1-3
「……どうした?」
占い師——じゃなかった、高倉さんが怪訝そうな顔でわたしを見る。どうやら彼にポップアップは見えていないらしい。
視線を彼に向けると、視界の端に短縮URLが見えた。……転生前にお世話になっていたキャラクターシート格納場所のURLに見えるのはおそらく気のせいではないのだろう。
恐る恐る指先を伸ばしてURLをタップすると空中にウィンドウが開き、そこには高倉さんのステータスが掲載されていた。
えーっと、STR(筋力)が70に、CON(持久力)が55——、ってことはこのキャラクターシートはいわゆる7版——『新クトゥルフ神話TRPG』準拠であるらしい。
POW(精神力)が70で、DEX(敏捷性・器用さ)が55——APP(魅力)が85。ステータスの最大値は90なので、彼のAPPは最大値一歩手前ということになる。そりゃ納得の顔の良さだ。
だが同時に彼はニャルではないということになる。何故ならば、ニャルのAPPは90だと相場が決まっているからだ。
わたしはそのまま目線を下げて彼の技能欄に目をやり——思わず目を見開いた。
『近接戦闘(素手喧嘩)95』
……戦闘技能欄に、確かにこう書かれている。『素手喧嘩』とは何と読むのだろう。
技能値95となれば、
ちなみに『占い』の技能値は50だった。この人、占い師なのに。
「おい」
キャラシを眺めて唖然としていると、不意に高倉さんに声をかけられた。
「あンだよ、急に人を指差して固まりやがって」
「いえ、なんでもないです」
わたしは慌てて指を引っ込めた。どうやら——というか案の定、彼にはこのウィンドウが見えていないらしい。
「そうか」
少し訝しむような目でわたしを見て、高倉さんは再び扉に目をやる。
「……どうにかしてここを出ねぇとな」
高倉さんはぽつりとつぶやいて扉の向こうに聞き耳を立てた。
カランとダイスの音がして『94』という数字が彼の横に表示される。危ない、
「大丈夫、か?」
ひとりごとと共に訝し気に首を傾げて高倉さんは少しだけ扉を開ける。わたしは思わず身構えたが、扉の向こうは静かだった。ふうっと高倉さんは息を吐き出す。
「今のうちに逃げるぞ」
振り返ってわたしを見ながら高倉さんは言う。
ここになぜムーンビーストが現れたのかはわからないが、あの拷問愛好家とも称される神話生物がわたしたちを易々と見逃してくれるはずがない。
つまり——このまま静かにここを出られるはずがないのだ。
「やっぱエレベーターは動かねぇか。……予備電源もイカれちまってンのか?」
ひと足先にエレベーターへと向かっていた高倉さんはやや荒っぽくエレベーターのボタンを押しながら呟く。
先ほど見た彼の技能に『電気修理』はなかったので、エレベーターを復旧させることはできないだろう。
ちなみに『わたし』は経済学部の大学生だし、転生前はただのOLだ。期待はしないで欲しい。
「階段で降りるぞ」
高倉さんはそう言って、非常階段へと続く扉を開いていた。彼はライトで足元を照らしながらゆっくりと階段を降り始める。
「そういえばお前、名前は?」
気を紛らわそうとしたのか、彼は階段を降りながらわたしに声をかけてくる。
そういえば予約の際は『匿名希望』と入れていたのを思い出した。
「えぇと、わたしは——」
名乗ろうと口を開きかけたわたしの視界の端に不意にポップアップが浮かぶ。
それは未完成のキャラクターシートだった。
そこにはわたしの写真と名前だけが入れられていて、能力値や技能値はまだ何も入っていない。
それが不意にわたしの視界の端に現れたのだ。
……もしかして、『探索者』に名乗ることで、わたしは『モブ』から『探索者』になってしまうのかもしれない。
仮に『探索者』になったら、わたしはどうなるのだろう。
……そんなことは、考えるまでもない。何せここはCoCの世界だ。
『探索者』になればおそらく、冒涜的恐怖と隣り合わせの日々が始まるのだろう。
平穏な生活のためにも、それは避けたい。
そのためには『名も無きモブ』で居続ける必要があるのかもしれない。
「……匿名希望です」
わたしがその一言を吐き出すと高倉さんは、くはっと笑いながら
「なんだそりゃ」
と声を漏らした。
「じゃあ匿名希望のA子な」
そう言いながら高倉さんは順調に階段を降りていく。
四階を示す看板を通り過ぎ、さらに下へと向かう。
他の店も入っているはずなのに、雑居ビルは不気味なほど静かだ。
その違和感に高倉さんも気付いたのだろう。
「……おっかしいな」
踊り場を過ぎ、三階と書かれた扉の前で高倉さんは立ち止まる。
わたしには扉から離れるように言って、彼はゆっくりと扉を開き——そしてすぐに閉じた。
「よし、行くか」
何事もなかったかのように高倉さんはそう言って下の階へと向かう。
しかし、再び聞こえたダイスの音と高倉さんの横に現れた『24』というダイス結果を見て、わたしはある程度察してしまった。
おそらく、先ほどのダイスは
きっと、扉の向こうに死体か何かがあったのだろう。
「大丈夫だA子」
だのに、高倉さんはなんでもない顔でこう言って、悪童のような笑顔をこちらに向けた。
わたしが怖がらないようにしてくれているのだ、きっと。
転生したらCoCの中だった いりさん @tabinoleo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。転生したらCoCの中だったの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます