書籍書物

Tukisayuru

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 ふざけたものが嫌いだった。

 自分にとって正しさこそが正義だと思っていた。

 自分は華やかで生活に困らないような街に住んでいた。医者がおり、神社があり、駅があり、学校があるそんな街だった。私はその街の学生として学業に毎日励んでいた。国語、数学、蘭学などの学習をしていた。

 どうにも自分には真面目さというのが合っているらしく、誠実であることが中心と身に染みていたようだ。

 学生として学業が本分であるという信念を信じ続けていた。朝は決まった時間に起きて、時間通り学校に行き、決まった担任から講義を受け、夕べには帰宅をして就寝まで教本に噛り付いていた。

 継続は力なり、この言葉があるように私はその学校で特に優秀な成績を修めている生徒となった。これが私のアイデンティティとなるものなのかもしれない。勉学という概念を具現化させたもの、それが私であるとさえ日頃から思ってしまったこともあった。

 こと成績だけではありません、風紀に関してもそうでした。愚痴、暴力、嫌がらせ、不正、社会的に正しいものが正義であると志を持っていました。

 とにかく人として曲がって歪なものが許せませんでした。なので私は学校内でそのような不祥事があった時は直ぐに先生などに報告をしていきました。

 こと周りから迷惑だと思られていたのでしょう。いつしか私は人から嫌悪されるような視線を浴びることになりました。少しはやり返すこともきっと良かったことでしょう。しかし私は自分で手を挙げるような真似は決してせずに先生に助けて貰いました。痛い思いを何度もしましたが自分は反抗も反撃も出来ない程の弱さを持った人間でしたので世間一般が言う正しいことだけは信じ持ち続けようと志を持っていました。

 ——君って本当に真面目だよね。

 ——ねぇ、そんなに勉強にして何が良いの。

 ——それ、楽しいか。

 馬鹿げたことを言われました。皆そのような哀れんだような目で私を見てきます。楽しいとかじゃないだろ、やるべきことで学生としての正しさを遂行しているだけだろ。それに一々茶々入れるようなことをしてどういうつもりだ。そんなことを言った人から試験が終わった時になるとあの時「もっと……」だなんて後悔するのだ。

 学生としての姿を怠ったものはそうした自分の行動であり自分に敗北した自分が悪いのだろう。それなのに好成績を残した人に対して嫉妬して「あの人は嗚呼いう人」だからなどという謳い文句を言う。

 別に私は試験での点数が高いですが優等生ということはありません。こんなものは誰もが一から真摯になって取り組めれば出来ることだ。それをしない人たちが多すぎるという話なだけでして、自分は特別なことはしていない。

 当たり前のことを当たり前のようにやり、掃除で埃を取るかのように間違ったものを排除しているだけです。逆に世の中を正しくさせるために活動をしているのだ。

 空気を読めないんだな、と周りから思われていますが違います、読まないんです。間違ったことを自分から率先してやっている方が悪いのです。当たり前のことなのです。

 ——それはある日の放課後で教室に残ってて勉強をしている時でした。自分は誰もいない教室で黙々と勉強をしているとどこか笑い声が聞こえてきました。

 五月蠅いと思い一つ文句でも言ってやろうと考え、その声の主の方に向かいました。声の主は今ここで話題になっている方でした。その男は何故かいつも放課後のこの時間帯にあぁ、やって何かの奇天烈な芸のようなものをしている。彼のやっていた行動には好きじゃなかった、むしろ嫌いと言っても良いまであった。

 学生なんだから勉強しろよ、と彼に言ってやりたい。別に彼からの私の印象なんてものはこの先、一切気にしないだろうからこの機会にぶちまけてしまたいと思った。

 呆れるように見てると驚くことがあった。あの中に紛れて家の学校の生徒会長がいた。生徒会長はその肩書を失くして見ても有名な方で、かのこの街の名の知れた令嬢の人間で頭も良く、礼儀もしっかりと出来るという誰もが尊敬する、お人だった。そんな方が自身が生徒会長ということを忘れるかのように大笑いをして腹を抱えていた。

 あの姿を見て私はその場を後にして自分の教室に戻った。自分の頭の中で何かが変だと感じた。

 学校とは普段、学問を学ぶ場所であり、今後の自分の将来のために勉学に励む所だ。ああいう、おちゃらけてふざけたことをする所では決してない。

 頭の中でその葛藤のようなものがずっと蠢きだしてそれは止まることを知らなかった。

 一時間自分の中で考え続け、それでも勉学を励むこと、それは正しいことであると一つの自分としてのよくわからない結論を雑に出して、目の前の教科に集中した。

 勉学こそが成功への道であるものだ。その言葉を自分の胸の奥底に確実に残すように言い聞かせていた。

 やがて月日が経って季節が移り変わってた頃、私は変わらず勉学に励んでいたが自分の納得するようなものは一つもなかった。

 試験の成績が減退したのだ。時間を掛けて、抜け目なく対策をした上での結果だ。原因はあの時に思案してしまった例の違和感である。自分の行っているこれに自身が着かなくなっていたのだ。何処に行こうにも、何を学習しようとも私のその違和感は疑問というものとして残り続けて共にしてきてしまった。

 結果に対して私の様子を見て周りの人たちがざわめき始めていた。それは私に対する嘲笑、嘲笑っていた。こっちの方は少し見るや否や、聞こえない位のヒソヒソとした声で話、クスクスと笑う。顔に皺を固定させるかのように表情を変化させているのだ。自分にはそれがその状況こそが悔しくて堪らなく、自分以外の相手を無差別に呪ってしまいたいと思うほど気を狂わせてしまうほどでした。

