第2話 お父様、こういう時だけ本気出さなくってもよろしいのに




 セラフィータ・デッラ・マゼッティは偉大なる聖王とその股肱たる十二勇士が四百年前に興した、聖王十二諸公国はモンフェラート公国に生を受けた伯爵令嬢である。


 聖王十二諸公国は初代王たる聖王のみを唯一の王と掲げ、故に十二勇士は一国一城の主となりながらも自分たちの身分を公爵に留めた。

 歴代の公爵たちは決して驕ることなく、永遠の唯一君主たる聖王の下僕として、十二の公国は四百年の時を紡いできたのだ。


 そんな歴史あるモンフェラート公国は一地域であるマゼッティ伯爵家、その当主たるクレートの長女として生まれたセラフィータはごく普通の貴族令嬢として育ち、ごく普通の貴族夫人になる――

 はずだった。


 十歳の時、左脚が不自由になるほどの大怪我を負わなければ。


 運悪く暴走した馬車に轢かれたセラフィータは一命こそ取り留めたが、左脚は酷い有様だった。

 足首以下を馬に蹴られ踏まれ、更には砕けた馬車の破片が脛に深々と突き刺さり、完治はおろか、原形を留めての治療すら不可能という大怪我を負ってしまったのだ。


 その後、医者の治療により傷は塞がった。だがそれは傷が塞がった、というだけの話であり、セラフィータの足が回復した、という意味ではない。


 ダンスのステップも踏めず、歩く姿がぎこちないセラフィータの貴族令嬢としての価値は消失した。

 元は婚約者もいたのだが、エスコートをしてやっても美しく歩けないセラフィータに婚約者は愛想を尽かし、婚約は解消となった。


 学院に入学するまでのセラフィータは茫然自失、終いには誰もいない空間イマジナリーフレンドと会話をし始めれば、両親はそれはもう大いに焦った。

 幸い魔術師を呼んできてイマジナリーフレンド自体の存在自体は消すことができたが、今度は意気消沈して部屋に引き籠もってしまい、こうなると両親としても打つ手がない。


 しかし幸運にも、貴族の義務として入学した学院生時代の教師には、セラフィータは徹底して恵まれることとなった。


「宜しいですかレディ・マゼッティ。脚が動かなかろうが手が動かなかろうが、頭が動くなら学問は誰にでも平等なのです」


 学院長のその一言は、消えかけていたセラフィータの命の灯火を再び力強く燃え上がらせたのだ。


 社交界でのセラフィータは完全に無価値となったが、それでも恩師の発破もあり聖王国貴族の子息令嬢が通う聖王国立大学院を無事に卒業することができた。

 つまり外枠はさておき中身に関しては、セラフィータは聖王国貴族令嬢としての及第点を満たしている、ということだ。


 とはいえどこかぎこちない姿勢で歩く見苦しい令嬢になど婚約の打診はおろか、文官として雇用したいという誘い一つ来るはずもない。

 当然、家庭教師ガヴァネスや上位貴族令嬢の侍従としても、歩法の美しくないセラフィータは歓迎されない。


 そのうちどれだけ勉強しても自分が誰かに雇用される未来は無い、と気が付いたセラフィータは魔術に倒錯した。

 魔術ならば、研究をして特許を書けば収入を得ることができる。そこに歩き方は一切関係ない。


 そんな娘の直向きさをマゼッティ伯クレートは一度は喜び、そして次第に辟易していき、最後にはこのように憤怒に染まることとなった。




 そう、魔術の研究にはお金がかかるのである。




「いいかセラ、お前が幸せに生きてくれれば私は嬉しい。しかしそれはあくまでマゼッティ伯爵家の財政を脅かさない範囲で、との前置きが付くのだ。分かるな」

「も、勿論ですわお父様」

「いいやお前は分かっていない。分かっていたならこういう無駄遣いはしなかったはずだ」

「お言葉ですがお父様、これは無駄遣いではなく――」


 何とか食い下がろうとしたセラフィータは父親の眼力フラッシュにヒッと息を呑んだ。


 分かる。何事にも鈍いセラフィータにも分かる。ここでの反論は命――主に学者生命に関わるのだと。

 今の父ならセラフィータを呪殺できたとして何ら不思議ではない。そんな雰囲気を父クレートは全身からオーラのように立ち上らせている。


「どうせお前はもう私が何を言おうと耳も貸さんのだろうな」

「い、嫌ですわお父様。私にも分別というものがございますし」

「その分別とやらは蒲公英の綿毛より軽く、明日にはどこやらへと飛んで行ってしまうのだろうよ」


 ハァ、と溜息を吐いたマゼッティ伯クレートは体重を預けていた机から身を離し、スゥッと瞳を細めた。


「私も覚悟を決めた。何としてでもお前に相応しい嫁入り先を探してやる」

「……いや、無理だと思いますけど」


 セラフィータは自分の足元に視線を落として、力無くそう呟いた。


 そう、セラフィータだって分かっているのだ。自分のやっているこれは只の逃避であることを。

 本来の貴族令嬢としてあるべき姿になれないセラフィータは、だからその現実から逃げるように研究に没頭した。


 能うならば、セラフィータとてごく普通の貴族令嬢として、ごく普通に恋愛をして――は貴族だから無理かもだけど――ごく普通の夫人になりたかった。

 だけどこの脚は――この脚はもう二度と滑らかに軽やかに動くことはない。

 エスコートしてくれる男性に幽雅に追従し、軽やかにダンスのステップを踏み、見惚れるような所作で振る舞うことはもうセラフィータにはできないのだ。



――まあ、なんて見苦しい裾捌きなのかしら。子供の頃に一体なにを学んでいて?


――本当、私だったら恥ずかしくて貴族街になどいられませんわ。


――あの程度の歩方でどうして人前に出てこようと思えるのかしら。



 そういった陰口をともがらに育ったセラフィータは、自分が貴族令嬢であることを忘れたかった。

 その意を汲んで実父マゼッティ伯クレートはこれまで我慢してくれていたが――所詮セラフィータは師もいない独学の魔術師でしかない。


 どんなに研究を重ねようと、ただ一人で魔道書も指導書も先達もなく、特許になるような研究ができるはずもない。

 道具が良ければ、素材が良ければとセラフィータは焦るように湯水の如く家の金を投じ、そうして優しかった父もついに我慢の限界が来たのだ。



――これが、潮時かぁ。


 ギュッと、セラフィータは唇を引き結んだ。そうしていないとふいに涙が零れそうになってしまったからだ。


 結局、何者にもセラフィータは成れなかったのだ。立派な貴族夫人にも、魔術の研究者にも、モンフェラート公国の文官にも、そして家族に認めてもらえる存在になることすらも。


 然らば、父親がどのような話を持ってこようとも、それを唯々諾々と受け入れるしかない。

 せめてもの情けということで、父も魔術の研究を続けさせてくれる相手を探してくれると言ってくれた。


 ならば、父が持ってきた縁談を受け入れるしかない。それがセラフィータにできる、唯一の親孝行である。

 そう、思っていたのだが……


「は? 魔王国で森暮らし?」

「そうだ、魔王国の第三人類種オーガが聖王国貴族令嬢を嫁にお望みだ」


 流石にそれはないだろう、とセラフィータは呆然と頭を抱えてしまった。


 厄介払いにしても、もう少し相手を選んでくれても良いだろうに、と。






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