第12話 才能ゼロの秘密

 ──暗闇があった。どこまでも続く暗闇の中をずっと落ちていく感覚。何でここにいるかは覚えていないが、自分は暗闇ここにいるべきだと思っていた──



 ふと目を開けると、薄闇の中、見慣れたワインレッドの天井があった。挽きたてのコーヒーの香りと甘いローズの香りに体を起こすと、扉の近くから声が聞こえた。


「目が覚めたかしら?」


 カロリナの声だ。体に掛けられていた毛布をよけると念のために服を着ているか確認して、リビングへと向かった。誰だか知らないが、制服から白シャツにライトグリーンのベストと、私服に着替えさせられていた。


「……えっと、おはよう?」


「おはようじゃないわよ、もうじき夜になるわ」


 テーブルに読みかけの本を置くと、コーヒーを一口飲んで、カロリナは魔法でシャンデリアに火を灯した。ほのかに部屋が明るくなる。


「どうぞ。何がどうなったのか聞きたいでしょう?」


 どうぞってここは僕の部屋なんだが、と心の中で突っ込みながらカロリナの向かいに座る。何気なく見た本の表紙には『軍事戦略原典』と書かれていた。


「人の本を勝手に見るもんじゃないわ」


 そういうとカロリナは、本を隠すように腕をぐいっと僕の視界に入り込ませて、コーヒーを手元に置いた。


「ちょうど淹れたてよ。……私が直々にね。運が良かったわね」


「カロリナが淹れてくれたコーヒーは久しぶりだな」


 挽き立ての芳ばしい香りが漂うコーヒーを口に運ぶ。温かさとともに心も落ち着いていくような気がする。


「おいしいわよね?」


「え? ああ……なんか少し味が変わったような」


 頬杖をついて微笑むカロリナ。耳元で揺れるピアスにちょうど灯りが当たり、きらりと光った。


「少し豆の量増やしたの。前にもう少し濃い味が好きだって言ってたから」


 そんなことを覚えていたのか。


「一介の執事への心配り、痛み入ります」


「まぁた、皮肉な物言いね。人の好意は素直に受け取りなさい」


「善処します」


 今度は素直に軽く頭を下げて見せた。満足気にコーヒーカップを手にしたカロリナは、「あっ」と声を上げた。


「そう言えば、マリーからノートを預かってたんだった」


 カロリナはカップを置いて、開いた状態のノートを僕に手渡した。


「マリー、よっぽどあなたが心配だったみたいでずっと側についてたのよ。さすがにもう暗くなるから部屋に戻ってもらったけど」


「……おい、ノートの中見てないだろうな」


「誰かさんと違ってそんなことしないわよ」


 マリーの字に目を走らせる。


〈具合は大丈夫? びっくりしたと思うけど、あれだけの魔法をコントロールして相殺したのはすごいことだと思う。詳しいことは、カロリナ姉さんが教えてくれると思うけど……。とにかくまずはゆっくり休んで。私は私で練習頑張るね!〉


 ノートを読み終わると、カロリナがにやにやと僕の顔をのぞき込んでいた。


「なんて書いていたの?」


「え? ……カロリナ姉さんってちょっと野暮なところあるよね……」


「なんですって!?」


「いや、冗談だ。『あれだけの魔法をコントロールして相殺したのはすごいことだと思う。詳しいことは、カロリナ姉さんが教えてくれると思うけど』……だって」


 真面目な顔を維持したままノートをパタンと閉じると、カロリナはぶつぶつと文句を言いながら自分の座っていた場所に戻った。


「そう。じゃあ、本題に入るわね。結論から言うと、あなたは自分の制御できる範囲以上の強力な魔法を発動したもんだから、力を使い果たして疲れ切って倒れてしまった、というわけ」


「それはよくあることなのか?」


 コーヒーを一口飲んでから質問する。


「そうね。まあ、赤ちゃんとか幼児だけどね」


「子どもかよ!」


 カロリナもコーヒを飲む。以前も思ったが、どうもカロリナが飲む姿は様になっていて、美味しそうに見える。


「子どもの例が多いけど、それは適切なイメージを描くのが難しいからであって、大人でも起こり得ることよ。私達のような魔法のプロでも、自分の力量以上の現象を出現させようとしたときとかに起こることがあるわ。だから、常に厳しい訓練が課されるのよ」


 なるほど。「天使の指」と称されるほどの一流の腕を持つカロリナが毎日練習を欠かさないのはそういう理由もあるのか。


「リベラメンテは本来、取り付ける武器によって魔法の性質や方向性が決まっているの。たとえば、剣なら直線上でせいぜい自分の体の倍くらいまでの大きさの魔法が出現するだけ。だから魔法のイメージが上手くできなくても誰でも現象を発動させることができるのよ」


