第4話 かつての学び舎に、再び




「では、忘れ物はないな。ゆくぞ」


 モンフェラート家の使用人たちが頭を垂れる前で、モンフェラート伯クレートが鳥馬に鞭を入れると、


「クェエエエエッ!」


 クレートが跨る鳥馬が大きく翼を広げて羽ばたき、その身体を宙へと浮かせる。

 その後にマゼッティ伯爵夫人ドミナ、マゼッティ伯爵令嬢セラフィータ。さらにマゼッティ家の使用人と護衛それぞれ三名ずつが続き、マゼッティ伯爵家一行は大空の旅人としてひたすらに高度を上げていく。




 貴族とは本を質せば騎族、すなわち馬上の人である。

 鳥馬という人を背に乗せて飛べる巨大な鳥を駆り、南北大陸じゅうを駆け巡って聖王と共に人類圏拡大の為に戦った戦士の末裔を、聖王国では貴族と呼んでいる。


 時代が下り、貴族が戦士階級ではなく殿上人となった今でも、建前上は一人が一騎を駆る事こそが聖王国貴族の証にして義務でもある。


 故にセラフィータも一応は鳥馬を駆って空を飛ぶ事ができる。

 無論、引きこもりがちなセラフィータの馬術はたかが知れているので、何とか飛ばせる程度でしかないが。


 そうやって東西でも南北でもなく、ただ青い空を遥か上へ上へとマゼッティ家が向かっているのは、何もあらぬ方を目指しているのではなく、


「あー、久しぶりの学院だ、懐かしいなぁ……」


 此度、式を挙げる会場である学院は空中に浮かんでいるからだ。




 空中学院ブルーガーデン。


 かつては魔獣の巣としてあらゆる人類国家を脅かす厄災だった浮遊島を、四十年ほど前に魔王国が奪還。人類圏としたはいいものの、今度は魔王国が侵略の橋頭堡に使うと思われても困るとのことで、聖王国施設としての利用を打診。国際協議の結果として学院を誘致。

 そうやって現在は南北大陸の上空を周遊しているこの浮遊施設こそが、南北大陸全ての令嬢令息が集いて学を修め切磋琢磨する学びの園、聖王国立大学院である。


 その面積は小さな島ほどもあり、現滞在者は学生が約六千名、侍従及び護衛がその三倍弱。

 学院職員が約三千(各国寮の寮監以下勤務員含む)、商工業者も同じく約三千、荷物や人員移動に従事する魔王国民飛竜が百五十名と、総人口数は三万人近くにのぼる一大空中学院都市だ。


 大陸全土の貴族子女を抱えていることもあって、三百騎ほどの空戦騎士が防衛戦力として常時駐屯しており、


「空中学院ブルーガーデンへようこそ、国民証の確認を」


 ブルーガーデンに接近したマゼッティ伯爵家にも、すぐさま護衛の騎士が槍を手に鳥馬を駆って接近してくる。


「モンフェラート公国マゼッティ伯爵家だ。事前通達に従い入領手続きを求む」


 マゼッティ伯家三人が右手を差し出すと、右手の中指に嵌められていた黄色の指輪から淡い光が放たれて、騎士の篭手へと吸い込まれていく。


『ザッ……本部確認。モンフェラート公国マゼッティ伯爵クレート様、奥方ドミナ様、伯爵令嬢セラフィータ様の国民証照合完了しました。来訪予定と合致。騎士マリオ、ご案内を。以上』

「騎士マリオ了解。案内のために定期巡視任務を離れます。以上」

『本部了解。以上』


 篭手より放たれる本部からの無線音声に、護衛の騎士が緊張を緩めて穏やかに笑う。


「それではクレート伯爵閣下、ブルーガーデン着陸までのご案内をこの蒼穹騎士団員マリオが務めさせて頂きます」

「うむ、宜しく頼む」


 鳥馬の翼を翻した騎士の後に続きながら、セラフィータの胸は懐かしい学院の光景でいっぱいになる。


――ここにいた頃はまだ、胸に希望を抱いて生きていられたのよね。


 恩師に励まされて、学を修めることに夢中になっていたあの頃はどれだけ幸せだったのだろう。


「二十年経ってもここは変わらぬな」

「本当ね、貴方と過ごした学生時代が懐かしいわ」


 そしてそれはセラフィータの両親も同じなのだろう。

 かつての学舎を鳥馬の上から見渡している両親の目には、肩を並べて校舎へと向かう若き頃の自分たちが映っているのだろうか。


 緑豊かな外苑御園を飛び越え、熱気と活気に湧き立つ商工業区、次いで見慣れたモンフェラート公国寮をも飛び越えて。

 学院中央区ペールタワーの近くに騎士マリオの誘導に従い着陸すると、


「それでは、手綱をお預かりします」


 マゼッティ伯爵家一行の鳥馬を預かりに現れた学院職員の背中、そこには鳥馬のような翼が備えられていて、両親と共にセラフィータは軽く目を瞬いてしまう。


――この人、第五人類種ハーピーだ……!


