第10話 ほしぼしの祝福


 トゥトゥたちが畑を離れたのはもう昼もまわったころだった。


 いつのまにか小屋に連れ込まれ、茶と軽食の接待を受けながらずっと相談にのっていたのだが、最後にはどうしたことか酒と楽器が出てきてしまったから、バヤールがあわてて連れ出した。

 働き手たちは、またいらしてください、と口々に感謝を述べて手を振った。


 畑からしばらく下ると簡素な石塀がある。館と外部との境界だ。とはいえ子供でも乗り越えられそうなものであり、ウォジェ家が空城そらじろの住民に対してどう接しているかが察せられるのである。

 トゥトゥはそのことを、とても好ましく感じた。


 門、というより石塀の切れ目を出るとすぐ、住宅や店舗、工房が立ち並ぶ市街になっている。バヤールは、このあたりは三番街といいます、ウォジェ家と商売のやり取りをしている家が多いが、にぎやかな市が立ちますよ、と説明した。

 少し進むと、説明のとおり大通りの左右にたくさんの露店が出ている。トゥトゥは喜んだ。実家である白薄荷しろはっかの宮は高地にあるから、こうした賑わいに触れる機会は多くないのだ。


 バヤールの説明を聞きながら、ひとつひとつの店を覗いてまわる。

 装飾の店では、セイランにもなにか、と、似合いそうな襟紐えりひもの石などを手に取って選んだ。

 大道芸も出ており、トゥトゥは目を輝かせてこどものように楽しんだ。

 リッセンには内緒ですぞ、といいながらバヤールが買ってきた蒸し饅頭と甘酒をふたり並んで、座って食べた。

 おおきな店からは主人が出てきて、昨日の夜宴でお目にかかりました、と挨拶をされたが、トゥトゥは覚えていない。もちろんそんなことは絶対に言わず、できるだけ優雅に挨拶をかえした。


 竜の鞍やら手綱をつくる工房などもいくつか訪れ、そろそろ戻りましょうかとバヤールがいうころには、もう陽も傾きかけていた。

 館までまた、徒歩で戻る。

 バヤールは、またいつでもご案内します、と手を振った。トゥトゥも笑顔で応じた。

 懐の、セイランへの土産の装飾品を確かめながら、トゥトゥは足取りも軽く館に入った。


 自室に戻ると、扉の前にナルンがいた。どよんとした表情。リッセンにひどく叱られたという。招き入れて座らせ、こっそり市場で買ってきた甘い豆菓子をふたりでかじる。ナルンは泣き笑いのような表情をした。


 すると扉が叩かれ、わたわたと菓子をしまってナルンが扉を開ける。あとずさる。入ってきたのはリッセンだった。しかも、ひどく怖い顔をしている。


 「あっ、リッセンさん、あの、ナルンのことはわたしも……」


 トゥトゥが立って釈明をしようとすると、リッセンは首を振った。


 「いえ、そのことはもう。それよりセイランさまは、本日ご一緒にお出かけでしたか」

 「え、いえ、あのあとはバヤールさんにご案内いただいて、館の周りを」

 「ご一緒では、なかったと」

 「はい。セイ……主人は、お客さまのお見舞いに伺ったと聞きましたが」

 「ええ、ただそのあと、誰もお姿をみたものがないのです。昼からのご予定もいくつか入っていたのですが、お見えになりませんでした」


 もしお部屋に見えられたら、リッセンが探していたとお伝えください、と言い残して彼は頭をさげ、退出していった。


 「どうなさったのでしょう、セイランさま。ご予定をお忘れになるなんて、とても珍しいです」


 ナルンは首をかしげて呟いた。

 トゥトゥはなんとなく胸騒ぎのようなものを感じ、ナルンに振り返った。


 「あのひとはふだん、ひとりでお出かけすることは多いのかな」

 「いいえ、ほとんどはどなたかお連れになるはずです。特にご商用や、評議会にお出かけになるときは」

 「竜のこと……訓練とか、そういうのは……?」

 「それも、竜使いの皆さまとご一緒が多いかと」


 リッセンが知らないということは商用などではない。

 さきほどまでトゥトゥはバヤール、つまり竜使いの長と一緒にいたのだから、竜にともなう用事ということでもなさそうだ。

 そして、自分が知らないのだから、成婚に関わるなにかでもない。


 トゥトゥは窓辺に寄り、色を濃くしはじめた夕陽をしばらく眺めた。

 と、やおら衣装棚に走り、とりわけ簡素で丈夫そうな服を取り出した。

 ナルンが声をかける間もなく、くるくると服を脱ぎ捨て、着替える。

 

 「ごめん、ちょっと、いってくる!」


 ばたん、と扉をたたき開いて、走り出た。

 トゥトゥは知らないが、ナルンは、またこれでリッセンに叱られると涙目になっているのである。


 トゥトゥには、心当たりがあった。

 先ほどバヤールと竜舎に立ち寄ったとき。


 またとぅとぅにあえたよ。

 うれしいね。

 あのこもあいたがってたのにね。

 あいたがってたのにね。


 あの子、あの子と、ここにいない竜のイメージがいくども浮かんできた。

 そのイメージの向こうに、セイランの姿があったのだ。

 おそらく白銀の竜。あの日セイランが騎乗していた竜だと感じた。

 それが竜舎に、いなかったのだ。


 裏口を出て、畑のあいだを走る。

 竜舎につくと、世話係たちが給餌をしていた。

 ちょっと、ごめんなさい、と先ほどの竜たちに近づく。

 みな、また歓迎の表情を浮かべてトゥトゥを迎えた。


 ねえ、あのこ、どこにいったのかな。

 トゥトゥが問うと、人間のように目を見合わせる。


 わかんない、わかんない。

 でも、いつものところかなあ。

 そうかなあ。

 きっとそうだねえ。

 

