わからなくていい。
染谷市太郎
わかろうともしないのだから。
〇被疑者:
容疑:父、
詳細:自宅リビングにて、所持していた鈍器で勝男の上半身を殴打する。勝男は両手および右肩に全治半年以上の粉砕骨折を負う。
「鈍器? ああ、トンカチのこと。あれは元から用意してたんですよ」
「なんでって、ほら、親子と言えど父と娘ですよ。体格差があるじゃないですか。だから、拳よりもトンカチのほうが骨を砕けるかなって」
「計画的? もちろん。ちゃんと計画しましたよ。そうじゃなきゃ、殺してますよ」
「怒らないでくださいよ刑事さん。そうやってバンッ! ってね、父もよくしてました。手で机を叩くんです」
「うるさいんですよ。暴力はしないが相手を威嚇したい。そんな心が透けて見えて」
「ほら、心音ですから。私。心がわかるんです。……あ、冗談ですよ。冗談冗談」
「はははっ」
「でもね、相手を支配したいって思い、よくわかります。父がそうでしたから」
「刑事さん、あなたもね」
「怒らないでくださいよ。ほら、アンガーマネジメントですよ。アンガーマネジメント」
「母もよく言ってました。私が理不尽を訴えると、アンガーマネジメントだよって。怒りをコントロールできない私が悪いんだよって」
「そうやって、私の話を聞かないんです」
「で、なんの話でしたっけ?」
「そうそう、計画性の話です」
「そうですよ、元々父の両手を壊する予定でした」
「そうすれば、父はゴミを捨てなくなるので」
「ええ、ゴミです」
「正確に言えば、父がゴミと判断したものです」
「ビニール袋、紙袋、お菓子の箱、紅茶の缶、壊れた物干し、くたびれたハンカチ」
「そんな、父がゴミと判断したものです」
「父はゴミと判断すると、捨てちゃうんですよ。なんていうんですかね、断捨離?」
「断捨離! 私、断捨離って言葉嫌いなんですよ。作ったやつを殺したいくらい」
「殺しませんよ。私、平和主義なんで」
「じゃあなんで父親を?」
「あのですね、刑事さん。平和は会話ができなければ成り立たないんですよ?」
「あなたはライオンと同じ檻に入り無抵抗でいますか?」
「可能であれば、爪と牙くらいは削っておきたいですよね?」
「それと同じです」
「父は私の話を聞いてくれません」
「父は私の訴えに耳をかしません」
「父は私を理解しません」
「父は私を理解しようともしません」
「父は、会話の席にすらつきません」
「だから。私は私の安全を保つために、父の腕を砕きました」
「腕が使えなければ、ゴミを捨てることはありませんから」
「私の物を。大切な物を。捨てられることはありませんから」
「わからない?」
「ああ、いいんですよ、わからなくって」
「うん。大丈夫です」
「わかろうとする必要もありません」
「私にはわかります」
「だって、刑事さん。あなたは一生、理解できないでしょうから」
〇被疑者:
容疑:夫、
詳細:自宅リビングにてフライパンを勉の顔面下部に押し付ける。勉は口唇を中心に全治数か月の火傷を負う。
「はい……。あのときは、夫の要望でステーキを焼いていたんです。はい……そのフライパンで……」
「ひっ、ご、ごめんなさいっ、はいっ、そのフライパンで夫の顔をっ、顔をっ……」
「……す、すみません。取り乱して、しまって……」
「はい……。夫からは、いわゆるモラハラを受けていました」
「結婚する前は、率先して物事を決めてくれて、頼りになる人だなって……」
「でも……結婚したあとは……」
「ええ、そうですね……。でも。私には、分からなかったんです……夫が本当はどんな人かって、結婚した後じゃないと……」
「はい……結婚後から夫のモラハラはひどくなりました」
「仕事はすぐに辞めさせられて、給料も少ないからと……。なので、家事は全て、私が行っていました」
「夫はいつも、お義母さんを引き合いにして、私の不出来を指摘するんです……」
「……掃除が中途半端。洗剤を使いすぎ。料理が下手。洗い残しがある。ワイシャツの汚れが落ちていない。靴が磨かれていない。玄関は常にきれいに。ゴミは朝一番に出すこと……」
「……家のことは、常に完璧に仕上げること」
「夫は毎日のように、私を指摘しました……。毎朝毎晩、私ができていないことを指摘しました……」
