高知の漁村にて

岩口 遼

漁村

高知県は面積に占める森林率が日本一だ。

同時に県南部は全て太平洋に面している。


つまりどういうことか、僕の村を例に出すと分かりやすい。

普通の漁村は白浜があり、開放的な雰囲気を纏っている。

だがここは違う。海岸からすぐに急峻な山地となり、その斜面、岩牡蠣のように村がへばりついているのだ。


四国と一口に言っても、他の三県とこの高知では随分と色が違う。

穏やかな瀬戸内海は本州との交易という果実をもたらすが、険しい山脈に隔たれた高知はその恩恵に預かることがない。

太平洋がもたらすのは、鰹と潮風、そして台風だ。


潮臭い風が海からせり上がってくる。

辻々を抜ける生臭い海の匂いは、村を通り過ぎ山頂付近にまで届いた。


提灯の火が消えるのを確認して、一族の墓に背を向ける。

僕が最後の一人だ、みんな先に下山したのをさっき確認した。

逢魔が時と呼ばれる夕刻の空は、重く黒い雲が垂れ込めている。

湿気が肌にまとわりつき、じっとりとした不快感を覚えた。


山頂に近い場所にあるこの墓地は、先祖祭りで大層賑わった。

南国特有の風習だろうか、墓の前で親戚一同が皿鉢さわち料理を囲んで、大宴会をするのだ。

祖先達を労うため、という口実で懐かしい顔を酒を酌み交わす。

正治叔父さんや従兄弟の涼介、その他顔も覚えていない親戚達と騒ぐのは意外にも楽しかった。


東京の大学に進学したため、高知へ帰省するのは久しぶりだった。

地元しか知らなかった時と比べて、ずいぶんと見識が広がった気がする。

この海と山に囲まれた狭い空しか知らなかったのが信じられない。


入学当初は驚くことばかりだった。

都会の街並みやファッション、文化といったものも新鮮だったが、何より賢い人間がこれほどいるのか、と圧倒された。

通う工業大学は論理的に話をする人達ばかりで、正直地元の友達よりもウマが合った。同時に、彼らから受ける刺激は自らの中に新たな哲学を生み出した。


世の中は理論と理屈で全てが説明できる。


よくスポーツ漫画で、噛ませ犬として理論派のライバルが出てくる。

大抵眼鏡をかけた彼らは、主人公の潜在能力を見抜くことができず、最後に逆転され負けてしまうのだが、もし秘められた力を見抜いて対策していたらどうだろうか?

