『売文屋』

小田舵木

『売文屋』

「文章。お売りしましょうか?」眼の前の怪しげな男はいつの間にか現れていた。

「ついに…書けなくて幻影見るようになったか」俺はアマチュア作家である。

「いいえ。幻影なんかじゃありませんよ。勝手にはお邪魔しましたが」安っぽいスーツに身を包んだ男はそう言う。

「…鍵、掛け忘れたかな?」

「いいえ。勝手に開けさせて頂きました」

「不法侵入ってヤツだぜ?」

「でも。貴方あなたは私を必要とすると思いますよ?」さっきから会話が微妙に噛み合ってない。

「必要とする…ねえ。文章を売る、だっけ?」

「そう。今、貴方が書いてる小説に必要な文章。お売りします」

「俺はアマチュアの作家だぜ?買ってまで書きたかないよ」実際、趣味でサイトにポストしてるだけだ。

「そうでしょうか?貴方は先程から苦しんでらっしゃる」

「まあ…実際。しんどいっちゃしんどいわな」

「でしょう?私から文章を買ったら楽になれます」

「買うとしてだ。俺は何を払えばいい?カネか?あんま持ってないぜ?」貧乏人のちょっとした楽しみ。それが小説。

「カネなんて!私には必要ありませんよ」スーツの男はとんでもない、と言いたげに言う。

「…まさか慈善事業じゃあるまいて。うまい話には裏がある」貧乏人は疑り深いのだ。

「裏は…まあ、ありますね」スーツの男は俺の目を見ながら言う。

「さて。それはなんだろう?取引ってのは条件を事前に提示しとくもんだ」

「貴方の―命を頂きます」

「そりゃずいぶん物々しいな」俺は言う。命がけの執筆。まるで昭和の大文豪だ。

「それくらいして頂かないと、こちらも割に合わないんですよね」

「…」俺は考えこむ。考え込むが考えがまとまらない。とりあえずはライティングデスクのキーボードの脇に置いてる煙草に火を点ける。

「あら?貴方煙草をお吸いになる?今どき?」スーツの男は珍しい、と言いたげに言う。

「まあね。特に文章を書く時は手放せない」

「はっはっは。一端いっぱしの文豪気取りもいいとこです。しかしまあ。そうなら説得がしやすい」

「と。言うと?」

「貴方は文章を書く時、煙草を吸う…ねえ貴方、煙草って肺がんのリスクを高める因子だって事はわかってますよね?」

「敢えてそのリスクを踏んでる」ま。本当はニコチン中毒なだけだが。

「んじゃあ、ですよ。貴方はもう事になる」

「それはそうかも知れんな」うん。そういう観点もなくはない。

「なら。私から文章を買って命で払おうが、あまり変わりはないじゃないですか」

「それは。まあ、そうだが。なんというかなあ。あまりにも直截ちょくさい的過ぎると言いますか」

「バカバカしく思えてしまう?」スーツの男は俺の心理の先周りをする。

「まあね。文章で寿命を縮めるなんて」

「でも。それくらいしないと読者はつかめない。あんまり甘い世界じゃないですよ?文学界も」

「それは言えてる。それくらいの心構えがなきゃウケる小説は書けやしない」

「さあ。迷うことはありません。この小説の続き、お売りしますから」

「…買うとしてだ。俺はいくら命をやればいいんだ?」俺は少し心が動いちまった。

「そうですねえ…今の進捗しんちょく的に3ヶ月ってところですか」

「3ヶ月かあ」また微妙なラインである。一作のちょっとした部分の為に3ヶ月分の命を払う。まあ、真面目に執筆しててもそれくらいかかる事もザラだが。

「お安くしてありますよ?」

「もうちっとまけてくれないか?」俺は値切りに走る。根がケチなのだ。

「いや。ビタ一秒まかりません。3ヶ月…今書いてる作品の規模を考えたら、この値段が妥当です」

「そりゃな。無駄に10万字以上書いちゃってるもんな。コイツをボツにしたら1ヶ月はパーだ…」

「さあさあ。迷うことはありません。買ってください、小田さん」

「急かすねえ。考えさせてくれよ」俺は2本目の煙草に火を点けて。考えてみたが…この作品を終わらせられるなら、この取引もありかな。

「小田さん。決まりました?」

「決まった。買うよ、文章」

「毎度あり」彼はそう言うと、俺の頭に手を置いて。わさわさと髪をこする。何を―と思った瞬間、あの文章の続きが降りてきて。

「…思いついた」

「いや。私が売った文章ですけど」

「それでも―ああ。時間が惜しい。済まんが書かせてくれ」

「いいですとも…もう、お代は頂きましたから」スーツの男は部屋を去っていった。俺はそれを見送らなかった。書くことに夢中になっていたからだ。

 

                   ◆


 


