第13話 マリーの過去

「おう、よく来たな! いや~お前が気絶してくれたおかげでカロリーナ様に会えたよ、サンキュ! すぐに約束を果たしてくれるとは、さすがハルトだぜ!」


 予想通り軽薄なあいさつをしながら木製の戸を開けたエドに、僕は大きくため息を吐いた。


「お前、こっちは大変だったんだぞ? 明日からカロリナに特訓受けることになったし」


「なんだと! カロリーナ様──いや、俺もカロリナ……様と呼ぼう! 一度会ってるからカロリナ様で大丈夫だ! じゃねぇ! お前、カロリナ様と特訓受けることになったとか言ったか?」


「言った」


「羨ましすぎる! なのになんで嫌そうなんだ! 俺なんてお前、望んでも夢想してもそんなこと実現しねぇんだぞ! ……まあ、とりあえず中に入れよ」


 やけにテンションが高いと思ったが、エドの部屋に入った瞬間にその理由がわかった。楽譜や本、服が散乱しているところはいつもと変わらずだが、小さなブラウンのテーブルの上には酒の入ったガラス瓶と飲みかけの木のコップも置いてあった。


「エド、お前、寮は酒禁止だっただろ」


「いいんだよっ! たまには飲まないとやってられねーだろ! 俺はコーヒーや紅茶で満足できるほどお上品じゃねーの」


 エドはまさに実力でこの学院に入学してきた数少ない平民出身者だ。


 国全土から身分に関係なく才能ある者を集めるため、学院には寮も完備されているが、実際には貴族出身者が生徒の大半を占めている。理由はわざわざ聞いていないが、おそらくカールステッド家が国の中心にいるように、身分の高いものにとっては魔法──とりわけ音楽魔法を使えることが当然のステータスになっているからだろう。


 遠方の領主の子どもが寮に入ることになるため、その環境は宮殿に負けず劣らず豪華なのだが、エドは「落ち着かない」という理由で、わざわざ古びた木の扉に代えたり、質素なベッドを持ってきたりと一人だけ異質な部屋で暮らしていた。


 きっとそういう飾らないところが意気投合したのだろう。エドとは出会ってすぐに仲良くなり、カロリナやマリーともまた違う、バカ話みたいな話もできる関係を築いていた。


「なに、そっちの世界ではあんまりお酒とか飲まねーのか?」


「飲むよ。いろんな種類がある。ワイン、ビール、ウイスキーその他諸々」


 散らばった諸々を整理し、座る場所を確保しながら言った。


「いいなおい! そっちの世界行ってみたいわ~なんだっけ、そうそう食べに行けるアイドル!」


「ちがっ! 会いに行けるアイドルだろ?」


「そう、それそれ! なんかこう全然想像つかねぇけど、手を握ったり、話したりできんだろ? それで仲良くなったりして──こっちだとそうそうカロリナ様に会いに行くなんてできないからな〜あ〜夢のようだな~」


 何を想像しているのか知らないが、鼻の下を伸ばしている姿を見て、仮に元の世界に戻れたとしても、エドだけは連れて行くわけにはいかないと固く決意した。


 どうでもいい話は今日は切り上げて、本題に入らなければいけない。エドの酔いがさらに進む前に。


「なあ、エド、朝言ったようにこのカールステッド家について聞きたいんだが」


 エドはどかっと床に座ると、飲みかけの酒を喉奥に流し込んだ。色合い的にはビールのような酒だ。


「お前も飲む?」


 黙って首を振った。久しぶりのアルコールに酔いしれたい気持ちもあったが、明日からの特訓に備えて少しでも悪影響になりそうなものは排除しておかないといけない。


「そうか、いや、カールステッド家の話だったな。言っとくけど楽しい話じゃないぞ?」


「ああ、問題ない」


 エドは床に転がっていたガラス瓶を机の上に置くと、飲み干したばかりのコップに酒を注ぎ入れた。浮き上がってき白い泡をなめるようにゆっくりと味わい、それから口を開いた。


「現王家のカールステッド家は、5年前にクーデターを起こし、旧国王軍との内戦の末政権を握ったんだ。今や実権を握っている貴族連中はあれを『聖戦』だったと言うが、俺らからしたらただの内戦だった」


「……内戦」


 元いた世界でも内戦はあったが、それはどこか遠くの世界の話──という感覚だった。だが、5年前と言えば感覚的にはほんの少し前のこと。


 生々しい記憶が残っているからこそ、話しているエドは苦々しい顔をしているのかもしれない。


 エドの話によると、カールステッド家はもともと国の要職に多くの人間を輩出していた名門貴族の一つに過ぎなかったらしい。ただ、カロリナを見てわかるように屈指の魔法使いの家系だったため、次第に軍の要職をカールステッドが占めるようになってきた。


