第6話


 追手を退け、国際指名手配犯となった私達がやったこと。

 それは、他の怪物との同盟を結ぶことだった。

 イデアと出会わなければ、思い浮かばなかっただろう。怪物は殺すべき敵。それが私の考え――いや、刷り込まれていた常識だった。けれど、怪物の側に人間に対する害意がないと分かれば交渉のやりようもある。どの国も軍需産業に力を入れているせいか、それとも隠せないほどの巨躯ゆえか、怪物達の居場所は報道によって丸裸になっていた。

 人智を超えた能力を持っていても、怪物は平和主義だ。個体差はあるものの、怪物の側から人間を殺傷しようとした事例は存在しない。無論、それは怪物が人間からの攻撃に無抵抗だという意味ではなく、それはつまり、これまで人類が戦っていた『怪物』の正体を白日の下に晒している。

 唾棄すべき事実を飲み込んで、子供は大人になるものだ。

 それは、社会にも同じことが言える。

「ホント、大変だったな……」

「やちー、言うだけで実行部隊は私だからね」

「その節はどうも。ありがとな」

 私の願いを揖斐が作戦にし、イデアが実行してくれた。

 同盟を結ぶにあたって、避けられなかったのは世界中に散らばって生まれた怪物達との話し合いだ。私には到底理解の出来ない怪物の言語も、イデアには苦も無く操れる。複数のサンプルを集めることで揖斐が解析し、未だ怪物語を喋れない私のための翻訳機まで作成してもらった。

 長い時間が掛かった。

 研究と実践に費やした時間と熱意は底知れない。揖斐に至っては、イデア同様に怪物の言語を使えるようになってしまったほどだ。それでも彼女はバリアを目視出来ないし、イデアの髪が海のように綺麗な青に変化したことも知らない。人間でしかない揖斐には、彼女にしか出来ない役割がある。

 ならば、私にも私の役割があるのだろう。

 沢山の怪物と話をした。

 牛の頭とヒトの身体、馬の脚を持つ怪物に会った。蝙蝠と蛞蝓、蛙と鰐を掛け合わせたような姿の怪物にも出会った。巨大な蛇のような怪物もいた。爛々と輝く金色の毛皮を纏った狼もいる。それぞれに人格があり、尊厳があり、私達に協力してくれた。時には拳を交え、時には言葉を交わしての交渉だった。

 そんな生活を何年も続けて、ようやく全ての準備が整った。

 久しぶりに上陸した島の土を踏みしめる。郷愁に駆られた。

「懐かしいな、ここも」

「やちーと初めて会った場所だね!」

「よく覚えてるな、イデア」

「えへん。褒めていいよ?」

 胸を張った少女の頭をぐしぐしと撫でる。

 彼女は心底楽しそうに笑った。

 その横で、揖斐が興味深そうに目を細めている。

「へぇ……ここがそうなんだ?」

「あぁ。あまり思い出したくないけどな」

「そう? 私にはいい思い出だけど」

 イデアのからかうような言葉に、私は顔をしかめる。

 私達が訪れたのは本土から離れた無人島。私とイデアが初めて出会った場所だ。当時のことは、つい昨日のことのように思い出せる。彼女の母親を殺した私を、イデアは責めることもなく慕ってくれた。仲間のすべてを失って、ナイフしか持たない私が敵として認識できなかっただけかもしれない。母親を喪った本人イデアしか知り得ない情念や苦悩があったかもしれないが、彼女から返ってくる答えは常にひとつだった。

「やちー、すき」

「……はいはい」

 聞き慣れた愛の告白を、静かに受け入れて胸の奥にしまう。

 痛みと、困惑と。そして――。

 首を横に振って、私は揖斐に向き直った。

「それじゃ、揖斐。準備を頼む」

「任せろ」

 配信機器の用意が終わるまで、私とイデアは椅子に座る。遠巻きに、怪物達が見守ってくれていた。同胞を殺した私を憎むこともせず、ただ生きるために協力してくれた隣人たちだ。生憎と私は彼らの言葉のすべてを理解できないが、なんとか、これだけは伝えたいと思う。

 イデアに教えてもらった怪物の言葉で、彼らに呼び掛けた。

「ォレサーカム。ゥレクサト」

 任せろ。助ける。それだけが、今の私に出来ることだ。

「千春ちゃん、出来たよー」

「……揖斐。お前、どんどん馴れ馴れしくなるよな?」

「千春ちゃんが堅物すぎるだけじゃないかな。何年の付き合いだよ」

「……親愛度は年月に比例しないぞ」

「はっは。それもデレの一種かな?」

 白衣を脱ぎ捨て、自由になった揖斐が明るく笑う。

 肩をすくめて、私はカメラの前に立った。

 揖斐の合図を受けて、ゆっくり、静かに語り始める。

「私は矢矧千春。この子はイデア。ともに、現代に生きるものだ」

 穏やかな風に吹かれながら、淡々と言葉を紡ぐ。

 私達には人類と敵対するつもりがないこと、数十体の怪物と協力して張ったバリアは大陸間弾道弾すら防ぐことを過去の実例を交えて説明した。レスポンスのない、一方的な配信だ。それでも、誰かが見ていてくれると信じて続ける。一時間ほど喋り続けた頃だろうか。空から無数のミサイルが降り注いできた。まぁ、この島に怪物が集まっていることは世界中が知っているし、今更驚くことでもない。むしろ、攻撃開始が遅いなと思っていたほどだ。

 揖斐にカメラの向きを変えてもらって、バリアが人類の攻撃を退ける様を中継してもらう。怪物達が張った高出力障壁の前に、人類の英知とムダ金を注いで造られた最新鋭の兵器たちが鉄屑と化していく。爆発後に発しているはずの熱波など諸々も、私達の元へは届かない。

 私が肩を竦めると、カメラの向こうにいる誰かが唇をかんだような気がした。

「……ふぅ。これでいいだろう。兵器にカネをかけるのは無駄だってことが、子供にも分かって来たんじゃないか? もう攻撃をやめてくれないかな。私達は化物だが、人類に牙を向けることはない」

「うん。そうだよ。べつに、人間を食べるわけでもないし」

 頷いたイデアのツノが青く光った。

 見上げた空に閃光、青くさざめいたバリアの向こうで爆風が吹き荒れている。戦果を急いだ愚かな国が、人類の最終兵器を使用したようだ。害意と敵意のすべてを防ぐバリアの下、私は平然と語り続ける。

「この瞬間より、この島を領土、怪物達を国民として怪物の国を建国する。ここに宣言しよう。私達は君達にとって共通の悪役で――しかし、敵ではない」

 イデアが手を振ると、それに応えるように怪物達が咆哮を挙げた。

 地を揺らし、空を振るわせ、しかし悪意のないそれを、人類はどう受け止めるだろう。

 歪んだキノコ雲の下、平和な怪物達の国を見つめて呟く。

「怪物を殺せば平和になるなんて、人類に都合のいい嘘だよ」

 配信を終え、情報収集に勤しむ揖斐と別れて寝床へ向かう。

 当然のようについてきたイデアの頭を撫でて、私は小さく笑みを浮かべた。捨てきれない夢物語の果てに掴んだ少女の手を握り締めて、ゆっくりと瞼を閉じる。世界は変わる。そう信じて。

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怪物の哀歌 - Lamentation des Monstres 倉石ティア @KamQ

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