第12話 挑戦者たち
分厚いまな板、おおぶりの芋。
火台では湯が沸いている。
トゥトゥの右手には、包丁。
しばらく大量の汗を流しつつ芋を睨みつけたすえ、ついに彼女はこころを決めた。
が、その右腕がうしろからがっしと掴まれた。
料理長ルノが驚愕の表情を浮かべ、あたまを左右に振っている。
「……あんた……なにやってんの」
「えっ、お芋を煮るから、ちいさく切らなきゃって……」
「そのまま振り下ろしたら指がお散歩いっちまうよ……だいたいなんで切るのさ。芋の潰し揚げ、作るんじゃなかったのかい」
「そ、そうですけど……」
「なら煮てから皮剥いて潰しゃいいんだよ。いま切らなくたっていい」
「あ、そう、か……」
ちょうど手隙の時間だった料理長ルノが、おっ、どしたい奥さま、と気さくに迎えた。
この長身の赤毛の女性は、たとえ当主筋が相手でも態度をかえない。その
ただ、夫である家令リッセンとの馴れ初めについては巨大な謎であり、だれもがその話題になると首を捻るのである。
トゥトゥはルノに、さきほど聞いた二品、芋の潰し揚げとひき肉の焼き物を教えてくれと訴えた。
いや、そりゃかまわねえが、教えるほどのこともないぞ、とルノは返した。しかし、トゥトゥの引き結んだくちびると瞳の色になにかを感じ、うなずいた。
道具も材料もあるから、まずは好きにやってみな、と厨房へ招き入れ、鍋の湯を沸かすだけで相当の長時間を要したのち、トゥトゥがみずからの指をとばそうとする場面に至るのである。
「……ま、まあいいや。芋はさ、その湯のなかにどばっと入れればいいから」
そのことばにトゥトゥは深くうなずき、芋をかかえ、鍋から身体よっつぶんほど離れた距離に待機した。ひとつを握り、力強く
ルノは湯をまもり、けわしい形相で立ちはだかった。
「なに、してる……?」
「えっ、お芋いれるんですよね……お湯に」
「なんでそんな離れてるんだ」
「お湯が飛んだら、熱いかなって」
ルノは
これはまずい、と、本能が叫んでいる。
その後、芋を湯ごと沸騰した油に流し込むことにより水蒸気爆発を生ぜしめ、あるいは芋を潰すにあたり厨房の隅にあった薪割りの木槌を使用して作業台を
ちょっと、考えさせてくれ、とルノは丁重だが沈痛な表情でトゥトゥを厨房の外に送り出し、扉をかたく閉めた。
トゥトゥはしめやかに自室にもどり、呆然と壁を眺めて過ごした。
夕刻にセイランが戻ったからこれを捕まえ、お芋も鍋もルノさんもひどいんだよとわんわん泣いて訴えたが、セイランは妻がなにをいっているのか皆目わからなかった。
こうした
侍女のしごとを奪わない程度に、家のこともこなした。洗濯や掃除は係のものがあったが、声をかけて手伝わせてもらった。みなはじめは恐縮したが、すぐに打ち解けた。数日後には誰がもっとも迅速にシーツのかけかえができるかを競うこととなり、トゥトゥが優勝したが、ベッドの上に立ってたかだかと
晴れていれば畑に出た。作物の声を届けることもしたが、ふつうに作業も手がけた。草を間引き、虫をとり、堆肥をまいて、水をやった。秋の作付けのことを話しながら、みなで畔に座って昼を食べた。土を手で掘り返すことも厭わず、まっくろの手で館に戻り、ナルンに悲鳴をあげられた。
家のことも畑のこともないときは、ほとんど竜舎か、その隣の竜使いたちの居住棟の庭にいた。セイランも、館でおおきな用事がないときは竜使いたちといることが多いのだ。
竜使いたちも竜舎のものも、トゥトゥの能力はよくわかっていたから、尊敬と畏怖を込めて、祝縁の花嫁さま、と呼んだ。
訓練をともにすることもあった。竜使いたちに頼まれて助言のために騎乗することもあったし、セイランと共に飛ぶこともあった。
セイランは数年前の事故以来、騎乗がぎこちなく、いわば力任せに飛ぶことが多かった。竜も、そうした態度をきらう。堕ちることまではなかったが、そう言われてもしかたのない騎乗だった。
が、トゥトゥがきてから、少しずつ、変わっていった。
竜のうごきも、操るセイランも、楽しげで軽やかな様子を見せるようになった。
竜にのるのではなく、竜と、飛ぶようになった。
騎乗前には竜の額に自分のそれを合わせ、わからないながらも気持ちを拾った。
竜使いたちはそこに、何年もみることがなかった、英雄セイランの影をみた。
