第16話 ひとつのいのち


 セイランとトゥトゥは、開会式に遅刻した。


 式の全体進行を委ねられている家令リッセンは、会場の入り口で冥界の王のごとく大地をふみしめ腕を組み、目を血走らせて待っている。

 ナルンら侍女十名ほども同様である。


 会場に着くとすぐに仮設の支度部屋にほうりこまれ、装束を剥がされ、被せられ、叩きつける勢いで化粧をほどこされた。どの侍女も無言であり、その目は夜の森の獣もかくやという色を帯びていた。

 

 「もう評議会の方々のご挨拶がはじまっております。その後はディオラさまのご挨拶、そしてセイランさまとなります。ご挨拶の文言は覚えておられますな」

 

 おおきな仮設の舞台の袖に連行されたふたりを前に、リッセンはもはや泣きそうな表情で訴えた。


 「ん、ああ、挨拶、挨拶な……聞いてたっけか……?」


 リッセンは額を抑え、天を仰いだ。

 だが彼は腹をくくった。幕の右側の隙間からふたりを押し出す。


 舞台は、まぶしいほどに明るかった。

 目の前の広場を埋め尽くすほどの来場者たち。

 左右に席が設けられ、手前がウォジェ家、奥が竜捌きの評議会の重鎮たちだった。ウォジェ家には空席がふたつある。セイランとトゥトゥのためのものだ。


 挨拶の邪魔をしないようにそろりと進む。

 ふたりには届かないが、来場者はさわさわと、あれが祝縁の花嫁だ、ウォジェにとつぐとは思わなかったなあ、なかなかの別嬪べっぴんではないか、と囁いている。


 と、トゥトゥは評議会側の席から、つよい視線を感じた。

 顔を上げると、白に近い金髪の女性が、水色の瞳で彼女をまっすぐ睨んでいた。

 星竜せいりゅうの竜捌き、塡星城てんせいじょうのインファだった。

 うっ、とトゥトゥがのけぞると、ちいさく、べっ、と舌を出して見せた。ふんと横を向く。

 

 挨拶はとどこおりなく進み、当主代理であるディオラの番となった。横には、妻であるツィランも立つ。

 聴き取りやすい朗々たる声で感謝のことばと竜たちへの愛情をかたり、それは見事な挨拶であった。会場からおおきな拍手が湧く。


 そうして、セイランの番。司会から名を呼ばれ、彼はトゥトゥの方に振り向いた。妻はしずかに、うなずいて返した。セイランの表情がふっと緩む。

 壇上にすすみ、まんなかに立つ。トゥトゥも寄り添った。

 セイランはしばらく会場を黙ってみわたし、すう、と息を吸った。

 

 「……俺は、竜を堕とす、と言われていました」


 ざわり、と会場が揺れた。


 「兄に怪我を負わせ、竜を操ることができなくなって、それでもまた飛びたい、勝ちたいと、力任せにやってきました。そうしたら、どんどん、だめになった。だめになるから、また無理に竜を抑えつけ、叩いて、走らせる。その繰り返しで、もう俺は終わったんだと、思っていました」


 おい、と壇上のだれかが声をあげたが、ディオラが軽く手をあげ、続けさせた。


 「でも、ここにいる、妻……トゥトゥが、教えてくれました。俺は、飛べないんじゃない。飛ばなかったんだ。堕ちたんじゃない。堕ちたと、俺が決めていたんだ。だから、俺は……」


 そういい、会場をつよく見回す。下を向き、顔を上げ、笑った。


 「俺はもう、英雄なんて、いらない。ただ、ただ、竜と飛びたい。竜を感じたい。それだけでいい。うまくいかないかもしれない。勝てないかもしれない。でも、いい。俺は、今日と明日、すべての競技でめいっぱい、楽しませてもらいます。竜たちと、妻といっしょに。皆さんも、どうか、楽しんでいってください」


 ふかく、頭を下げる。トゥトゥも倣う。ながい礼のあと、ゆっくり頭をあげ、ふたりは手をとりあって壇上から降りた。

 しん、としていた会場で、まばらに拍手が起きた。

 やがて拍手はさざなみのように広がり、会場すべてを満たした。

 ウォジェ、ウォジェという掛け声のなかに、英雄セイラン、おかえり、という声もいくつも聞こえた。


 席にもどるときにディオラと目があう。笑っていた。頷き、片目をつむる。セイランも笑って、拳を握り、ちいさく掲げてみせた。

 よい兄弟だなと、トゥトゥは胸をあたたかくした。

 

