「天国へのチケット」
remu
第1話 天国へのチケット カクヨム甲子園1次突破
こんこん、ドアをノックして返事を待たずに部屋に入る。君にこの音は聞こえていないことを知っているから勝手に入っていく。
病室で横たわる君は、窓から見える薄ピンクの桜とよく似ている白い肌をしていて、悔しいくらい綺麗だった。夏に向けてどんどん元気になる木々とは対照的に、君は日に日に痩せていく。次々に失われていく血色感と体の機能。あと何日君は私といてくれるのだろうか。君が寝ているベッドに歩みよってもかける言葉が見つからず、視線を彷徨わせながらそばにおいてあるの椅子に座った。このパイプ椅子の硬さにももう慣れてしまった。そっと座ったつもりでも古い椅子だからかギシリと鈍い音が出た。息吐きながらベッドの方に向き直ると君はパチリ、と目を開けた。
「いらっしゃい?」
「うん、来たよ。」
虚ろな目からは「生きたい」という願いと「苦しい」という思いの両方が伝わってきた。頑張って、とも言えない。でも大丈夫?なんてことも聞けない。私にできることは何もないのだ。毎日のように絶望しながら君を眺める。
君はそんな私を知ってか知らずか、最悪な質問をしてきた。かすれた声から出てくる内容は酷いものだった。
「人生が二回巡るなら次は何になりたい?」
死期を悟っているようじゃないか。考えたくもなくて適当に言葉を放る。きっと今の私の顔は酷いものだろう。
「次は自由気ままな猫にでもなろうかな。人間って疲れるじゃん?」
それにすらもらしいなぁ、と笑ってくれる。本当は私が君を元気づけないといけないのに。それでも気の利いた話題は出てこず、同じ質問を返すことしか出来なかった。
「そっちこそ。」
「……貴方にもう一度会えるならなんでもいい。」
いつものふんわりとした言い方とは違う、きっぱりとした声。その声は震えている。そっか、そうだよな。私は、君が死ぬのが怖いよ。怖くて仕方がない。でも君の方が怖いよなぁ。溢れる涙をそのままに、折れてしまいそうな体を優しく抱きしめた。
「私もだよ、ばーか」
腕の中で震える君は言葉を続ける。
「あのね、もう体の感覚がないんだ。ここまで近づいてくれてやっとちゃんと声が聞こえて姿が見えるの。」
言葉に詰まってそっと背中を撫でる。二人分の涙が交わって一つになった。
しばらく抱きしめていると君は疲れたのか眠ってしまった。ゆっくりとベッドに君を横たえる。まだ乾いていない涙を綺麗に拭う。
部屋には鼓動や脈を図るモニターの規則正しい音だけが響いている。細い体。そばにある点滴台からはぽたり、ぽたり、薬が落ちていく。この薬は病気に対抗するものなのだろうか。それとも体を楽にするものだろうか。私は君が苦しんでいた夜を知っている。病気で思うように動けなくなって癇癪を起こした日も、薬の副作用で発作を起こしたことも知っている。
だから、最低なことを思ってしまった。早く楽になってほしい、と。そんな考えをおぼえたことにゾッとしながら無理やりにでも振り払おうと首をふる。でもこの考えに行き着くのも見ないふりをしてきただけで、これが初めてじゃない。もういっそのこと、と何度も思ってきた。
すぅ、と浅く息を吸い込んで立ち上がる。バクバクと跳ねる心臓を押さえつけようと爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
そこに微かな声がかかった。
「なにか悩んでるの?」
「起きちゃった?まだ寝てていいんだからね。」
薬の副作用なのか病気の進行状態によるものなのかは分からないが君はよく眠る。今日みたいに浅い眠りを繰り返す日もあれば、ぐっすりと眠って私がいる時に起きないときもある。直ぐに起きてしまう時はもっとゆっくり寝てほしいと思って、長く寝ている時はこのままなのかと怖くて早く起きてほしいと思う。矛盾だらけだ。
「はぐらかさないの。」
今の私は君から離れたところにいるから私のことはよく見えていないはず。なのに見透かすような視線を送ってくるのがまた怖い。こうなった君は頑固で私が喋るまで問いかけてくるか、拗ねるかの二択だ。観念して椅子に座り直してさっきの考えを口にする。
聞き終えた君はポツリと言った。
「そっか。優しいね。」
「そんな事!」
ガタン、と勢いよく立ち上がったせいで倒れそうになる椅子を抑えて深呼吸をする。
「貴方だけなんだよ。私のこと考えてくれてるの。」
他の人は?なんて言えない。君の両親が病室に顔を出さなくなってからすでに三ヶ月は経過している。最初は早く元気になってね、と顔を出しに来ていたクラスメイトたちももう来ていない。カレンダーに書き込まれる予定も検査か私の来訪のことだけだ。ここしばらく君は私やこの病院の関係者以外と会話してないのではないだろうか。……君はもう楽になりたい?口から出かかった疑問は咳払いをして誤魔化す。
話を変えようとしたのか君はもう一度声をかけてきた。