 前国王は魔法の扱いに関しては寛容だったようで、誰もが魔法を使用することができた。だが、そのせいで魔法を使った事件や紛争が絶えなかったらしく、そんな乱れた国を変えるために力をつけたカールステッド家を中心にクーデターを起こした、と。


 なるほど、だから今は一般人の魔法の使用にかなり制限がかかっているのか。


「内戦では各貴族も旧王国側とカールステッド家側に分かれて争った。総力戦だな。もちろん、シグルド様やカロリナ様も戦場に駆り出された。当時はカールステッドの名を持つものは多かれ少なかれクーデターに関わっていたんだ」


「シグルド王子はなんとなくそんな雰囲気があるが、あのカロリナもか?」


 エドは僕の目を見つめながらゆっくりとうなずいた。


「そうだ。カロリナ様がなぜ『天使の手』と評されるかわかるか? あれは戦場に赴き、数多くのカールステッド側の兵士達の命を救ったからつけられたんだ。だけどな、敵側からしたら──いや、なんでもねぇ」


 エドは気を遣って言うのをためらったが、何が言いたいのかはわかる。あのカロリナも、自身の演奏で多くの命を奪ってきたということか。


 コップを傾けると、またエドは酒を口へと運ぶ。


「ま、そういった戦いのなかで多くの悲劇が生まれたんだが、マリー様の身にも火の粉が降りかかったんだ」


「マリーが?」


「ああ」


 エドは、コップになみなみ注がれた酒を一息に飲み干した。


「死んだんだよ。マリー様の両親が。戦いに巻き込まれてな。もちろん噂でしか知らないが、ひどい死に方だったらしいぜ。両親の身体は原型が全くないほどに木っ端微塵になって、その血塗れの部屋の中にマリー様が一人佇んでいたんだとさ。──全身に両親の血を浴びてな」


 その光景を想像して思わず息を呑む。目を閉じ頭を横に振って、今見た光景を消そうとした。


「それでマリー様はカロリナ様に預けられた。当時13歳だからな。まだ一人では生きていけない」


 いつの間にか震えていた手を強く握りしめた。


「マリーは……マリーは、それからしゃべれなくなったのか?」


 声がかすれていたが構わず続けた。何か思考を巡らせていないと、心が乱れてしまいそうだった。


「それはわかんねーな。マリー様がしゃべれないのを知ったのはここに入学してからだし、誰も取り立てて話題にすることはないし」


 そうだ。ここではマリーのことは公然の秘密のような扱いをされている。腫れ物に触るような関係ばかりで誰も問題を追求しようとはしてこなかった。


 マリーがそのとき何を思い、今までどう過ごし、今何を感じているのか、誰にも推し量ることもできやしない。


 マリーは口を閉ざしているのだから。


「だけど、お前が来てからマリー様も変わったよな。他の生徒たちが噂してたけど、あのルイスを睨みつけたんだって?」


 床の辺りを漂っていた視線をエドの顔に向けると、明らかに酒のせいで真っ赤になった顔がニヤニヤ笑っていた。こういう軽いところは、今みたいな状況で本当にありがたい。


「今までなら、んなことは絶対なかったと思うぜ」


「エドに誉められると気持ち悪いな」


「だろ? 男に誉められても嬉しくねぇーんだ」


 そう言うと、エドは話し終えたとばかりに酒に向き合い始めた。


 こんなんでも成績優秀だから驚きだよな。いや、実力があるから余裕でいられるのか。今頃ならどの生徒も必死に選抜試験に向けた訓練をしてるだろうに。


 深いため息が口から漏れる。僕も僕で頑張らなければいけない。マリーのことも大事だが、まずは明日からのカロリナの特訓に備えなければ。


「それじゃ、エド、失礼するよ」


 ヒラヒラと手を振ってエドは僕を追い出した。なるべく音を立てないようにそっとドアを閉めると、人気の少ない廊下を抜けて外へと出る。ひんやりとした夜風が頬をなでた。


 今夜は少し冷えるようだ。


 三日月を映した湖に沿って宮殿へと向かう。歩きながらどうしても考えてしまうのはやはりマリーのこと。


 マリーは確かに変わった。 みんなが言うように表情も豊かになったし、ルイスとの一件もある。リベラメンテの暴走のときには魔法を使えた可能性もあるし。


「でも……」


 足が止まる。本当にこれでいいのだろうか? 向かう先はこの方向で正しいのだろうか。


 何かが喉の奥につかえたようにその違和感はしばらく拭えなかった。

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