負けたのは結局調査不足なだけで、理論が敗北した訳ではないのだ。


自分の中のプライドを賭けた戦いがこれから始まる。

墓地の入り口、通称地蔵堂に籠り、そう心の中で呟いた。


この村ではお盆の昼に先祖祭りを行い、必ず夕暮れには家に戻る因習がある。

なぜなら、夕方以降は帰ってくるのだ。

ご先祖たちが。


は海からやって来る。

漁村では、海の彼方にあの世があると信じられてきた。

補陀落渡海という言葉があるように、黄泉に行く時は遥か海の向こう側を目指す。

逆もまた然りで、彼らが帰って来る時は海から上がって来るのだ。


浜に上がり、坂にある家々を通ってこの墓地を目指す。

お盆のこの時期、この時間は彼らのものなのだ。

だから村人達は家に籠り、決して出てはならない。


だがどうしても信じられない。

今までは大人しく言い伝えに従い、家の中でじっとしていた。

それはこの村の人間で、ここしか知らなかったから。

しかしもう違う、外の世界を知ってしまった。

従うか従わないかは自分で決める。


別に因習が気に食わない訳ではない。

もし彼らが帰って来るのであれば、それは事実として認めよう。

だが自分の目で見ない限り、信じることはできない。


そのために、墓地の最下段にある辛気臭い地蔵堂に籠っているのである。

一説には無縁仏を祀っているとも言われているが、誰も本当のことを知らない。

せいぜい墓参りの帰り、雨に降られた時に避難する用途でしか使われていない場所なのだ。


三体の地蔵が収まる隙間に身体を捩じ込んでいる。

格子こうしの外はポツポツと雨が降ってきた。

曇天は更に闇を増し、三十分もすれば夜に包まれる。


下り坂を雨に降られながら帰るのは嫌だな、と思った。

その矢先、音が聞こえた。


ざりざり、と大勢の足音。

一瞬、家族が探しに来たのかと思ったがどうも違う。

人が多過ぎるのだ。


じわりと汗が滲む。

暑いはずなのに、この汗は違う。

首筋の毛が逆立つのを感じた。

得体の知れない存在が近くにいる、理屈では説明できない何かがいる。


勝手に身体が震え出す。

音をたててしまわないように、自分の身体をギュッと掻き抱く。

言い伝えは本当だった、あれが来てしまった。


パニックになりながら、頭では全く別のことを思い出していた。

必修の授業で一緒だった外国人留学生、彼から教えてもらったスラング。

「ナッツ」という言葉。木の実ではない、クレイジーと同じ意味があるそうだ。


状況はまさにナッツだった。

村の言い伝えでは「家」にいなければいけないのだ。

そうしなければと。

見つかるとどうなるか、そこまでは聞いたことがない。

碌な結果にならない今すぐ逃げろ、と本能が叫んでいた。


足音はすぐそこまで迫っている。

理論理屈で考えろ、この状況で家に帰るにはどうすれば良い?

今飛び出したら、彼らに鉢合わせてしまう。


鍛えられた脳味噌はフル回転し、ある結論に至った。

」を一生懸命、頭の中で繰り返す。

理論的にはこれが正解なのだ、絶対に大丈夫だ。


細い杉の格子から、土気色の足が見えた。

ボロボロの草鞋わらじを履いている。

確実に現代のものではない、江戸時代以前の装いだ。


続いて細く痩せた裸足が現れる。

灰色をしたそれは、ところどころの肉が欠けている、まるで魚に啄まれたように。剥き出しの骨を覗かせながらゆっくりと歩み続ける。


その次は片足の軍靴だった。

松葉杖と一本の足がきびきびと進んでいく。

唯一のそれは、茶色く汚れたゲートルに黒い血が滲んでいる。


次から次へと現れる足達は、地蔵堂を通り過ぎ墓地へと向かって行った。

どれもこの世のものではない、死んだ人の足ばかり。

そして足音が違うのは、履き物がバラバラなせいなのだと気付いた。


永遠にも感じる死者の行進。

何十人、何百人と通っているのに道には足跡一つ付いていない。


目は開いているのに、気絶しているかのようだった。

現実を見ているはずだが、同時に夢の中にいる心持ち。

必死にを考え続けている内に、最後の一人が通り過ぎて行った。


どれほど時間が経っただろうか。

身じろぎも出来ず、狭くて湿気たこの空間から出る勇気がない。


おういおういと麓の方から声が聞こえた。

闇に包まれた坂道から、懐中電灯の灯りが見える。

いつまでも帰らない自分を家族が探しに来たのだ。


安堵の息が漏れる、助かった。

額の汗を拭うと、勝ち誇った気持ちが湧き出てきた。

イレギュラーはあったものの、僕の考えは正解だった。


あの一瞬で繰り返し考えたこと。

それは『この地蔵堂が僕の家だ』という一節。

言い伝えは、「家」であれば良いとなっている。

それが他人のものであれ、はたまた地蔵堂であれ同じことだ。


それに家というのは一種の概念なのだ。

彼らが通ってきた村の中には、木造の古い家だってある。

戸の建て付けも悪く隙間だらけのはずだが、侵入されていない。


だとすれば、家という存在は物理的に村人を守っている訳ではなく、精神的、あるいは超自然的な概念として人を守るというルールなのだ。


ふふっと笑みが溢れた。

結局は古い言い伝え、こちらの解釈次第で応用が効くのだ。

自分の賢さに酔いしれながら格子を開けようとした。


あれ、手が動かない。


その時、自分の肘に青白い腕が絡みついていることに気付いた。

ひんやりとした感触を通り越し、骨まで染み渡る冷たさ。

それは万力のような力で腕を掴んで離さない。


ぺたり、頬に新しい手が触る。

目の端から見えるそれは、紫斑が浮きぶよぶよとしていた。


後ろから、髪の毛を掴まれる。

肩を持たれる。

服を握られる。

どんどんとそれは増えていく。


自分の笑みが凍っていくのが分かった。

魚の内臓が腐ったような、生臭い海の匂いがする。

首のすぐ後ろで、それらはこう囁いた。


「ここが、お前の家だろう」


















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高知の漁村にて 岩口 遼 @takagakiyoh

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