 しかしどのように解釈をしようにもこの疑問が晴れることはありませんでした。学年が上がり、卒業間近となった時でも解決させることはありませんでした。

 卒業式の時、私はある人の進路先に関しての話を耳にしました。その人は今まで、勉学には一切興味関心の無かった奴が急に本気になり始めて、結果、偏差値の高いと言われる有名な所での進学が決まったということでした。聞く所によれば、恋煩いによって引き起ったことで片思いの人と一緒の所に行きたかったということらしい。

 私はその人物の正体を聞いた時に衝撃を受けました。

 そいつはあの放課後の時に騒がしかった『芸』をしていた彼奴である。

 彼は最初は私よりも成績も雲泥の差でしかなかったのにも関わらず今となってはそれが逆の立場になった。今まで積み重ねて来た私より、彼奴はそれ以上の速さで私のことを簡単に追い抜き、今は私のことを見下ろす所まで来た。

 何かやるせない気持ちを抱えたままその学校を卒業したことを覚えている。

 進学をして初めて迎えた春の季節。私は何も変わらなかった。その環境でどのように生き残るのかという手段をわかっていたはずがまるで頭と感情、見えない意志的なものが無意識の内に否定をしているような感じが続いていた。いつまでもあの疑問が残っていた、もう何が正しくて何が間違いだったのがわからなくなってきた自分がいた。

 自分の中で正しいと思っていたことが結果に結びつかない。そう考えてしまった夜、途端に虚しさを覚えた。半永久的に続くこの問題は解ける気がしなかった。

 夏、秋、冬そして春となり、私はその学校を卒業して適当な仕事に就いた。昔はこの国を支えていけるような職に就きたいと思っていた子どもの頃。しかし時間が経つにつれ就きたい仕事なんてものはなくなった。そもそも進学してからの在学中でも私は良い成績を修めることが出来なかった。そのようなものだったから私はその仕事でも馴染むことはなかった。外に出て、人と話、何かを紹介をするという仕事だったのですが何時しか人と会うというこの行為自体に恐怖を感じていました。

 そこからです。私はその仕事を自分から辞めました。何もしたくなくなりました。

 時間だけが過ぎているのがわかる虚無の時間が続いた生活が暫くした後、気まぐれに丸善に行った時のことでした。

 最近の街のニュースというもので私の住んでいる街の近くで過去最大の嵐が来てその街に大打撃を与えたというものでした。いくつか画像も張り出されて、適当に見てみたらある写真に目が留まりました。その写真には嵐が来る前から大分痛んでいたなんともみすぼらしい家でそれが嵐によって崩れたようでした。しかし家の縁側の部分が一部写っており、そこに何か綺麗なガラスの破片がありました。こんな黒ずんでて渋い写真でもはっきりとわかる程のもので所々に水色のガラスの破片と水色の長方形の紙、そして水色の紐が床の上にありました。

 恐らくあれは風鈴だろう——。なぜかわからないが無意識の内にそう思っていた。

 じゃあこの持ち主、基、この家に住んでいた人は——。

 棒立ちになってそのままの状態で少しいると、私は丸善に行き、そのままの勢いのまま原稿用紙と鉛筆を買い自分の部屋に籠って机の上にそれを並べた。満足感を感じながら鉛筆を削り始める。

 あの写真に写ったあの風鈴を見て私は何か誰にも負けない魅力的なものを感じてしまった。この炊きあがる感情、湧きあがる興奮、今までないこの行動。初めてだった。私は生きていた中で初めてこの世界という範囲の中で享楽に縋っていることがわかった。今まで学んで来たものにそんなものは載ってなく、担任していた教授さえ講義の中で教えてくれなかったもの——。

 ——私はこれから小説家になります。

 原稿用紙に文字を綴り、人の感情というものを読み取り、日本語という言語と生涯に亘って格闘していきます。人によっては皮肉な話かもしれません、今まで勉学が常に正しいと思っていた意識の高かった人が自堕落な生活を迎えてしまい、何かのきっかけによって小説を書き始めるという奇形な話だ。

 それでも私の中にある熱は冷めることはなかった。これからは自分の思ったこと、感じたことを登場人物に乗せながら書き続けていこう。

 今までにないこの熱意、これはあの時の彼は既に持っていたんだなと察しながら私は本棚に目をやった。幸いにも本棚の中には本が沢山あった。それを私は何冊か手に取り、机まで運ぶ。分厚い本ばかりで重たいと思ったがそれ以上に夢中になっていた。私の人生の使命はこれだったのかもしれないとさっき削った鉛筆を手に取る。

 仕事を辞めてから私は随分と貧しくなったと思います。身体は痩せこけて、目には常に隈が出来ており、少し顔立ちが弛んだ気がします。傷が沢山ある木造建築に住み、あるのは寝床と机で他に特にこれといったものはありません。冬でもないのに分厚い羽織なんかを着ていて万年眼鏡を掛けております。しかし幸いなことに学生の頃から置いてあった書籍書物は豊富にあるようです。

 記念すべき最初の作品は何にしよう。そうだ、彼奴を舞台とした小説を書こう。私は原稿用紙に一文目に鉛筆を躍らせた。

『ある夏の正午を周って少し過ぎていた頃に形の整った入道雲が見られた。』

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