「夫がいると、何が駄目か考えるようになりました……」
「夫がいないと、完璧かわからなくなり体が震えました……」
「……夫の存在が、恐怖そのものでした」
「でも……先日、お義母さんから、伺ったんです……」
「お義母さんは、家政婦を雇っているって……」
「夫が生まれた頃から、家政婦を、雇っているって……」
「家事なんて……したことがなかったんです、お義母さんは」
「完璧な家は、お金でできていたんです」
「家事じゃなかったんです」
「私じゃなかったんです」
「完璧でない理由は……」
「……はい。なので、焼きました」
「もう、これ以上、口先だけの指摘は嫌なので……」
「悪いのは、家政婦を雇わない夫なので……」
「口が動かないようにしました……」
「それを訴えても、夫は耳もかさないので……」
「理解しようとも、しませんので……」
「……えっ? 離婚?」
「そんなの、できるわけ、ないじゃありませんか……」
「……刑事さん。だって、あなたは収入がおありでしょう?」
「でも、私には……ないんです。そんなもの」
「無一文なんです……」
「……離婚すれば、家を出て、収入もなく、出戻りです実家にも居場所なんてない、こんな年齢です再婚なんてとても……」
「お金がなければ……。食べることにも苦労します。まともな部屋は借りれませんし。服だって。化粧もできなくなります……。今以上に、なにもかもを、あきらめなければならないんです……」
「そんな思いをしなければならないんです……。離婚なんて、したら」
「はぁ……。夫といるよりまし、ですか……そうですか……他に方法が……」
「ああ……」
「わからないのですね……」
「ええ、かまいません……。夫も、一生理解できないでしょうから……」
「もちろん、あなたも」
〇被疑者:
容疑:妻、
詳細:自宅リビングにて、所持していた幼児用フォークで知沙希の眼球を刺す。知沙希は両目の視力を失う。
「育児には父親も必要だって。僕も思っていました。なので、娘が生まれてからずっと育児を頑張っていたんです」
「最初のころは。周りの人たちも頑張ってるねっていってくれて、うれしかったなぁ」
「育休も、取れるだけとって。娘とずっと一緒にいられるようにしたんです」
「でも、妻は、なにもいってくれませんでした」
「父親が育児をすることは当たり前っていわれていましたから」
「子供は、女だけじゃできないんだよって」
「お前が、やることやってできた子供なんだからって」
「だから、育児をすることは当たり前。褒められることでもなんでもないんだって」
「理にかなってると思います」
「だって、世の中のママたちは、誰に褒められるわけでもなく子供を育ててるんですから」
「だから僕も、イクメンなんていわれて、有頂天になっちゃだめなんです」
「褒められることなんて、なにもしていないんですから」
「でも。世の中、うまくいかないですよね」
「育休明けから、出世は全然できなくて。同期どころか、後輩にも追い抜かれて」
「それに、娘に何かあればすぐに早退ですから。いろいろと上司から言われて」
「給料は上がらなくって」
「でも、お金はいろいろかかって」
「夜泣きも止まらなくって」
「保育園も見つからなくって」
「幼稚園は高くって」
「本当、世の中、うまくいかないですよね」
「あ、でも、娘にパパって呼んでもらえたときは、うれしかったなぁ」
「……それでも、限界だなって、自覚はしていました」
「涙が止まらないんですよ」
「なんでもないのに」
「悲しくもないし痛くもないのに。涙が、止まらないんです」
「それで。あ、僕、限界だなって、思ったんです」
「だから妻に話して、少しだけ、休ませてもらおうと思ったんです」
「少しだけ、二日、いや一日だけでいいから、自分の時間が欲しいって」
「休みたいって、妻に話したんです」
「でも妻は、なにもいいませんでした」
「妻はなにもいいません」
「でも、目は口ほどにっていいますよね」
「妻はいつも僕を見るんです」
「もっと努力しろって。もっとちゃんとやれって。仕事も育児も完璧にこなせって」
「目でいうんです」
「あの日も、そんな目をしていました」
「娘が、なかなかご飯を食べてくれなくって」
「いやいや期なんですよ」
「僕が食べさせてもダメで」
