第5話

 懐かしき我が家だ。

 私達が訪れたのは、私が所属していた軍の基地である。

 こそこそと侵入するような真似はせず、アポを取って真正面から突撃した。研究所を脱出して一ヶ月。手持ちの資金が底をついてからの交渉開始だ。ここしばらくは、イデアの力を借りてバリアの強度を確認していた。おかげで、全身が擦過傷まみれだ。イデアに頼めば治してもらえるけれど、あまり身綺麗なまま交渉を始めても威厳が出ないだろう。多少は荒んだ格好の方が、相手もこちらの状況を把握してくれるとの判断だ。

 正面玄関に仁王立ちしていると、軍服を着た男が近づいてきた。見覚えのある顔だ。

「矢矧大尉。いや、元大尉、お待たせしました」

「どうも。……あぁ、迎えのヘリにいた奴だ」

「その節は迷惑をお掛けしました。どうにも、自分には手に余る事態で……」

 申し訳なさそうに頭を下げる男の名前は知らない。だが、彼の顔には見覚えがあった。イデアと出会ったあの日、彼女の母親を殺したあの日に、私達を迎えに来てくれたヘリに乗っていた男のようだ。怪物生まれの娘を前にして、よくぞ上官への連絡をしてくれたものだと感謝している。彼以外に乗り合わせていた乗員は、一様にイデアへと銃口を向けていた。彼が上官へと渡りをつけてくれなければ、私達の数か月間に及ぶ平穏な生活は存在しなかっただろう。

 イデアは、既に人類の敵になっていたはずだった。

「それでは、こちらへ」

 彼は私達を先導するように歩きだす。誰ともすれ違わないのは、私達の来訪を予期した関係者が計らってくれたものだろう。余計なトラブルが起こらなくて、ありがたかった。

 互いに簡単な自己紹介を済ませた後、彼の肩を叩いた。

「なぁ、ちょっといいか」

「ん、はい? なんですか」

「イデアの……この子の髪は、何色に見える」

「白色、ですけど」

 それが何か? と彼は首を傾げた。

 イデアの髪が青色に見えているのは、本当に私だけらしい。悪戯心が疼いて、手のひらを中心にバリアを展開してみる。彼は気にする素振りも見せず、そのまま歩みを進めた。私がイデアと同じ怪物だとして、何のために生まれて、何をして生きるのかは自分で決めていたい。挫けそうな心を鞭で叩いて、私は顔を上げた。

 応接室に通された私に遅れて、荷物を持った男が部屋へと入ってきた。私が部隊に所属していた頃の私物を保管していたらしい。幹部や警備部隊しか携帯を許されていないはずの拳銃も、荷物に入り込んでいる。知らぬ間に二階級特進でもしたのだろうか。数カ月整備をしていなかった拳銃は、およそ使い物にならない。こんなものをよこすなんて何を企んでいるのだろう。ただの粋な計らいだとは思えなかった。

 装備を整える間、イデアと揖斐は黙って待ってくれている。

 私を案内してくれた男だけが、不安そうな顔をしていた。

「……えっと、今日はどうして?」

「大佐に会いに来たんだよ」

「それは存じています。会いに来た目的ですよ」

「怪物との戦争を止めさせるため」

「……出来るんですか?」

「あぁ。まず、前提がおかしかったんだ」

 私が殺したイデアの母親を含めて、過去数十年に遡って怪物の情報を調べた。

 怪物の側から人類を攻撃し、交戦が始まったケースは存在しない。人類が兵器を持ち出して怪物を攻撃し、怪物が反撃したことで『戦争』になったケースばかりだ。イデアのように言葉を交わせる個体がいた記録は残っていないが、断末魔のような叫びを聞いた、という都市伝説レベルの噂は散見される。これまではスケールの違う怪物との戦闘に精神を病んだだけと思われていたそれらの情報も、イデアという例を持てば話が変わる。

