神樹の森の魔木義体師
朱衣金甲
第1話 父燃ゆ
「セラフィータお嬢様、お届け物が届いてございますよ」
「待ってました!」
侍女のマグダが机の上に置いてくれた包みを、包装紙を破り捨てるようにして開封する。
封を破り、箱を開けた蓋の中に並んでいるのは色鮮やかな液体が込められた小瓶の数々。
おがくずが机に落ちないようそっとその中の一つを手に取ったセラフィータは、それを目の高さに掲げてホォッと熱っぽい溜息を吐いた。
小さなラベル以外は何も張られていないガラス瓶に映るのは、若草色の髪に蒲公英色の瞳という、パッとしない己の顔だ。
「うっふっふ、ようやく次が試せるわね!」
もっともそのパッとしない顔は今やだらしなく頬が緩んで、とても殿方には見せられない顔になってしまっているが。
「時は金なり! 善は急げってね!」
部屋の主たるセラフィータがそっと指を伸ばすと、壁際に立ち並ぶ標本棚の小瓶が一つ、コトコトと揺れて落下――
することなく空中でふわりと浮き上がり、そのままセラフィータの手元へとやってくる。
世界を支えるといわれる七柱の神々の一柱、空神の派生たる風神の神詠魔術だ。
セラフィータは大した魔術師ではないが、こと小さなものを風で動かすという一点においては卓越した技術を身につけている。
水の入ったバケツ一つ運べない、あくまで貴族令嬢が手にするもの程度しか動かせないが、無詠唱でここまでできる令嬢となるとそうそういるものではない。
「入るぞ馬鹿娘!」
「うひゃあ!」
もっともこうやって集中力が切れると、ゴトンと運んでいたものを落としてしまう程度の魔術ではあるが。
「お父様! 割れたらどうするんですか! あと娘の部屋にノックもしないで入ってこないで下さい!」
「ノックしたわバカモン! 八回もだ! したのはジルドだがな!」
え、嘘? といきり立つ男の背後に控えるピシッとした燕尾服の老紳士に視線を向けると、老紳士が静々と頷いてセラフィータの背筋がヒヤリと冷える。
「そ、それは気付きませんでホホホ……」
あっちゃーこりゃやぶ蛇だったかとセラフィータは頬をかいて、イカンそんな場合じゃなかったと慌てて床に落ちた小瓶に目を向ける。
「よかったー割れてなかった!」
セラフィータはこれでも伯爵令嬢、その自室にはしっかりと厚手の赤い絨毯が敷き詰められていて、それが緩衝材になってくれたようだ。
いやはやお絨毯様には足を向けて寝られませんわ、と小瓶を風で足元まで転がし、手に取って顔を上げると、
「ヒィ!」
目の前には般若もかくやと言わんばかりに怨念を湛えた父親の顔が待ち構えていて、再び小瓶を取り落としそうになる。
「ほぉ、その小瓶はマゼッティ伯爵家当主のお言葉より大事か、ええ? マゼッティ伯爵令嬢セラフィータ」
「お、お父様。この小瓶は南大陸だとクルカフラマンの森でしか採れないルピアの花の蜜でございまして、決して粗雑に扱ってよいものではございませんの」
「そうかそうかそうだろうな。マゼッティ伯爵家の予算をちょろまかして買った高級品だ、易くは扱えんだろうな」
ずいいっ、と父親に顔を近づけられて「お父様近い近い顔が怖い!」と後ずさりたくなるが、残念なことにセラフィータの運動神経はミツユビナマケモノ以下だ。
般若の面の如くに口元を引きつらせ目は爛々と怒りに輝く実父を前に、椅子から逃げることもできず乾いた笑みを返すが精一杯である。
「幾らした」
「え?」
「さっき届いた荷だ。今度は幾ら使った。ええ?」
セラフィータは死を覚悟した。父親の口からこぼれ落ちたる言の葉は怨嗟を纏いて呪いのようにセラフィータの自由を縛る。
無論、父親は清く正しい真っ当なモンフェラート貴族なので、呪詛も怨念も使えるわけではない。セラフィータの錯覚である筈なのだが……
「き……金貨22ま゛い゛っ」
語り終えるより前にセラフィータの目の前でチカチカと星が瞬いた。
御年二十にもなって父親に拳骨を落とされたのだ、と気が付いたのは遅れて痛みが頭頂部にやってきてからだ。
「ぼ、暴力反対! モンフェラート公国紳士にあるまじき振る舞いですわ!」
「家の金をちょろまかして買い物してる横領犯の言うことかぁ!」
今度は両手でむんずと頬を引っ張られたセラフィータは変な顔のまま悲鳴を上げたが、救いの手を差し伸べてくれる者は誰一人としていない。
流石に今回は無駄遣いが過ぎる、と誰もが呆れていて、周囲はセラフィータより当主クレートに同情的になっていたからだ。家令ジルドも、侍女マグダもだ。
「私はどうやらお前を甘やかしすぎたようだ、セラフィータ」
はぁ、と溜息を吐いてモンフェラート公国はマゼッティ伯爵家当主、クレート・デッラ・マゼッティが右手で顔を覆う。
なお左手はガッシリとセラフィータの小柄な頭を掴んでいて、セラフィータは椅子から立ち上がるどころか身動ぎすらできない。
「そ、そこはほら、可愛い娘のやることですから……」
「ああ、可愛い娘を信じてこれだけ使い込みをされればそりゃあ聖王陛下とて助走を付けて殴るだろうよ」
グギィ、と五本の指にかかる力が弥増して、セラフィータは口を噤んだ。今日の父親は割と本気で怒っている。
いや、まあ、弁解のしようがないほどにこれはセラフィータが悪いのだが。
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