「ね、これあげるよ。」
視線がテーブルに向けられる。テーブルに手を伸ばすが何もない。なら。
「引き出しの中?」
「そう。」
中から出てきたのは大きめの切符のようなものだった。
「チケットのつもりで作ったんだ。『天国のチケット』」
チケットをしげしげと眺める。濃い青で全体が塗られていて所々にラメが散らばっている。綺麗。星みたいだ。
「『天国のチケット』?」
書かれている文字は震えていて、塗られている色ははみ出していたり余白もあったりする。でも目も見えにくい、体も動かない中で作られたこのチケットには一体どれだけの想いが込められているのだろう。想像もつかない。途方もないほどの時間と労力を、気力を使ったんだろう。
「願掛けなんだ。チケットってさ、入場するときの切符じゃん?持ってたらちゃんと入れる。だからさ、天国に入るときの切符だと思って作った。」
端には名前が、私の名前が書かれている。
「私のチケット?」
「うん。いつか貴方も死んじゃうから。」
こっちに来て、呼ばれて近寄ると君が頭をほんの少し動かした。枕の下からは何かが覗いている。それは私のチケットとおそろいのものだった。
「それが私の。ふふ、待ってるからゆっくり来てね。あんまり早く来ちゃ嫌だよ。」
君は花が咲くようにふんわりと笑った。直感的にあっと思った瞬間、君は目を閉じて脱力した。ピーと甲高い音が鳴り響く。ベッドに備え付けられているナースコールを連打しながら必死に呼びかける。
「起きて!ねえ!」
やってきた医者は目にライトを当てて光への反応がないことを知ると「ご臨終です。」と言った。
「なんで、まだ、まだ、」
心肺蘇生もされずに死を宣告されることなんてあっていいものなのか。涙目で睨みつけると医者は言った。
「ご家族の希望なんです。それと、これは個人的な話ではありますが、もう充分だと思っているんです。いつ亡くなってもおかしくない状態で一ヶ月以上を過ごしました。貴方以外の誰も訪れない病室で頑張り続けた。もう充分頑張られたと思っています。」
医者の言葉を聞きながら声を上げてわんわん泣きじゃくった。病気と薬に蝕まれた体は信じられないほど軽い。撫でると髪が何本か抜けた。こんなにも君はギリギリだったのか。抱きしめるとまだ、温かい。あったかいのに。もう君はこの世界のどこにもいない。話しかけても返事を返してくれない。鼓動を聞くこともできない。涙で君が濡れる。
私は家族が来るまで君のことを離さなかった。
そのあとのことを私はよく覚えていない。いつの間にかお通夜は済んでいて、お葬式まで時間は進んでいた。ぼんやりとしている頭で副葬品に君用のチケットを入れようと考えた。辿々しく書かれた文字。それでも几帳面な君らしく丁寧に紙はできている。どこに置こうか迷って手に握らせた。チケットはやっぱり一番近くがいいよね。ちゃんと天国に行けてますように。手を合わせて一歩後ろに下がった。
他の人達が君を花で囲んでいくのを見守る。顔の周りには「幸福」を意味する青い花たちが。その周りには「旅立ち」を意味する菊が。それだけでも十分綺麗な棺だったけれど、私は花屋で別に買ってきたサネカズラも置いた。花言葉は「再開」・「また逢いましょう」。開花時期は数ヶ月も違うけれど何件も何十件も花屋を回って狂い咲きをさせているところを探し出した。これできっと私達はまた逢える。少しだけ、少しだけ待っていてね。
君が炎に巻かれて煙が空へと舞い上がる。ゆっくりと、それでも着実に。私は空を眺めながら目を覆う。進行していく病気。生きたいと抗った時間。全てが走馬灯のように蘇った。煙が滲みて涙が溢れる。
そして数年の時が過ぎて私は社会人になっていた。それも今日で終わり。
今の私の手には君にもらったチケットがある。手放さないように袋に入れて首からかける。
逢いに行こう。
靴を脱いで砂浜を歩く。ザザン、と波の音を聞きながら歩く。冷たい塩水で服が濡れる。チクチクと足に何かが刺さる。それを無視してゆっくり歩き続けると足がつかなくなってきた。半ば泳ぐようにして進むと遂に首元まで水が来た。もう戻れない。そっと後ろを振り返る。砂浜は夜に紛れ見つからない。再び前を向く。ふ、と力を抜いて浮かぶように横になって空を見上げる。綺麗な星空が目に映る。人は死んだら星になると聞いたから。君に見えるところで君のところに行こうと思った。そうすればきっと迷子にならないで逢えるから。今日は君が死んだ日。私はそれを待っていた。君の命日で、空が晴れ渡る夜が訪れる日を。
君は私に逢ったらなんて言うのだろう。来るのが早いと怒るのかな。それとも喜んで迎えてくれるのかな。
耳元で聞こえているはずの波の音がどこか遠くに感じる。
私は星屑を見ながら、そっと、目を閉じた。
「天国へのチケット」 remu @kiminisekai
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