 怪物は、ただの生物だ。

「それじゃぁ……」

「戦う必要なんかないんだよ。本当は」

 でも、生まれた頃から怪物は殺すべき相手、憎むべき相手だと教え込まれてきた。『戦争』で死んだ仲間や家族も多いだろう。だからこそ、その呪いを解く必要がある。私がイデアと出会ったのも運命だったのかもしれない。彼女の母を殺したことへの贖罪も含めて、私は怪物と人類が共存する世界が欲しい。

「だから、大佐に話を聞いてもらいたいんだ」

 どうして私達を、殺そうとするんですかって。

 開いた扉に視線を向けたことで途切れてしまった。

 応接室の扉を開けて入ってきたのは白髪を蓄えた老人だった。軍人にしては細身の身体に、真っ黒なコートを羽織った男は、ゆったりとした足取りで室内へと入ってくる。どうして見紛うことがあるだろう、彼こそは私の育ての親にして、大部隊を統括する明智大佐だ。怪物を打ち倒し、人類最後の砦としての責務を全うしていたはずの人物である。

 イデアが私の膝の上で身動ぎをした。彼女も気付いているのだろう、目の前の男こそが、私達を殺そうとした張本人なのだと。

「……色々と、大佐に尋ねたいことがあります」

「既に答えは手にしているようだがね」

「だとしても。筋は通したいので」

 私の言葉に、大佐は笑みを浮かべるだけだった。

 大佐が指を振ると、部屋の入り口に立っていた男が私達を取り囲むように部屋へと入ってきた。定位置についたのを確認して、大佐が話を始めようとする。それと同時に私が合図を送ると、イデアがバリアを展開した。人間には防ぎようもない、不可視の壁に叩きつけられ、男達が苦悶の声を上げて倒れていく。一瞬の出来事に呆然とする大佐を睨んだ。

「小細工はなしで頼みますよ、大佐」

「……矢矧。キミは人類の敵になるつもりか?」

「いいえ。ただ、人類の敵の敵になるだけです」

 イデアの頭を撫でながら、微笑む。

 私達を囲むバリアは、私達を逃がさない檻であり、私達を害するあらゆるものを弾く盾でもある。このバリアが私達を守ってくれる限り、私達はこの世界の理不尽に立ち向かえる気がした。

「まったく、困った子だ。孤児院にいた頃から……」

「孤児院に入れた時から、私の正体を知っていたんですか?」

「……もっと、鈍い子だと思っていたんだがね」

 大佐は観念した様子で両手を挙げた。だが、私の中の怪物が囁いている。油断するな、目の前の男が本当に諦めるはずがない。人間と共に暮らしてきたお前なら、人間の汚い部分も容易に想像がつくはずだ、と。

 拳銃に手を伸ばしかけ、整備もしていないことを思いだす。

 今の私に武力行使は難しい。なんとか、穏便に済ませたいが……。

「大佐。この程度で私達を制圧できると?」

「……もう少し、交渉の余地があると思っていたのだが」

 余裕な態度を崩さない大佐には、やはり奥の手があるようだ。はったりだろうか? ……分からない。残念ながら、私には政治的な手腕はないのだろう。

 ならば、私達に出来ることは一つだけだ。真正面から、知りたいことを問い詰める。

「まず、大佐。私が怪物であることを隠した理由は?」

「隠したつもりはないよ。君に聞かれなかっただけだ」

「嘘ですね。あなたは最初から知っていたでしょう。……イデアのことも含めて、全部」

「ふはっ、ははは。いや、なに、誤魔化すのも面倒だが、こうも断定口調で問い詰められるのも面白いものだ」

 大佐は愉快そうに笑い声をあげた。

 イデアは無表情に大佐を見つめている。揖斐は震えているものの、まだ平静を保てているようだ。私達を案内してくれた男は大佐と関わりがなかったのか、机の下に隠れて震えている。

 大佐はひとしきり笑うと、懐から煙草を取り出した。火をつけて煙を吐き出すと、満足げに口元を歪める。私は内心で首を傾げた。どうしてこの人は、こんなにも嬉しそうなのだろう。まるで、何かを期待していたみたいだ。揉み消した煙草の臭いにイデアが顔をしかめる。鼻を覆うように、私の腕へと顔を埋めた。