 俺が文章を買って書き上げた小説は、ポストしているサイトでウケた。

 びっくりした。初めての事だからである。今までは多少付いていたプレヴューがいっきに伸び、レヴューもつくようになった。

『文章にキレがある。特に後半部分は圧巻…』でも。ウケの要因を分析してみたら、買った文章が大分効いているらしい。

 それに関して―俺は悔しくなった。『前半の部分は凡庸以下、何が言いたいか分からない。この作品のキモは後半』などと書かれたら、もう言える事はない。


 俺は再び、ライティングデスクに着く。このまま売文屋の文章で評価されることが耐えられなくなったからだ。コレは文章書きの矜持きょうじみたいなものである。自分の文章で評価されたい。

 俺は必死にキーボードを叩く。そして己の内なる世界を文章に移す―が。書いても書いても、あの時に買った文章のようなキレはない。

 ああ。キーボードを叩く手が止まる。ああ。アイデアが出なくなる。

「お困りですかね?小田さん」あの男は再び俺の前に現れて。

「よお。売文屋」

「バイブンヤ…?私の事ですかね?」

「そう。まんまな感じだろ?」

「まあ。えて受けときましょう。言いたいことはありますが」

「んで?また現れたという事は?」

「ええ。アイデアこみこみで文章を売って差し上げようかと」

「…お前の文章はウケたよ。お陰で俺は自信を失った」

「それはそれは。ご迷惑をおかけしたようで」彼は頭を掻きながら言う。

「しかし。俺の名声欲は多少満たされた」

「なら良かったじゃありませんか」

「よくねえよ」

「プライドなんてあっても邪魔なだけですよ?」

「そりゃそうだが」

「私が売る文章を書けば―貴方はまた評価されてチヤホヤされます」

「俺をなんだと思ってんだよ」

「文章を書くことでチヤホヤされたい一般人」

「…間違っちゃねえが」俺は十代の頃くらいまでは書くことで自己を規定してきたが、この歳になっちまうと書くことでチヤホヤされたくなってきていた。あの頃は若かった。

「良いじゃないですか。文章を売ってもらった事を知っているのは私一人だけ」

「また。俺を誘惑しようとするな、アンタは」

「それが商売人ってヤツです。商品に夢を乗せる。お客様はそのヴィジョンを買うのです」

「ちやほやされる未来ねえ…ならさ。もっとランクアップしたい」俺は欲をかいてしまう。

「と、言いますと?」

「書籍出版されるレベルの作品を買いたい」

「それは大きく出ましたねえ」

「夢はでっかく。何かのアニメでも言ってただろ」

「まあ、構いませんよ。用意は出来ます。だけど。お値段もそれなりですよ?」

「構わねえよ。どうせ、小説書く位しか趣味がない詰まらない人生だ」

「それでは。貴方の命を10年分頂きます」

「10年…」少し躊躇ちゅうちょはしちまうが。効果は折り紙つきなのだ。

 俺は彼と売買契約を結んだ。商品はすぐに渡された。文章とアイデアが頭の中に降りてきて。

 またもや彼を見送る事なく、俺は文章を打ち続けた。


                    ◆


 俺が売文屋から買ったアイデアと文章で書いた小説はトントン拍子に出版が決まって。

 今、それの校正作業の真っ最中。自分の手ずからの文章ではない文章を校正するのは変な気分だったが、そこは売文屋ばいぶんやのアフターフォローもあり、なんとかなった。

「あーあ。これで俺も書籍化作家か」発売される自分の小説のカバーの校正刷りを見ながら俺はつぶやく。

 いや。しかし。人の力を使って作家になったとして―稼いでいけるだろうか?この先も生き延びていけるだろうか?

 不安になる。またあの売文屋の力を借りないと売れる文章は書けないのではないか?

 ズルして手に入れたこの地位。いかに守っていくか?

「小田さん…呼びましたか?」彼はまたもや現れており。

「呼んではないが、アンタの事を考えてたよ」

「そうですかあ。まるで恋みたいですね」スーツ姿の男は言う。気色悪い。コイツは50代くらいのおっさんな見た目をしているのだ。

「気色悪いこと言うな。とりあえず。俺はアンタ抜きでやっていけるか悩んでた」

「そんなあ。私抜きで文章を書くんですか?今さら?」

「自分の力で文学界に殴り込みをかけたい」

「ま、そう思いになる気持ちも分かりますけどねえ」

「と。言う訳で。次作は一人でやってみる。今まで世話になった」

「まるで今生の別れみたいなこと言うじゃありませんか」

「これでアンタと手が切れれば万々歳だ。もう10年と3ヶ月寿命が縮んでるんだろ?もうこれ以上、命を売りたくはない。俺も30だし」

「弱気でらっしゃる。大丈夫ですよ。貴方みたいな人は長生きしますよ」

「そうやって。俺から命を巻き上げる腹だな。アンタは」

「ま。それが商売ってヤツですよ」

「その手には乗らないぜ」

「そのうち泣きついて来ると思いますけどね…」こうしてスーツの男は去っていった。俺は書籍のカバーの校正刷りのチェックをしていたので、見送ってはいない。

 

