第11話 幸福なまどろみ
ほのかな燈火に浮かぶ竜舎の前庭に、白銀と紅の二頭の竜がふわりと舞い降りる。
竜舎の者が走り寄り、
白銀の竜の背からまずセイランが降り、続いて後ろに騎乗していたトゥトゥに手を貸し、降ろした。紅い竜は無人だった。
ふたりは竜舎のものに礼を言い、忍ぶように館の裏の斜面を登った。
手を繋いでいる。
顔をみあわせ、いたずらっ子のように笑いあう。
裏口は施錠されておらず、難なく入れた。
夕食どきだから、厨房や食糧庫がある裏口まわりは賑やかだった。鍋を振る音、大声で言い合う声、食欲をそそる料理の匂い。
材料を抱えた厨房の者とすれ違うたび、セイランはくちに指をあて、しぃっ、といって笑った。みな、あれ、まあと驚きながらふたりを見送った。
階をあがり、セイランの部屋まであと少しというところで、しかし彼らの大冒険はとうとつに終了することになる。
「おかえりなさいませ」
廊下を曲がったところに幽然とひとつの影が立っていた。
セイランはあやうく突き当たりそうになり、驚いて立ち止まった。その背にトゥトゥが鼻をぶつける。影がリッセンのものであることを認め、セイランは、ふたたび驚愕した。
「な、なんでここに」
「夕刻からここに立っておりましたので」
「え……ずっと、か」
「ずっとでございます」
リッセンはわずかに息を吐き、くいと眼鏡を持ち上げ、セイランをまっすぐ見据えた。目がやや血走っているようにみえた。
セイランは、後ずさった。
トゥトゥはセイランの背にちいさく隠れた。
「そ、それは……申し訳なかった」
「
と、リッセンがセイランのうしろに目をやる。
セイランとトゥトゥの、つないだ、手。
しらず、指と指を絡めた繋ぎ方になっている。
ふうっ、と息を吐く、鬼の家令。
「……まあ、いずれも明日にいたしましょう。ご夕食は?」
「えっ……ああ、いや、まだ」
「お部屋に運ばせましょう」
そういい、くるっと向きを変え、歩いて行った。
「……?」
セイランとトゥトゥは顔を見合わせる。
が、ともかく部屋に入った。
ややあって扉が叩かれ、侍女たちが膳を運び込んだ。
お酒はいかがしましょうか、と尋ねるのでセイランがうなづきかけたが、トゥトゥの顔をみて、やめた。
ふたりとも空腹だったので夢中で食べて、長椅子でならんで休んだ。
朝のこと、空の上でのこと、さきほどのリッセンのこと。いろいろはなし、笑い合った。しばらくそうしていたが、トゥトゥがセイランの手に自分の手を重ねたから、互いにことばが止まった。
交わされたくちづけは長く、やわらかく、このあとの夜のふかさを象徴するように、熱かった。
翌朝はおおいに寝坊した。
扉がいくどか叩かれ、それでようやく目をさましたトゥトゥは、カーテンの隙間からさす光がすでに朝日のそれでないことに気がついた。
ベッドから転がり落ちるいきおいで起き出し、寝間着をわたわたとかぶる。
扉の向こうにいたのはセイラン付きの侍女たちと、ナルンだった。
みな頭をさげ、部屋のなかを見ないようにしている。
「おはようございます。ご朝食のお時間をだいぶ過ごされましたので、失礼ながらご様子を」
「あっ、はい、すみません、すっかり寝坊してしまって……」
いいながら振り返り、奥のほうを見やった。
「セイランはまだ、目を覚まさなくて……いま、起こしますから」
「恐れ入ります。お支度が整いましたら、お声がけくださいませ」
扉はいちど閉められ、侍女たちは頭をあげた。ナルンをふくめ、みな、目を見合わせる。口元が笑っている。
トゥトゥは、自分が夫を、セイラン、と呼び捨てにしたことに気がついていない。そのことが侍女たちにはなにやら嬉しく、微笑ましいのである。
やがてトゥトゥが顔を出し、お待たせしました、と侍女たちを部屋に招き入れた。セイランは昨日と同じ服を着て長椅子に座り、あちこちに飛び跳ねた長髪を掻き回している。なにもない壁を見つめているが、照れ隠しとみな判断した。
