第14話 カロリーナ王女のレッスン開始

 早朝。夜中に小雨が降ったのか、少し濡れた草木のなかを分け入ってどんどん奥へと進んでいく。足元も若干ぬかるみ、革張りの靴が汚れた。


「まだか?」


 後ろにいるカロリナに呼びかけたその声は、自分でもひどく疲れているように感じた。朝食も取らず、理由もわからず小一時間ほど湖の奥地を歩いていれば、さすがに嫌になってくるもんだ。


 ところがその命令を下したカロリナはいつもの調子で「もうすぐよ」とだけ告げた。一応、王女のはずだが執事よりも体力があるのはカールステッド家の教育がなせるわざか。それとも僕が単純に体力がないのか。


「どうしたの? まだ訓練すら始まっていないのにその状態だったらーー」


「だったら?」


「死ぬわよ」


 その言葉を聞いた瞬間、昨日のエドの話を思い出した。


 今こうして当たり前のように一緒にいるが、カロリナもクーデターで戦っていたというのか。昨夜、ただの執事のためにコーヒーを淹れてくれたようなカロリナが。途方に暮れていた僕を拾い、マリーの力になってきたカロリナが。


「カ、カロリナ?」


「うん? どうしたの? 何か問題でもあった?」


 立ち止まって振り返った顔には綺麗な笑顔があった。こんな場所でなければ、立場が違えば、つい見惚みとれてしまうような笑顔が。


「いや、なんでもない」


 なぜか真っ直ぐに視線を合わせることができずに逸らしてしまう。


「ふーん、まあいいわ」


 カロリナは眉を潜めたが、追及することはなくまた先を急ぐ。僕は、慌ててその後を追っていった。


「ハルト」


「ん? なんだ?」


「ごめんなさい」


 声が沈んでいる。急にカロリナの背中が小さく見えた気がした。


「……ごめん、何を謝っているのかわからない」


「巻き込んでしまったこと。……ここだけの話、選抜試験は急に提案されたものなのよ」


「シグルド王子が?」


「いいえ。さすがにあなたと言えども名前を明かすことはできないけど。私は、こんなことをさせたくなかった。させたくなかったし、反対意見も述べた。だけど……」


「数のごり押しか?」


「……ええ。でも、学生みんなの前で偉そうに話してたんだから、結局同じよね」


 心なしか、背中が震えているようにも見えた。


「……カロリーナ様」


 今、ようやくわかった。カロリナは王女なのだ。カロリナの行動は王家そのもの。カロリナの言葉は国の命令。カロリナは常に王女として振る舞わなければならない。


 それは、過去の戦いのときもそうだったのだろう。


 だから僕は、カロリナの背中にそっと手を触れて言った。


「私はカールステッド第一王女ではなく、あくまでもカロリーナ様の専任執事です。カロリーナ様が思うようになんでもお申し付けください」


 カロリナの足が止まる。けれど、こちらに振り向くことはなく、前を見据えたままカロリナは小さく呟いた。


「……ありがとう……さて、着いたわよ!」


 言われて辺りを見渡すと、広大な湖の先に赤茶色の宮殿や校舎が見える。気がつけば小高い丘を登っていたらしい。爽快な眺めに揺れていた心が和む。


 カロリナは草原のちょうど真ん中に立つと、両腕を上げ少し背伸びをしたあと、くるりと振り返りにっこりと微笑んだ。


「さて、ハルト。楽器を用いた魔法は確かに強力だけど、場所が限定されるから不便と思ったことはないかしら?」


 妙な質問だが、確かにそうだ。昨日だってそのせいでオーケ先生も僕の魔法を止めることができなかった。だが、それは当たり前のことじゃないのか?


「特にピアノなんて大型のものは、容易に移動できないから戦闘においては使い勝手が悪い。けれど一流の魔法使いは、場所を選ばず音楽魔法を使いこなせるのよ」


 カロリナは静かに目を閉じた。手を胸の前に突き出すと、上から下へ流れるようにゆっくりと動かしていく。


 その動きに合わせるように半透明な赤い物体が構築されていった。3本の太い足にペダル。88鍵の鍵盤。カーブを描く屋根の中にある弦。そして、座り心地が良さそうな、思わず背筋がピンと張る椅子。ーー濃淡の違う赤色に揺らめくグランドピアノがカロリナの前に現れた。


 カロリナはドレスが引っ掛かるのに気をつけながら椅子に座ると、蓋を上げて指をゆらゆらと燃える鍵盤の上に置いた。もちろん温度の調整をしているのだろう。涼しげな目がこちらを向く。


「ハルト。形はどうあれ、あなたが選抜試験で戦う以上。王女の執事として無様な戦い方をさせるわけにはいかない。わかってくれるわよね?」


「もちろんだ。僕も、そしてマリーもきっと、このまま負けたままではいられない」


「じゃあ、覚悟してね。それでは、レッスンを始めます」


 その言葉が終わるや否や顔の大きさ程度の火球が猛スピードで飛んでくる。咄嗟に地面を転がり避けるが、火球は地面に当たり草花を燃やした。焦げた匂いが辺りに充満する。


 何か対策をーーと思う前にカロリナが鍵盤を揺らし、再び火球を作り上げた。それも何発も。


 嫌な予想通りそれらが一斉に僕に向かって発出される。


「避けなさい!」


 言われなくても! 草原を思いきり走り抜けると、さらに火球が追加される。なんとか踵を返して反対側に走るが、そこには動きを予測してたかのように口を大きく広げた燃え盛る巨大な獅子が待ち受けていた。


 足が動かず、反射的に両腕を固めて頭を守る。当たると思った直前ーー鍵盤が一際強く弾かれ、髪をなぜる微風だけを残し赤い獅子は消え去った。


「やはり、ダメね」


 カロリナは鍵盤から指を離すと、腕を組んでこちらを見た。


「ダメって……」


 息が上がりきり、それ以上言葉にすることも難しかった。これが、音楽魔法の本当の力なのか?


「実際の戦闘では相手はなりふり構ってなんていないわ。あの手この手で敵を倒そうとする。今のでも十分優しいくらいよ」


 まさか、そんなーー無理な動きをしてもう身体が悲鳴を上げているんだが。


「解説すると、今のは、オーソドックスなやり方ね。小さい火の玉をつくって敵を翻弄しつつ、その1音1音でメロディラインをきっちり繋げて創り出した一撃で敵を仕留めるっていう。きちんと音を聴いていれば、火球の単発の音が紡がれて一つのメロディになっていたことがわかったはずよ」


 なるほど、そうか。僕はようやく息を整えて顔を上げた。


「目の前の攻撃をかわすことに集中しすぎて肝心の音の流れを聞いていなかったってことか。逆に音をきちんと聴いていれば、相手の意図を読んで動けるということ」


 カロリナは片手で髪を払うと、明るい笑みを浮かべた。


「正解! なんだ、ちゃんとわかっているじゃない」


 そりゃあ。さすがに毎日授業受けてたからな。


 でも、座学と実戦ではレベルが違いすぎる。学校の勉強がいくらできても社会で通用しないことがあるように、咄嗟の機転と応用を働かせないとまるで歯が立たない。


 今はかわすことだけで精一杯だったんだから。


 ーーなどと考えを深めることすら許されず、再度鍵盤が素早くかき鳴らされた。


 くっ。


 今度は複数の獅子が正面から迫ってきていた。







◆◆◆◇◇◇


ここまで読んでいただきありがとうございます。


ようやく、訓練です。そして、ようやく音楽魔法の戦い方を描くことができました。


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