バヤールは夜に竜使いたちと呑むことが多かったが、そのたび、酔って大泣きした。若さまが、我らの英雄セイランさまが戻ってこられた、と。
館の時間と空気は、トゥトゥがはこびこんだ
そうした日々の、ある朝。
紫の、竜。
頭頂の深い紫紺から尾の先のあわい青まで、なめらかな階調を帯びた美しい竜が三頭、
ウォジェの館の正面に降り立ち、出てきた家人に手綱をわたす。
先頭は、女だった。
ほとんど白といってもよい金髪を、襟足だけ長く伸ばしている。あわい青の瞳が、逆立てられたほそい眉の下で強いひかりを放っている。
純白に紫の細やかな刺繍が入った騎乗服をひらめかせて、ウォジェの家人のまえに立つ。
「インファ・セオ。
いいながら、あたりを見回す。心ここにあらずという風だった。
家人は戸惑いながら、少々おまちを、といい、引っ込んだ。
「……ねえ、竜舎が見えない」
彼女は、後ろで直立して待つ男に声をかけた。男は、眉をひそめて小声で応えた。
「地竜の竜捌きは、屋敷と竜舎をわけていることが多いようです。それより姫さま……くれぐれも、余計なことを考えられませぬように」
そのことばが耳に入っていないかのように、姫さまと呼ばれたインファは背を伸ばし、振り返り、首をまわして竜舎を探している。家人がなかなか戻らないのでとんとんと足踏みをし、苛立つような仕草をみせた。
「……あたしちょっと、竜舎、探してくる」
「えっ、なっ、姫さま」
「あんたたち、適当に進めといて」
男ふたりはあわてて止めたが、インファはずんずんと歩いていってしまった。男たちは追おうとしたが、ウォジェの家人が戻ってきてしまったので動けない。
家人は、当主代理がお会いする、と口上し、ふたりを招じ入れた。
やむなく星竜のつかいは、インファを放置し、館に入っていった。
「なんだか辛気臭い空城ね……あれ、畑まである。ええっ、もしかして自分たちで野菜、つくってんの? 信じらんない、どんだけ田舎よ」
そのインファは、ひとりごとを言いながら、好き勝手に館の庭を歩き回っていた。竜舎はいま彼女がたつ斜面を右手にくだったところなのだが、まっすぐ、正面の畑のなかにはいってゆく。
「竜は、どこ、かな……と……」
歩いてゆくと、こちらに背を向け、畑にかがみ込んで作業をしている女のすがたがあった。インファはちょうどいいやとそちらに足を向け、近寄って声をかけた。
「ちょっとあんた」
「え? あ、はい」
振り返ったのは、作業着姿のトゥトゥだった。手に抜いた雑草をもっている。
「この家の竜舎ってどこにあるの?」
「あ、竜舎は、あちら……下ったところの、右手です」
トゥトゥは立ち上がり、竜舎のほうを手で示した。その手は、泥だらけだった。インファはなにやらぴんときたような表情をし、にやりと笑った。下働きの女を捕まえて家の内情を訊くのも良い手だなとかんがえたのである。
「ねえあんた。ちょっと、竜舎まで案内してよ。あと、この家のことと、竜のこと教えて」
「えっ、家の、こと、ですか……」
「いいじゃない。駄賃は弾むからさ」
「いえいえ、お駄賃なんて……わかりました、ちょっとお待ちくださいね」
そういい、近くの布で手をぬぐって、ぱんぱんと厚い前掛けに叩きつける。こちらです、と道を示して、インファの前を歩き出した。
「……あの、お客さま、ですよね」
トゥトゥは遠慮がちに振り返りながら尋ねる。
インファは左右を見回しながら鼻歌をうたっていた。
「ああ、塡星城から使いで来たんだ。星竜の竜捌きだよ。あんた星竜って知ってる?」
「はい、すこしだけ」
「あはは。竜捌きの家に奉公してるんだったらちょっと竜のことも勉強したほうがいいよ。あのね、星竜っていうのは、地竜よりもずっとずっと、賢くて強くて、美しい竜。あたしはその星竜を使う竜捌きの跡取りなのさ。今日はまあ、地竜のやつらってどんなもんか、敵情視察」
いいながらインファは、天に手をぐっと突き上げ、叫んだ。
「次の飛演祭は、星竜がもらう!」
トゥトゥは歩きながら、これはもしかすると、セイランに見つかったら叱られるやつなのではなかろうかと、心配になってきたところなのである。
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