トゥトゥはナルンとともに退出しようとしたが、侍女たちの手で体裁を整えられつつあるセイランに呼び止められた。
「今日は朝からリッセンが待ち受けてるし、昼からも兄といっしょに用事で出るから、また時間がとれないんだ。すまない、いろいろ案内してやりたいんだが」
「大丈夫、昨日もバヤールさんに案内いただいたし。わたしのことは気にしないで。おしごと、がんばって」
軽い口調で気遣いあいながら交わすことばに、侍女たちはまた少しだけ目をみあわせて微笑んだが、ふたりはそれに気づかなかった。
トゥトゥはナルンとともに自室に戻り、沐浴のあと部屋に用意されていた軽食をとって、横になった。行儀がよくないが、眠くてしかたなかったのだ。
幸福なまどろみだった。
そのまま昼すぎまでうとうとし、またもや
義姉、シノアからのお茶の誘いだと、ナルンが告げた。
朝が遅かったので昼食をとっておらず、ちょうど菓子でもつまみたいところだったので断る理由などなにもなかった。はいはいと立ち上がってゆこうとしたが、ナルンにつかまり、いろいろと体裁の修復をされた。
シノアは自室で待っていた。
トゥトゥを抱きしめんばかりに迎え入れると、さあさあと座らせる。
今日は夫も義弟も出てしまったから、ゆっくりおはなししましょうと、自ら茶を淹れた。
きさくな人柄とはトゥトゥも知っていたが、うず高く積まれた焼き菓子をつまみながら繰り出す話題は多岐にわたり、その豊かな感情表現はトゥトゥを圧倒した。
ただ、話題が夫、実質の当主ディオラの怪我のことになったときには少し、声が陰を帯びた。
「もう治っているって、
トゥトゥはおとといの朝、庭でみたディオラの姿を思い出した。杖をつき、ひきずりながら運ぶ脚は痛々しく、けして偽っているような様子でもなかった。
「やはりまだ、お痛みが残っておられるのでしょうか」
「ううん、本人もそれはないって言っていたわ。ただ、動かそうとするとなんだか、引き攣ったみたいになってうまくいかないって」
「そうですか……」
「夫と竜と並べるわけじゃないけれど、竜も、いちど怪我をして飛べなくなると、また上手に飛ぶのはとても難しいっていうじゃない。それと同じなのかなって」
「そういうもの、でしょうか……」
トゥトゥは夫を案ずるシノアに軽々なことばをかけないよう気を遣ったが、たしかにそういうことはあると心中で頷いていた。ようは、気持ちの問題なのだ。
ふたたび怪我をすることへの恐怖、うまくいっていた方法が否定されたことへの戸惑い。
むしろ竜のほうが本音を隠さず聴けて、かんたんなんだけどなと、トゥトゥはかなり失礼なことをいま考えている。
「いつかまた、あのひとが竜の背で笑うところを見てみたいな……ああ、ごめんなさい。暗くなっちゃったわね。それより、ねえ。ご実家ではどんなごはん、作っていたの?」
はなしが唐突に、トゥトゥにとってもっとも不利な方向へ変わったから、彼女は狼狽した。菓子を取り落とす。茶碗が震える。
「えっ、あ、う、いろ、いろ……でした」
「そう。ほらわたし、竜捌きの家で生まれたから、地上で暮らしたことがないのよ。お野菜とか香辛料とか、あちらでしか手に入らないものがたくさんあるじゃない。こんどそういうの使った料理、教えて欲しいの」
「……も、もちろん、です……」
「ほんと、わあ、嬉しい! 楽しみだなあ」
地獄の釜の蓋がひらいた、と、トゥトゥは観念した。
「……あ、あの」
「ん?」
「セイラ……夫は、どんなものが好物なのでしょうか。そういう話をしたことがなくて」
「そうねえ。おいもを蒸して潰して揚げたものとか、お肉を挽いて焼いたものとか、わりと簡単なものかな。でもあなたが作ってあげるものならなんでも喜ぶと思うけど」
そういってシノアは、ふふふ、と笑う。
トゥトゥは、いま持つすべてのちからと技能とをもってその二品の習得に臨むことを決断した。
悲壮な、覚悟だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます