきちゃいなさい」
背伸びした恩師にそう肩を叩かれ、セラフィータはようやく笑顔を恩師に向けることができたが、
「あ、森から逃げると言っても森の中からいきなり空高く飛び立っちゃ駄目ですよ? 神樹は空から自分に近づくものを容赦なく焼き殺しますからね」
「…………」
やっぱり危険な土地じゃないですかやだー、とセラフィータは内心で頭を抱えてしまうのである。
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