言葉に出来ない葛藤
うらの陽子
思いに触れる
5人の孫たちが曾孫を連れて遊びに来た。
「じいちゃん、プール持ってきたからだしていい?」
長男の息子
普段は静かな田舎の儂の家をちびっ子が7人走り回っている。隆は、庭の乾いた土の上に、大きな銀色のシートを敷いている。
「隆
末の孫娘
「あぁ、小石とか枝でビニールが破れるかもしれんからな。それに、裸足でプールの出入り出来るところがあった方がいいだろ?何にもないとプールの水が泥水になるぞ」
隆が答えながらも手を動かし、プールは設置された。儂は外についている井戸水の蛇口をひねり、ホースの先を隆に渡す。
「つめてぇ」
隆は大きな声をだした。
「ぱぱー、冷たいの?」
一番上の曾孫が嬉しそうに隆に近寄ってきた。もう1年生だ。隆の嫁が彼女の髪を編み込んだらしい。儂に自慢げに話してくれた。
「じいちゃん、勝手にいろいろ使うよ、いい?」
「よそ様に迷惑かからんかったらええ」
隆の弟の
水遊びをはじめた子供たちの笑い声が一層大きくなる。
儂は縁側に座ってボーとその様子を眺めていた。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、・・・」
突然、子供たちの声の間を縫って、儂の耳に昭和天皇のお声が聞こえる。孫の一人がYouTubeというもので玉音放送の動画をつけたらしい。
「ちょっと、なんで今そんなおっきな音量でそれ聞いてんの?」
娘の長女
「だって今日終戦記念日だろ?ちょっとは歴史も学ばなきゃ。だいたい姉ちゃんはいろいろ知らなすぎだし」
「いや、そりゃ、戦争のこととか知らないけどさ、今それ聞く?」
「光、戦争のこと知りたいならじいちゃんに聞いたらいいんじゃないか?」
隆の声が儂の頭に響いた。
庭にいた孫たちが儂のほうを向く。儂はこちらに向いた孫たちに何も言えないでいた。
「じいちゃん、話してくれる?そもそも戦争にじいちゃんも行ったん?」
光の若く張りのある声が遠い日に出兵していった3つ上の兄の声に重なった。兄は結局帰ってこなかった。
小さな声しか出なかったが、儂は孫の質問に答える。
「儂は戦争には行っておらん。儂の兄が16の時に出兵した。その年の8月に兄の死の知らせが届き、その2週間後戦争に負けたんだ」
儂の声は通ってはいないはずだ。子供たちの声は相変わらず大きい。それでも孫たちが近づき儂の小さなつぶやきを拾おうと必死に聞いてくれた。儂の心には13歳の時の悔しさと悲しさと腹立ちとあらゆる苦しい感情が渦巻いた。
「じいちゃん、男も泣いていいんだよ」
美弥が優しく声をかけてくれる。それでも、儂はあふれそうになる感情をグッと拳の中に握りこんだ。父も戦争で亡くし、妹の一人は空襲で逝った。名を知る人、知らぬ人、多くの死体を見た。自分の生はその多く死の上にある。
戦争のことは何も話さず生きてきた。話せば感情があふれそうになるから。昨年死んでしまった嫁はそれをわかっていて、時々背中をそっと撫でてくれていた。儂には出来過ぎの嫁だったと思う。
そっと嫁と同じ優しい手が背中に添えられる。
「こと」
思わず去年死んでしまった嫁の名を口に乗せてしまう。あっと思った。背中にあるのは柚芽の手だ。儂は死んだばあさんに未練がたっぷりある女々しい男だと知られてしまったことに恥ずかしさを感じた。しかし、同時に何もかもどうでもよくなる。
「儂は戦争には行っておらん。でも戦争でたくさんの大事なものを失った。それでも、あの戦争を全面的に否定しきらん。戦争はいかん。それは道理じゃ。でもな、命を落とした人に無駄死にだったとは言いたくない。あの戦争を否定してしまうと、その人たちの死も無駄だといっているようでな。すまんな、儂には戦争のことを話すのは難しいんじゃ」
孫たちは儂を囲む。まるで守られているように感じた。自分の年老いた手が目に入る。儂の生ももうすぐ終焉。あの時の光景、思いを握りしめたまま終わるのもいい。
「じいちゃん、否定も肯定もしないよ。だから、見た光景だけでも教えてくれたらうれしい。あの時代のことしっかり勉強したいんだ。じいちゃんのさっきの言葉もすごい響いた。俺時々ここにきてもいい?」
玉音放送を流していた光はどうやら大学で歴史を勉強しているらしい。あの時代の真実を知りたいのだと言う。
「捻じ曲げられた歴史じゃなくて、その時生きていた人がいるんだから、その人達に、その人達のそれぞれの真実を聞いていきたいんだ。いい?」
儂は小さくうなずいた。死ぬ前の大仕事が出来た。儂自身のこの80年の心のモヤモヤを孫が託して欲しいと言っている。あぁ、儂は幸せだ。
子供たちの笑い声の中にまた昭和天皇の声が混ざる。今度は誰も止めなかった。
言葉に出来ない葛藤 うらの陽子 @yoko-ok
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