第15話 あなたがいい


 遠くから、ぽん、ぽんと、控えめな花火の音が聴こえている。


 よく晴れた。

 うすい雲がこの黒玻璃くろはり城とおなじ高さに浮いているが、上空は痛いほどの蒼に満たされている。爽やかな風が吹き抜ける。

 竜日和びより、ということばを、いま、トゥトゥは思いついて、ひとりでふふと笑っている。


 飛演祭ひえんさいの当日。

 二日間にわたって行われる竜のまつりの、今日は、初日にあたる。

 昼に開会式があり、セイランとトゥトゥも列席することとなっていた。


 トゥトゥは、飛演祭に参加したことがない。

 競技者として出場したこともないし、見物を楽しんだこともない。

 竜の宮のものは、飛演祭の当日は、竜の怪我や病気に備えて宮のなかで待機し、あるいは会場となる空城そらじろの裏方に控えているのが常なのだ。トゥトゥは幼い頃から、まつりの当日、運び込まれる竜たちの世話でてんてこまいになる養親おやの姿をみて育った。


 そのことをセイランに告げたところ、なら当日はいっしょに街をみていこう、賑やかで楽しいぞ、と誘ってくれたのだ。しばらくの間、家業とまつりの準備で時間がとれなかったことへの詫びの意味もあるようだった。


 トゥトゥはいま、正門横の広場の、ひときわ眺めの良い場所に立っている。

 眼下の家並みをこえて、遠く会場、そしてその向こうの空城の南端まで見渡せた。


 んん、と伸びをする。

 おもいきり深く、空気を、吸う。

 手をひろげ、世界を感じる。

 翳りのない、おだやかであたたかな息遣いが彼女のなかに流れ込んできた。

 ひかりが、ぜんぶのいのちが、降ってきた。


 ああ。うれしい。うれしい。

 

 と、肩に手がかけられた。

 振り返ることもなく身体を寄せる。


 「すまない、待たせた」

 「ん。大丈夫。おはなし、してた」

 

 セイランはトゥトゥの顔を覗き込み、空を見上げた。


 「竜、か?」

 「竜も、草も花も、空も。戻っていったいのちも」


 穏やかに微笑む妻に、夫はやわらかな抱擁を返した。


 先月おこなわれた竜の珠の解放は、いくつかの変化をもたらした。

 もっとも懸念された黒玻璃城の高度の低下は、起こらなかった。むしろ数モルほど上昇し、観測した珠技師しゅぎしたちを驚かせた。

 竜の珠から採取される各種のちからも、強化された。街の灯りは輝きを増し、供給される熱量は、余すほどとなった。

 どんな成分がどう変化したのか、だれにもわからなかったが、この空城をつつむ空気の色とにおいが、変わった。ある者は透明になったといい、ある者は、呼吸が楽になったといった。


 竜も、草も花も、樹々も。そうして、ひとびとも。

 なにかがおおきく変わり、大事なものはなにも変わらないことを、いのちの芯で実感した。


 「じゃあ、いこうか」

 「はい」

 

 夫は、手を差し出した。

 それを自然に掴んで、歩き出す。


 正門を出てなだらかな坂をくだり、大通りに出た。ふだんから賑やかな場所ではあるが、今日はまた、格別だった。

 行き交う人々も街並みも、ここぞと飾り立て、華やいでいる。

 たくさんの屋台が立ち並び、通りの至るところに花が飾られ、建物の二階の窓では心得のあるものが楽器を奏でている。それにあわせて踊るものもあれば、即興で歌うものもいる。

 酒が振る舞われ、菓子がくばられ、子供たちは竜のかたちの風船をもって走り回っている。

 黒玻璃城くろはりじょうの住人だけでなく、ほかの空城そらじろや地表のつちびとの街からやってきたと思われる姿も目立った。みな、それぞれの家の象徴である装束を身につけ、誇らしげに歩いている。

 

 「どうだ、賑やかなもんだろ」


 目を輝かせながらきょろきょろしているトゥトゥに、セイランは胸を張ってみせた。


 「うん、ほんと、すごい、こんなに賑やかなの、生まれて初めて!」

 「ウォジェのちからを思い知ったか」

 「あはは、恐れいりました」


 と、ウォジェということばを聞いた何人かがこちらに振り向き、セイランとトゥトゥであることに気がついて、辞儀をした。このあたりはウォジェの家と商売のやりとりをしており、直接にセイランたちの顔を見知っているものも多いのである。

 どの顔もにこやかであり、トゥトゥも笑って返礼したのだが、セイランがやや硬い表情であることが気になった。

 歩きながら、袖を引く。


 「どうしたの」

 「ん、なにが」

 「さっき。街のひとから挨拶うけたとき、どうして沈んでたの」

 「……俺、沈んでたか?」

 「沈んでた」


 セイランはすこし顔をしかめて、ついで苦笑し、頭を掻いた。


 「……俺な、じつは街歩くの、久しぶりなんだ……トゥトゥが来てからは初めてだな」

 「え、そうなの。どうして」

 「……わかるだろ」

 「わかんない」


 トゥトゥはなかば本気で、なかばは最後まで自分で言わせようと、首だけ傾げてみせた。

 セイランは立ち止まり、俯いた。ちいさく、噛み締めるように声を出す。


 「……こわ、かったんだ。堕ちた英雄、竜を、家を堕としたセイラン、って指さされるのが。ずっと、誰かに責められてる気がしてた。兄に怪我させて、今度は家を潰すのか、ってな」


 トゥトゥはその声をじっと聴いた。目をしっかり開いて、夫の伏せた瞳を見つめながら。

 きゅ、と表情を引き締めた。

 手を伸ばす。両方の手のひらを、セイランの浅黒い頬に重ねる。ざらざらとひげの触る、毎日のように口づけ、愛でる、その頬に。

 そうして。

 むにゅうと、思い切り左右に引っ張った。


 「いははは、はいふんは、ふうふう」


 いたたた、なにすんだ、トゥトゥ。

 手を離し、大きくにっこり、笑った。


 「ね。おまじない、覚えてる?」

 「えっ、あ、ああ」

 「言ってみて」

 「……相手の、目を、見る。そうすれば、わかる。こころが。想いが」

 「よくできました。ね、顔、あげて。まわり、みて」


 セイランは、言われたとおりにした。

 まつりを楽しむいくにんかと、目があった。知っている顔もあれば、知らない者もある。

 が、どの顔も、どの目も、あたたかい。

 貶むいろなど、どこにもなかった。


 「……言って、いない」

 「もういちど」

 「言って、ない。俺を、堕ちた英雄、と。俺を、責めていない」


 トゥトゥは、ふたたび手を伸ばした。

 夫の背中にまわす。

 思い切り、抱きしめる。


 「……わたしは、あなたがいい」

 「……」

 「あなたと、飛びたい。空を、この世界を、いのちの果てまで」


 セイランの胸に埋めた顔の、その横に。

 トゥトゥは、晴天であるのに、ちいさな雫を感じた。


 ゆきかう人々が、ふたりをみて、まあと驚き、あるいは微笑む。


 開会式の刻限が、迫っている。

 が、そうした瑣末ごとはいま、ふたりの時間を妨げるちからを持たない。


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