                   ◆



 俺の書籍化作家生活は悲惨なものだった。とりあえず売文屋から買った小説はちょっとは売れたのだが。

 次が続かなかった。出す作品出す作品、編集者にボツを喰らい続けてしまい。

「小田さん、前の小説みたいなキレのある文章…書いてくださいよ。じゃないと次は厳しいです」

「はあ…」と応えるのが精一杯。


 参ったな。これ以上ボツを喰らい続けたら、俺の作家人生は終わっちまう―なんて思っていればヤツは来る。

「小田さんが泣きそうだから」クサい台詞と共に彼は現れて。

「現れやがったな」

「ええ。呼ばれて飛び出て」

「いや。マジで参ってる」

「でしょうね。書籍化の次が続いていない。そろそろ編集者にクビを切られそう。私が売った文章の小説はまだ売れてはいるが」

「これがラストチャンスになるかもしれん。売ってくれ。とびっきりのヤツ」俺は必死である。

「良いですが。小田さん、もっと欲をかいてみませんか?」

「と。言うと?」

「あの文学賞狙いましょう」あの文学賞とは、純文学の登竜門的なあの賞である。

「お前…それ、どれだけの値段で売りつけるつもりだ?」気になる。

「そうですねえ。30年」

「それは―結構キツいな」

「それくらいの対価を払う価値があるとは思いませんか?」

「…」ふむ。そりゃ確かに価値はある。あの賞を貰えば、純文学界の末席に座れる可能性が出てくる。

「貴方は―名誉、地位、カネ…それが欲しい。文章を書くことは唯の手段」

「それはそうだな」いまや。趣味で書いてた頃の俺は居ない。

「手段を命で買って何が悪いんですか?良いじゃないですか?それが生きると言うことです」

詭弁きべんだ。だが俺はそれを払いのけるだけのガッツはない」俺はまだまだ。文章で身を立てたいのだ。それが幼いころからの夢であった。

「さあ。書きましょう。そして―夢をお叶えなさい」

「お前は商売が巧いよ」

「それほどでも」

「それじゃあ。取引だ」

「はい」彼は俺の頭に手をやって。わさわさとする…その時、心臓に鋭い痛みが走り。

「あらら。寿命近いですねえ。貴方。不摂生な生活が効いてきてますよ?」

「…せめて。賞を受賞するまでは生き残らせてくれ」

「しょうがない。その分はオマケしときましょう」

「ありがとよ…」そう言いながら俺はフラフラとライティングデスクに向かっていき。


                  ◆


「賞の受賞、決まりました」電話口で編集者は言う。

「ありがとうございます。お世話になりまして」俺は言う。

「それじゃ。後で受賞式の日取り伝えますから」

「はいはい」俺は電話を切って。


 さて。俺の寿命は今日明日には尽きるだろう。

 そう思うと不思議な気分ではある。俺は近々死ぬのだ。

「名誉、カネ、地位。手に入れちまったな」酒を呑む。今晩が最後になるかも知れない。高い白ワインを開けておいた。


 そろそろアイツが出てきそうな気がする。アイツは俺が必要とするときにはサッと現れたもんだ。

「さてさて小田さん」後ろからあの声がして。

「よお。売文屋ばいぶんや…いや死神って呼び直した方が良いか?」俺はここ最近で思い至った彼の正体を暴く。

「あれれえ。バレちゃいましたか」彼はスーツを着ていない。今日は黒いボロ布をまとっている。

「毎度、アンタが出入りするのを見てねえなって思ってな」

「貴方、集中すると周りが見えなくなりますからね」

「まったく。俺は甘い言葉に騙され続けて―お前に命を全部売っちまった」

「対価は用意したんだ。そこらの死神よりは親切だと思いますけど?」

「それもそうだな」

「まったくです。私達はいい取引をした」

「いい取引…ね。ま。良い思いはした。夢は叶えた」

「良かったじゃないですか」

「んで?今日は心臓でも獲りにきた訳かい?」

「いいえ。最後に貴方と話しておきたくてね」

「存外、親切なヤツだな」

「商売人には必要なモノですから」

「ったく。この悪徳セールスマンめ」

「褒め言葉として受け取っておきますよ」そう言うと、目の前の死神は消えた。

 

                   ◆


 かくして。授賞式を俺は迎えた訳なのだが。

 副賞の盾を受け取る瞬間、心臓が飛び跳ねた。そして全身の力が抜けていって。

 ああ、死ぬ間際には走馬灯を見ると言うが…それが夢である文学賞受賞だとはな。

 幸せ…なのだろうか?いまやよく分からない。

 暗くなっていく視界。その端に―あの死神は居た。彼は微笑みながら俺を見送っていた。

 死んだ後の魂も彼に渡す事になるのかな?



 

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『売文屋』 小田舵木 @odakajiki

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