 開会式は無事に終了し、みな、舞台のすぐ裏にひろがる競技場へ移動した。

 競技場は、見通しのよい牧草地を利用してつくられたもので、あちこちにさまざまな形状の競技用具が設置してある。宙に浮いているものもある。竜のたまのちからを応用したもので、特に目をひくのは、競技場の中央、五十モルほどの高さにういている、七色に輝く珠だった。

 明日おこなわれる最後の競技、そして飛演祭ひえんさいの最大の目玉といえる、虹珠竜舞こうしゅりゅうぶ、とよばれる競争で用いられるものだった。


 会場全体にしかけられた複雑な障害物をくぐりぬけ、いかにはやく、その虹色の珠に辿り着くかを競う競技であり、ひとつの城から二頭ずつが出場する。

 が、障害物の難度がたかく、また何頭もの竜が狭い空間でせめぎ合うため、危険な競技でもあった。

 かつて、セイランが兄ディオラの騎乗する竜に激突し負傷させたのも、この競技なのである。


 いまセイランは、その珠をみあげ、みずからの白銀の竜の横にたつ。

 トゥトゥがその背に、手をあてた。

 

 「緊張、してる?」

 「……ああ、おもいっきり、な」


 セイランは、しかし言葉の内容と裏腹に、おだやかな微笑を浮かべていた。


 「あの珠。こんな静かな気持ちで見るのは、ほんとうに久しぶりだ」

 「……無理は、しないでね」

 「ああ、でも、楽しみたい。さっきいったとおりだ。こいつといっしょに、風を感じたい。思いっきり。気持ちいいだろうな」


 目を輝かせる夫の横顔を、トゥトゥは大事な宝物として、目に焼き付けた。


 係が大声で、最初の競技の準備をするよう触れてまわる。

 トゥトゥはセイランの手をきゅっと握り、離れた。


 最初の競技は、演舞。

 所定の定型的な騎乗のうつくしさを競うものだ。

 出場者が竜とともに、あつまる。

 そのなかには塡星城のインファの姿もあった。


 「……お熱いこと」


 インファはさきほどのトゥトゥとのやりとりをずっとみていたらしい。


 「夫婦だからな」

 

 こともなげに返したセイランの横顔を、インファは横目で睨み、ふんと鼻を鳴らした。


 「可愛い祝縁の嫁にほだされて、騎乗の勘がにぶってなきゃいいけど。さっきの挨拶もなによ、楽しめればいいだなんて。やる気あんの?」

 「ない」

 「はあ?」

 「そりゃ、勝ちたいさ。でも、ちがうんだ。ちがうって、わかったんだ」

 「なに、それ」


 と、出場者の呼び出しがかかった。

 最初は、塡星城の代表者。インファだった。

 彼女は紫の竜の背に飛び乗り、セイランを見下ろしながら、強く手綱をひいた。


 「とにかくあたしは、絶対、負けない。優勝してみせるから!」


 声を残して、飛翔していった。

 セイランはその背を見送り、へへ、と腕組みをしてみせた。


 インファの演舞には高得点がつけられた。

 空で生まれる竜、星竜せいりゅうの体幹の細さと身軽さ、しなやかさが存分に活かされた結果だった。

 数十組の競技がおわり、その時点で星竜の出場者が上位を独占していた。


 セイランの番となる。

 よっ、と白銀の竜に飛び乗り、ぽんぽんと首筋をたたく。背に、頬をつける。たのんだぞ、といい、手綱を放す。

 竜は、セイランのこころを読んだ。

 どん、という低い音響を残して鋭く離昇した。砂煙が舞う。


 その演舞は、会場のぜんいんを驚かせた。

 セイランも、竜も、そこにはいない。

 ひとつの美しいいのちが、舞っていた。

 

 満点が、付与された。

 黒玻璃城くろはりじょうが首位となる。

 ウォジェの家人たちから、おお、と歓声があがる。


 足元の土を捻り踏み、インファは歯軋りをした。


 

 

 

 

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