「大佐は、私達で何をしたいんだ?」

「随分と直球な質問だな」

「はぐらかすのは時間の無駄だろう」

「それもそうか。なに、簡単なことだ。永遠の戦争、それが私達の望みだよ」

 大佐はあっさりと白状した。

 あまりにも簡単に吐かれた言葉に、私は二の句が継げなくなる。大佐は私達の反応を楽しんでいるのか、楽しげに笑みを深めていった。

 永遠に戦争を続ければ人類が疲弊する。子供でも分かる理屈だ。しかし、戦争を続けることで利権を手にする人間も存在する。彼が嬉々として語る永遠の戦争は、一部の人間が私財を肥やすためだけの稚気満々たる代物だった。夢物語にしても随分と悪趣味で、現実味のない内容だ。

 饒舌に語る大佐の話をこれ以上利かせたくないと、イデアの耳を塞いだ。人間よりも聴力に優れた彼女に果たして意味があるのか疑問だが、何もしないよりマシだった。

 さて。

「大佐。それを話したということは」

「あぁ。君達にも協力をしてもらいたい。怪物には、人類の敵であってほしいんだ」

「……断ったら?」

「それは不可能だよ。矢矧くん」

 拳銃を抜いた大佐へ向けて、私も拳銃を構える。私が発砲するより早く、イデアの張ったバリアが私と彼女、そして揖斐を守るように輝いた。その壁の向こうで、大佐が笑みを浮かべていた。自身の肩に拳銃を向け、真っ赤な華を咲かせながら。

 私と目が合った大佐は、口元には笑みを、額には汗を浮かべている。思考の処理が追い付かない私を置いて、時間の針が進んでいく。ソファへ崩れ落ちた彼を守るように、目を覚ました特殊部隊の隊員が大佐を囲った。再び私達に銃口を向けた彼らは、躊躇なく発砲してくる。傷を負った大佐にも動じる様子はない。もしかして、ここまでが予定調和だとでも言うのか。

 イデアのバリアに守られながら、私は混乱を抑えるのに必死だった。

「なっ、なんだ。なぜ、大佐は」

「……逃げるよ、矢矧くん。ここにいてはマズい」

 揖斐に手を掴まれ、応接室を飛び出す。

 三人で廊下を駆け抜けながら、必死に頭を回す。大佐が自身を撃った理由は何だ? 最初から私を狙う気がなかったのだとしても、大佐が私とのコンタクトを許諾した理由がどこかにあるはずだ。大佐の目的は戦争が続くこと。私の目的は戦争を止めること。大佐は目的の障害になると判断した私とイデアを殺そうとして失敗した。元々、素直に利用するには難しいことが分かっていたのだろう。怪物は自発的に人類を襲わない、その認識を軍の上層部では共有しているに違いない。では、なぜ怪物を攻撃しているのか?

 その疑問は、緊急放送によって明らかになった。

「警報、警報。怪物が基地内を逃走中。対象は研究所から逃亡を企てた白髪の子供と、成人女性二名。拳銃を所持していて、負傷者も出ている。繰り返す、怪物が基地内を――」

 なるほど、つまり。

「私達を敵に仕立て上げるための演技だったわけか」

「文字通りに命懸けの芝居だな、正気かよ」

「どうだろうな。だが、大佐の目的は果たされてしまった」

 押収された装備を回収し、元上官を殺害未遂。

 研究施設で隔離していた怪物を誘拐し、機密事項を持った研究員を拉致。

 この辺りが、政府の公式な発表となるのだろうか。

「……ふはっ。終わりだな」

 世界を守るための組織が、手前勝手な情報操作を始めた。その事実に頭が痛くなる。

 だったら、私がすべきことはひとつ。

「イデア、頼みたいことがあるだけど」

 欠伸混じりに無数の銃弾を防ぐ少女へと跪いて、彼女に手を差し出す。

「私と一緒に、悪役を演じてくれないか」

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