「妻はそれを見ているだけで」
「あの目で、見ているだけで」
「見ているだけで何もいわない」
「何も、してくれない」
「理解してくれない」
「訴えても聞いてくれない」
「助けてくれない」
「だから、もう嫌だなって」
「あんな目いらないなって」
「見られたくないなって、思って」
「それで、やりました」
「……え? わからない?」
「あ……あー……刑事さん、あなたお子さんは?」
「二人?」
「奥さんは?」
「ああ、離婚をなされて」
「そうですか。そうですよね。わかりました」
「はい、いいですよ。わからなくって。いいんです」
「刑事さん、あなたには一生、理解できないでしょうから」
〇被疑者:
容疑:上司、
詳細:両者の職場、千住警察署にて、間中公介は保管していた拳銃を持ち出し秋田武の両足に発砲。秋田武は両足に全治1年以上の怪我を負い、後遺症も避けられないと診断されている。
「はい。殺す気はありませんでした」
「ただ、あの人と一緒に仕事はできないなって、思ったんです」
「なので、撃ちました。足に」
「ええ、一緒に仕事することが多かったですよ」
「というか、秋田さんと組んでますからね。刑事なんでツーマンセルですから」
「相棒ってやつですか」
「なれれば、よかったんですけどね」
「少し。難しかったですね」
「秋田さんは、刑事としては優秀ですけど。人の心が分かりませんから」
「怒らないでください。いい人だったとは思います」
「よく面倒も見てもらいました」
「新人の頃も、厳しく指導してくれましたし」
「刑事のイロハってやつを叩きこまれました」
「俺も頑張って、立派な刑事になるんだって、秋田さんの背中見て思ってましたよ」
「でもね」
「でも、だめだったんです」
「あんなこといわれちゃ、殺したくもなりますよ」
「まぁ、足を狙ったのは、ある意味では殺意ですよね」
「刑事として殺してやろうっていう殺意」
「犯罪者じゃなくって、仲間に殺される」
「不名誉な死」
「俺の痛みを理解してもらおうと思ったんです」
「俺の、親父を否定された痛みを」
「あんたらも知ってますよね」
「親父は病気だったんです。余命宣告受けた」
「末期ですよ。まあ、長くはないだろうなって、俺もわかっていました」
「おふくろは早くに死んで、親父に育ててもらったんで。できるだけ最期はいっしょにいたかったんです」
「甘いこというなって?」
「それ、いわれましたよ、秋田さんにも」
「甘いこといってるなって、自分でもわかります」
「だから、それくらいなら、まだ許せました」
「でもあれはだめです」
「だめですよ」
「あんなこと」
「あんなこと、いわれちゃ」
「『親父なんて捨てちまえ』なんて、いわれちゃ」
「どうしても、殺したくなるでしょ」
「大切な家族ですよ」
「唯一の肉親ですよ」
「俺を育ててくれた、親父ですよ」
「警察に入ったときも、刑事になれたときも、俺以上に喜んでくれた親父ですよ」
「それを、捨てちまえなんて……」
「わかってます。秋田さんはなにも本心でいったんじゃないって」
「過去にとらわれず、俺の人生を優先しろって。そういう意味だったんでしょうよ」
「でも、許せませんでした」
「どんな本心があろうと、親父をゴミみたいにいったやつを、生かしてはおけませんでした」
「なので、殺そうとしました」
「でも、一応の恩があるので」
「命は奪わずに、足を撃って、刑事として殺しました」
「満足しています」
「天国の親父も、叱るとは思いますが、それでもきっと、わかってくれると思います」
「ああ、なんでそこまでやるのかって?」
「わからないって?」
「はははははっ」
「ははははっ」
「はははっ」
「ははっ」
「うん」
「あんたらも同じだ」
「秋田さんと同じ」
「理解できない」
「わからない」
「わかろうともしない」
「だから、いいですよ。わからなくって」
「そうやって、また俺たちを生み出せばいい」
「痛めつければいい」
「そして、痛みを知らない限り。一生、理解できないでしょうから」
「この心を」
わからなくていい。 染谷市太郎 @someyaititarou
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