5 自由を構えろ
本当の自由には必ず代償が伴う。
彼の言葉を反芻する。そして思う。
もし失うものが自分にとってかけがえのないものだったとしたら、と。
仮に慧伍が言ったことが正しかったのだとしても
「なあ、慧伍」
「どっちも大事じゃ駄目だったのか…?」
何も答えない。
静寂の中、自分の嗚咽だけが大きく自分の耳に届く。
その時だった。
「……やっぱり、すり替えておいて正解だったな」
「……え?」
「どっきり大成功!……なんてな」
いつかと同じようににやりと笑う彼がそこにいた。驚きすぎて声が出ない
「おい、ちょっとは何か言ってくれよ」
彼にそう言われたので、僕はショートした思考回路の中から、今のこの気持ちに最もふさわしい言葉を探す。案外それは早く見つかった。
安堵だった。
「……よかった! 本当に、よかった…! 本気で、殺してしまったと思った…よかった…生きててくれて」
安堵の涙が止まらない僕を彼は笑った
「お前、度胸あるのかないのかはっきりしろよ! ほんと、よく分からん奴だよ、お前は」
「……でも、どうして? あんなに血が出てたじゃないか。僕は確かに銃で君のことを撃ったはずなのに」
僕の問いかけに、彼はこう答える。
「試したんだ、お前の覚悟を。よく見てみろよ、その銃偽物だから。これも血のりだし」
言われて確かめると、彼の言うように僕が握りしめている銃は、彼から貰ったものとは少しだけ形状が違ったし、彼の服に付着したものは、血のりだった。
「良かったな、殺人犯にならなくて」
「……うるさい。大体、撃てと言ったのはそっちだろ?」
冗談めかしてそう言った後、僕らは肩を組んで、大きな声で笑った。
これまでで一番快く笑うことができた。
「よし、これで本当に最後だな。北斗、俺についてきてくれ」
笑いの波が去った後、最後の大仕事を始めるように慧伍がそう言って僕に言った。
「イカロスの塔に昇ろう」
*
もう何分、こうしてエレベーターに乗っているだろう。平衡感覚がどんどん損なわれていく。今僕らは昇っているのだろうか、それとも降りているのだろうか、分からない。あまりにも長い不思議な感覚との戦いに、無駄に体力を消耗していると
「着いたぞ」
そう言われ、そのタイミングでエレベーターが止まる感覚がした。
着いた先はガラス張りの個室で、正面に大きな開閉式のドアがあり、右手に大きな石碑が建てられている。目の前に広がるのは、澄み切った青い空。そして、純白の雲海。どうやら雲を突き抜けた先に、僕らはいるようだ。
僕はそこで、スカイダイビング用のパラシュートを係の人に装着してもらった。
慧伍もそうしてもらうのかと思ったが、なぜか彼はそうせず、代わりに少しだけ寂しさのような何かをたたえた目で僕を見ていた。
「どうしたんだよ、慧伍も着けてもらおうよ」
不思議に思った僕が促すようにそう言った。
返ってきた言葉に、僕は耳を疑った。
「すまない…北斗。俺の旅はここまでだ」
「……何言ってんだよ、これから飛ぶんだろ?」
「いや、それは出来ないんだ。だってその人には、俺の姿は見えていないから」
「ちょっと、本当にどうしたんだよ。だって…だって君はそこにいるじゃないか!」
状況を飲み込めていない僕に彼は
「見てほしいものがある」と言って先程一瞥した石碑を指さした。そこには
ここに集う者たちに、永久に自由の祝福を
大隈慧伍
そう、彫られていた。
「これって……」
「ああ、そうだ。俺の名前は大隈慧伍、かつてこの地にイカロスの塔を建てた建築家だ」
突然告げられた事実に驚いたが、それよりもあの日抱いた希望の理由を種明かしされた気がして、少しだけ納得ができた。
「そう、だったんだ」
それと同時に、ある疑問が頭に浮かぶ。
「けど、それなら君はどうして、あの河川敷に?」
考えてみればおかしな話である。そこにどんな理由があるのか気になった。
「そこにお前がいたから、だな。俺は日常の中で自由への渇望を抱く、お前のような奴をこの塔に導く役割を担っている。そして、その心に宿すものへの覚悟を試しているんだ」
「どうしてそんなことを?」
「只の暇つぶしさ。俺はお前みたいに燻ってる奴が自分の可能性に気付くのを見るのが好きなんだ。何せ俺自体がそうだったからな…昔の俺を見ている気分になる」
「君も、僕と同じだった……?」
「そうだ。けど俺は、周りから何を言われようと、どれだけ傷つけられようと、決して自分の信念を曲げなかった。だから、こんなにも高い塔を建てられたんだ」
彼は続ける
「別に俺はお前に対して、俺のようになれと言っているわけじゃない。ただ、死んでも譲れないものがあるなら、絶対それを折られるな。それを伝えたかった。これからきっと、たくさんの人間がそれを折ろうとする。けれど、その度に立ち向かえ。負けるな」
彼の鼓舞は自然と心を勇敢にさせたが、一つだけ不安に思うことがあった。
「もし、僕の心が折れてしまったらその時は、どうすればいい?」
不安だった。やはり、怖い。どれだけ覚悟を決めても、やはり怖いものは怖いのだ。
しかし、そんな恐怖を彼は打ち払ってくれた。
「そんな心配するなって。お前の覚悟の強さは、俺が一番知ってる。大丈夫だ、辛くなったら上を見ればいい。必ずそこにはイカロスの塔が見えるから」
その時、僕に纏わりついて離れなかった物が消えていくのがわかった。
そうだ。僕はもうあの頃の僕じゃない。先の見えない砂漠だって、今なら自分の羅針盤を頼りに、どこまでも進んでいける気がする。
「北斗、次にお前が何をするべきか、分かるよな?」
そんな問いにだって、僕は答えを導き出せる。
「もちろん」
「流石、俺の気に入った男だ。北斗、お前との旅、結構楽しかったぜ。ありがとよ!」
「ああ! 僕の方こそ、本当にありがとう!」
拳を突きだし、慧伍に礼をした。
「さあ、もう振り返るなよ。お前の望む未来は、いつだってお前の進む道の先にある。自分から目を背けるな!」
強く、互いの拳がぶつかり合う。
「北斗! お前は一体、何になるんだ!」
もう僕は迷わない。進むべき道は自分で切り開くのだから。
「僕は、イカロスになるんだ!」
そう言って走り出した足は止まることなく、雲の切れ間に見える新しい世界へ
大きく翼を広げ、飛び立った。
自由を構えろ 〇〇 @natukaze_novel
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