 そう言えば、エドもそんなこと言ってたような。


「ところが、おそらくあなたは本当に初めて魔法を出現させたから、思い切り突いた一撃がそのままのイメージであの巨大な火柱が生まれてしまったんじゃないかしら」


「制御できないほどの大きさ……」


「そう。だけど、問題はそこから先。そんな素人同然の状態にも関わらず、マリーの力を借りたとはいえ、あなたは火柱を相殺してみせた。つまり、コントロールしてみせたってことなのだけど、初めてでそんな芸当なかなかできることじゃないわ。どうやってやったのか詳しく教えてもらえる?」


「どうやってって……」


 腕を組み、天井を見上げた。シャンデリアに灯るロウソクの火がゆらゆらと揺れる。


「どうしても現象のイメージがわかなかったから、マリーとカロリナの演奏を思い出して、同時に頭の中で奏でたんだ。ほら、ちょうどカロリナが火でマリーが水だろ? それで気がつけば火柱は消えていた」


 カロリナに視線を戻すと、驚いたように口を開き、目を丸くして静止していた。


「カ、カロリ──」


「すごいじゃない!! 同時に全く違う演奏を思い描くなんて普通できないわよ! そうか、そういうこと!!」


 口元に手をやり、何かひとり言を言いながら考えごとをするカロリナ。


「いや、カロリナ、僕にもわかるように説明してくれないか?」


「……あ、ええ、ごめんなさい。えっと、授業で習ったと思うのだけど、人は必ず一つ得意属性を持ってるっていうことは知ってるわよね?」


「ああ、火、水、風、土のどれかのエレメントを持ってるって……ついでに一つだけじゃなく複数の属性を使えるようになることが大事だとかなんとか」


 その一つの属性すら、僕はまだ使いこなせてないんだが。


「ええ。ところが稀に、その4つの属性どれもを持っていない人がいるのよ。何の属性も持ってないから、『無属性』と呼ばれているわ。──それがたぶんあなた」


 よくわからないな。頭を捻る僕を見てカロリナはさらに説明を続けた。


「いい? 一般的に一人ひとり生まれたときから得意属性は決まっているから、たとえば私なら火は得意だけど対極の水は苦手というように人によって偏りがあるのが普通なのよ。だけど、属性がない。つまり無属性のあなたはそうした偏りがないから、逆に言えばどの魔法も同じ程度に使いこなせる力を秘めているということ。その力が今回、言わば強制的に魔法を発動させることによって現れたんじゃないかしら」


「つまり、僕は火、水、土、風の4つの魔法を同じレベルで扱うことができるということか?」


 カロリナは深く頷くと、落ち着かせるかのようにコーヒを口に含んだ。


「ええ。それと、もしかしたらあなたは──いえ、それはさすがにまだわからないわね」


「な、なんだよ?」


「なんでもないわ、今はね。そのうちきっと、あなたが選ぶときが来るんじゃないかと思うけど。……それより、一つ提案があるんだけど」


「提案?」


「ええ、これから選抜試験までの間、私がつきっきりであなたのレッスンをするわ」


 それは、提案というよりも命令に近い言い方だった。断るなんて選択肢は存在しないだろう。それに何度もカロリナから演奏を見てもらったことがあったが、忙しい合間を縫ってのことで、つきっきりということはなかった。だから。


「もちろん、よろしくお願いします」


 と丁寧に返答した。


「では、レッスンは明朝から。試験開始が3日後であまり時間はないのだけど、まあ、今日はゆっくり体を休ませなさい」


 それは助かる。今日の夜はどうしてもエドに話を聞かなければならなかった。マリーのことをより深く知るために。


 そこまで考えたところで気になることが浮かび上がった。


「カロリナ、マリーはどうなるんだ?」


「ん。マリーはオーケ先生に任せることにしたわ。なに? マリーがいないとやっぱり寂しい……とか?」


 なぜか、気になる言い方をするカロリナだったが、気にせず僕は疑問をぶつけた。


「いや、そうじゃないんだ。あのとき、マリーがいたから危機を回避できたんだけど、それってマリーが魔法を使ったってことなのか?」


 カロリナはカップを置くと、ゆっくりと頭を横に振った。


「やっぱりあなたもそう思うわよね。私もそう思ってマリーの様子を窺っていたんだけど、あの子やっぱりまだ喋れないし魔法を使える素振りもなかったのよね」


「でも、リベラメンテには魔法を注入するんだろ? だったらあのとき限定だったとしても魔法を使えたんじゃないのか?」


 腕を組んで背中を椅子にもたれかけると、カロリナは「うーん」とうなった。


「そうだと思う。だけど、現状ではまだ魔法を使えていない。やはり何かマリーの心にある壁がなくならないとダメなんじゃないかと思うのよね」


「……そうか」


 何気なく窓の外に目をやると外はすっかり暗くなっていた。こんな暗闇の中でもマリーはピアノの音を鳴らし続けているのだろうか。

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