 聖王国では第二人類種しかほぼお目にかかれないが、流石は魔王国の領土である。

 第二以外の人類種も学院中央施設には勤務しているらしい。


「マゼッティ伯爵閣下でございますね?」


 さらには横合いから声をかけられて振り向けば、学院職員なのだろう。

 白い髪に赤目という第一人類種マグス共通の特徴を備えた女性がクレートに歩み寄ってきて頭を垂れる。


「いかにも、モンフェラート公ルナーリアよりマゼッティの地を任されし聖王が下僕、クレート・デッラ・マゼッティである」

「お初にお目にかかります。この度マゼッティ伯爵家の滞在補佐を任されましたフェルドゥス王国民レネと申します。疑問点ご要望等ございましたら全て私にお申し付け下さい」

「ああ、宜しく頼む」

「こちらこそ宜しくお願いします。それではブルーガーデン滞在中のマゼッティ伯爵家様のお部屋へとご案内致します」


 レネによって案内された貴賓用の宿泊施設は、


「随分と豪華な部屋ですね、お父様」

「学院は南北大陸の人類国家全てに来訪できる唯一の人類施設だ。時に小国の王家や聖王国公爵家も宿泊するからだろうよ」


 マゼッティ伯爵家のカントリーハウスより格調高く壮麗な造りをしていて、セラフィータからすると少しすわりが悪い。

 絨毯とかこれ余裕で踝まで埋まってしまうし、調度品や柱の彫刻、天井に描かれた絵画に至る全てがセラフィータを圧迫してくるのだ。


「地上にご用意頂いていた荷物は既にブルーガーデン所属の集配飛竜が回収済みですが、お部屋へのお届けまではもう少々お待ち下さい。また御用がございましたら気兼ねなく卓上のベルでお呼びください。それでは」


 レネが退室すると、はあっと気負っていた緊張感が抜けて、セラフィータはソファに沈み込んでしまう。


「私、これならモンフェラート公国寮のほうがよかったわお父様。息がつまっちゃいそう」

「文句を言うな。婿殿の好意だぞ」


 なお、マゼッティ家の滞在費は輿入れ先のカンプフント家が払ってくれているので只だ。

 これがもしモンフェラート公国寮に宿泊となると婿殿、つまりフェルドゥス王国民にはモンフェラート公国寮を使用する権利がないので、マゼッティ家がモンフェラート公国に宿泊費を支払うことになる。

 要するに此処もお金がないからという話であり、やはり誰が悪いかといえばセラフィータが悪い、ということになってしまうのである。


 しばしの後に連れてきた使用人の手でお茶とお茶請けが用意され、マゼッティ家の面々でお茶を堪能していると、


『これより空中学院ブルーガーデンが移動を開始します。警備中の騎士騎竜はプロテクティブジンバル内部へと帰還してください。繰り返します、これより空中学院ブルーガーデンが移動を開始します』


 学生時代に嫌というほど聞いた校内放送が流れて、少しだけセラフィータは学生時代を思い出し、緊張していた心が解れていく。


 窓から空を見上げれば、学院の空には相互独立して回転する三枚の輪が架かっていて、それが見えるか見えないかで学院が航行中か停泊中かを判断できるのだ。

 体感では、動いているとは少しも気付けないのだが。


「まこと、優れた技術だな。これが七百年以上も前に建造された施設とはとても信じられんよ」


 セラフィータ同様に窓の外を見やった父クレートが、どこか負けたような表情でそう呟いた。


「学院も支配の魔装具ルーラーも、私たち現代人の技術では到底解明もできないオーパーツですからね」


 父の感心に、セラフィータはある種の諦観を以て応える。


 七百年前にこの南北大陸の人類圏は魔獣の大氾濫によって一度全て消滅した。大陸全土が人類未制圧領域ベスティアルエリアと化したのだ。

 文明は魔獣の津波に駆逐され、知識人は淘汰され、人の生活は原始的なレベルにまで低下した。


 四百年前に聖王と十二勇士が聖王国を築いて、それを足掛かりに人類圏はかろうじて息を吹き返し、今も人類は文化復興の最中にある。

 だが一度失われた技術は、そう簡単には元には戻らない。


 あるいは七百年前の技術であれば、セラフィータは今も優雅な裾捌きで令嬢をやれていたのかと、そんな事を魔術を研究すればするほどに考えてしまう。






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