4 死んでも譲れないもの
明くる日の朝、宿を出て僕らは目的の場所まで足を進める。昨夜の満天の星空とは打って変わって厚い雲が空を覆っており、そこに昨日のような笑顔はなく、お互いが黙ってお互いの歩調に合わせてゆっくりと、でも確実に進む。
朝から慧伍の様子がおかしいのだ。僕が目を覚ました時、彼は既に起きていて、部屋のベランダで圧倒的な存在感を放つイカロスの塔を眺めていた。
「おはよう、慧伍」
声をかけたのだが、彼はこっちに振り返り僕を一瞥して
「……おう」
一言そう言ってまた目線を塔の方に戻した。
「何だよ……おう、って」
僕が聞き返しても彼は何も言わなかった。朝食の時間になってもそれは同じで、僕と彼の間にはぎこちない空気が流れていた。
どうしてだろう、ようやく辿り着くというのに。
少しだけ前を歩く彼の背中が昨日より妙に遠く感じるのは、更に前に見える塔の大きさが遠近感をおかしくさせているからだろうか。あるいは別の要因だろうか。そんなことを頭の中でぐるぐると考えていた時だった。
「……確かにイカロスは、自由を求めて翼を広げ大空を駆けた」
慧伍は重い口を開いた
「しかし、この話には続きがあるんだ」
「続き?」
「イカロスは空高く飛びすぎたが故に、……太陽に近付きすぎた。そして、蝋でできた翼は溶け、彼は海に落ちて死んだ。これがどういうことかわかるか?」
僕はその問いに答えることができない。構わず彼はつづけた
「本当の自由には、必ず代償が伴うんだ。はっきり言おう。北斗、お前の望む自由はただの怠惰だ!」
慧伍は僕の前に立ちふさがる
「ここから先へは行かせないぞ! 北斗、今のお前に本当の自由を手にする資格はない!」
物凄い剣幕で彼は言う
「どうしてだよ……僕と君は、同じ志を持った仲間だろ? なのに、どうして!」
彼は確かにそう言っていた
「違う! お前は口では自由を謳うくせに、自分からは何一つ変わろうとしなかった。一歩踏み出す覚悟もないくせに、一丁前に自由を語った。そんなものを自由とは呼ばない! もしも、その覚悟がお前にあると言うのなら」
「慧伍……?」
目の前で起きている光景に、思わず僕は目を疑う。
「銃を構えろ。ここを通りたければ、俺を殺せ!」
そう言って慧伍は僕に向けて銃口を向けた。
「何…言ってんだよ。そんなこと、できるわけないだろ……」
「なら諦めろ。一生あの場所で、お前が最も忌み嫌う人生を歩め」
「それは…!」
僕の脳裏にかつての色のない世界が映る。かつての自分がよぎる。自分の生き方もろくに決められなかった、あの頃の自分。死んだほうがましだと思えるほどに、惨めな自分の姿は、この世の言葉ではとても言い表せないほど、醜かった。
今、引き金を引かないと。今、決めないと。分かっているのに、前に進めない。
……けれど
このまま引き下がって、もう一度あの色のない世界になんて戻りたくない。
「あああああああああ!」
次の瞬間、辺り一帯に銃声が響き渡り、放たれた弾丸が心臓を貫いた。左胸を押さえ、苦しそうに笑みを浮かべて
「……合格、だ」
彼は最後にそう残し、倒れた。どすん…と鈍い音が辺りに響く
刹那、頭から血の気が引いていく。彼のもとに駆け寄って、何度も彼の名前を呼んだ。
「慧伍! しっかりしろ、慧伍!!」
何度か彼の体を揺さぶると、彼は苦しそうに目を開け
「……まさか本当に撃っちまう、…なんて、思わなかった。北斗、お前やっぱりどうかしてるよ…」
彼は苦しそうにせき込み、その度に胸部から深紅の血が止めどなく溢れてくる。僕はそんな彼の姿に「ごめん…」とただ謝ることしかできなかった。血で染まった彼の服に僕が流した涙が零れ落ちる。僕は何てことをしてしまったのだろう、どうしようもない呵責の念に苛まれる。
その時だった
「……北斗。お前に、聞きたいことが、ある」
ハッと我に返り、彼の声に耳を傾けた。
「どうして、お前は引き金を……引けたんだ?」
その質問の答えは、もう既に彼の言葉に出ていた。
「…今までの僕は、自分から逃げていた。変わりたいと願いつつ、変わらない理由を探していた。君の言う通り、それはただの怠惰だ」
自分で言っていて、耳が痛くなった。変わらない日常を変えたくて、それでも何も変わらなかったのは、きっと心の一番深いところで、そんな変わらない日々に安心していたからだと気が付いた。レールから外れるということは、自分の足で目印のない砂漠を歩くということだ。
先の見えない旅路は怖い。苦しい。道標が欲しい。水が欲しい。それでも一度歩くと決めたのなら、歩みを止めてはならない。解っていたはずなのに僕は目を背けた。覚悟もできていないのに僕は浅ましくも自由を求めた。
都合の良すぎることを言っていた自分に気付いて、今更ながら赤面した。
……それでも
「それでも! 僕はやっぱり自由になりたいんだ! それだけは、…それだけは死んでも譲れないんだ!」
その言葉に偽りはない。どうしても譲れないものが、自分の中ではっきりとあるのが分かった。
「……いい覚悟だな。最後にそんな姿を見れて、本当に…良かった」
そう言うと彼の瞼から力が抜け、一筋の涙を流しながら静かに目を閉じた。
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