第12話 アーテムヘルと聖性魔法

 ──気がつくと、暗闇が視界を覆っていた。まるで宇宙空間のどこかに放り出されたように、時間の感覚も空間の意識も、ようするにどこにいるのかわからなかった。どこを見ても暗闇で、目を凝らしたところでなにも見えてきやしない。宇宙を漂流していれば、こんな感覚になるのだろうか。


 昔、映画で見たことがある。宇宙を舞台としたSF映画だ。事故で宇宙船から切り離されて我が身一つになったときの、その恐ろしさときたら。あれは、名演技だったと思う。宇宙は人間にとっては広大すぎて、もはや理解の範疇を超えてしまうんだろう。無限の未知数に投げ出された人間は、きっと発狂するしかその命を保つ術はないのだと思う。目の前に広がるのは死、そのものだから──



 目を開くと、暗闇が広がっていた。目の前にベッドの輪郭がぼうっと浮かび、暖炉の火がはぜる音が聞こえた。そして、誰かのノック音が静寂のなかに響き渡る。


 どうやら部屋に戻ってきてそのまま眠ってしまったらしい。冷えた体には暖炉の温もりは陽だまりにいるように気持ちよく、睡眠へと導かれてしまったのだろう。


 再び強く扉が叩かれた。くるまっていた毛布から抜け出すと、急いで扉を押し開ける。どうせカロリナだろうと思ったその先には、強い光を瞳に宿したクラーラ王女が佇んでいた。


「ごきげんよう、ハルト殿。もしかして休憩中でしたか?」


 優しげな笑顔が広がる。その奥に何らかの意図を隠して。


「ええ、少し眠っていたみたいで。今起きたところです」


 言いながら王女の後ろを確認するが、薄暗闇のなかには誰もいなかった。


「まあ、それは、すみません。今の音で起こしてしまったのでしょうか」


「いや、その直前に目が覚めましたから、王女のせいではありません」


「そうですか。それはよかった」


 王女の口元がさらに広がる。瞳が大きく見えるのは、きっと暗闇にいるからだろう。


「では、少しお話しいたしませんか? 食事がまだのようであれば用意してもらいますが」


 王女の頼みを断るわけにはいかないだろう。一抹の不安を感じながら、その命令に首肯し、部屋へと招き入れる。


「灯りをつけますね」


 そう言って、王女は手を挙げる。小さなシャンデリアに炎がポツポツと灯ってゆく。


「王女も魔法が使えるのですか?」


「もちろんです。私たちは回復魔法だけを使うわけではありませんから」


 すでに用意していたのか、食事はすぐに部屋へと運ばれてきた。ふかしたじゃがいもにトナカイの肉のステーキ、色とりどりのサラダに、スープ。もちろんドーナツのようなリング状の揚げパンを重ねてお好みのジャムでつけて食べるオリーボーレンも用意されている。長い冬を乗り切るために不足しがちなエネルギー源をお菓子で補うのだそうだ。


「さて、さっきの言動からすると、どうやら我が国アーテムヘルのことについてあまり知らないようですね。帰還の儀式のときも戸惑っていたようですし。カロリナから聞いていないのですか?」


 まさか、あの失敗を見抜かれていたとは……恐るべき観察眼。


「……申し訳ありません。勉強不足で」


 クラーラ王女には、カロリナ以上に敵わない気がしてならない。


「いいえ。責めているのではありません。私からすると、貴方が元いたという世界のことはほとんどわかりませんし、当たり前のことだと思います。しかし、なぜ、カロリナは教えて差し上げないのでしょうか」


「それはきっと、一度にいろいろ伝えても頭がパンクすると考えたんだと思います」


 稀人のことも伝えてなかったしな。フォークで押すと、肉汁がたっぷり溢れ出てくる。


「なるほど。しかし、それでは少しこれからする話に支障がある気がするので、最小限のことは伝えておきましょうか。いいですか?」


 そう問いかけて、クラーラ王女も一口サイズに細かく切り分けたステーキを口に運んだ。小さな口がモグモグと動く。


「もちろんです。お願いします」


 スープを口に運ぶ。口についた脂がとろけるように消えていく。


「わかりました。しかし、その前に、ハルトと呼んでいいですか? 貴方もカロリナと話すときのように気にせず話してください。その方が話しやすい」


「はい。わかりました」


「ありがとう」


 サラダを口に入れると、クラーラはにっこりと微笑んだ。ただのサラダがとても高級な料理に見えるのは、王女の高貴さのせいだろう。


「この世界の魔法が4つのエレメントに分かれているのは知っていますね」


「ああ。火、水、風、土の4種類だろ?」


 四元素などの概念でこっちの歴史的にも考察されてきたファンタジーやゲームでよくある属性だ。


「そうです。しかし、私たちにだけ特別に使えるもう一つの魔法があります。それが『聖性魔法』。回復に特化した魔法ですね」

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