 イメージを受け取り、ありがとう、と皆の首を撫でる。

 世話係に走り寄り、急用です、竜、お借りできませんかと、頼み込む。

 その若い係は困惑していたが、奥からすこし年嵩のものが走り出てきて、奥さまに騎乗いただけるなら喜んで、責任は自分が取ります、とうなずいた。


 紅い竜が選ばれ、引き出された。

 鞍が置かれ、手綱と係竜紐が巻かれる。

 竜は、歌っていた。

 

 ああ!

 とぅとぅと、とべる、おどれる、うれしい!


 「よろしくね」


 ささやいて、トゥトゥは飛び乗った。

 手綱を引くまでもなく、ふぉんと、竜は浮いた。

 

 「はぃやっ!」


 トゥトゥの掛け声とともに、竜は、瞬時に百モルを上昇した。すさまじい加速だった。重力場の制御により本人たちには障りはないが、下で見送った竜舎のものたちは砂埃にまかれた。


 「……すげえ」

 「あれが、竜のほんとうの能力なんだな……」


 呆けたような表情の男たちを眼下に見ながら、トゥトゥは、行く先を探した。さきほど得たイメージを竜に伝えると、声が返った。


 わかるよ、あそこだね、あたしもいくことあるよ。


 竜はトゥトゥの指示を待つまでもなく、転回し、鋭い加速を開始した。

 空城そらじろ黒玻璃くろはり城がその背ですぐに小さくなる。

 空城のむこうに、遠い地表が灰色に沈んでいる。

 地平線にはすでに太陽が隠れつつある。


 相手は、やがて、見つかった。

 トゥトゥは速度をゆるめ、停止した。

 無事であったことにほっと息を吐き、それからしばらく、見つめた。


 濃い朱色の残照を背景に、セイランは、竜を上昇させ、また下降させていた。

 急に旋回し、ひねり、尾を上にして停止し、腹を空に向け、輪を描くようにふたたび急上昇する。けっしてうごきをとめない。一連の定型的な騎乗操作を、なんども、なんども繰り返していた。


 結んでいない黒髪がなびく。

 その横顔が、引き結んだ唇が、あきらめていない目が、美しいと感じた。


 相手が気がついた。

 トゥトゥのほうへ向かってくる。

 そうして彼女は、慌てた。

 セイランが白銀の竜の背に、立とうとしたからだ。

 が、やはり、うまくいかない。姿勢を崩してしがみつく。

 セイランは苦笑し、トゥトゥも笑った。

 

 セイランはふざけるように、急上昇した。

 トゥトゥも合わせる。

 触れる距離まで、近寄る。

 二頭の竜は、ひと組の夫婦は、絡み合うように空へ駆けあがった。


 やがてセイランがトゥトゥの腕をとった。

 自らの方に引き寄せる。

 トゥトゥが乗り移ると、自分の前に乗せた。

 ふたりで手綱を握る。

 紅い竜は離れ、自由に楽しげに飛翔している。

 

 「……ずっと、飛んでいたんですか?」


 トゥトゥが少し振り向いて訊くと、セイランは照れた表情を浮かべた。


 「竜に触れていたくてね。昼から遠乗りして、そのあと演舞の練習をしていた。このあたりの空は竜のちからが増すんだ」

 「あの子たちから聞きました。でも、心配しました。リッセンさんも探してましたよ」

 「すまん。そうか、予定もあったな。ま、いい。明日でも間に合うさ」

 「……朝のこと、気にされたんですか」


 朝というのは、セイランが、客の暴れた竜を制御できなかったことを指している。彼は、否定しなかった。

 

 「……君が、うらやましかったんだ。あの日から、そして今朝も。俺には竜の縁はない。だけど以前は竜の気持ちが少しはわかった気がするんだ。そして、それがわからなくなってから、竜を堕とす、と言われるようになった」

 「……」

 「もう一度、竜を感じたい。こころが知りたい。だけど俺は不器用だし、君のようなちからもない。だから、ずっと竜と一緒にいればなにか見えるんじゃないかと思ってね」

 「……ひとつ、よいことを教えて差し上げましょうか」

 「うん? なんだ、ぜひ頼む」

 「まえに、祝縁のちからがなくても竜の声は聴こえる、と申し上げました」

 「ああ」

 「まじないがあります。目を、じっとみるのです。そうすれば、自然と考えがわかります。伝わります」

 「そ……う、なのか」

 「いま……試して、みましょうか。わたしと、あなたで」


 トゥトゥは、自分がくちから出した言葉に驚いた。が、身体は思慮を超えて、その言葉に従った。

 腰をずらし、後ろに向く。

 じっと、セイランの目をみる。

 セイランはややためらい、横を向きかけ、また目線を戻す。

 夫の黒い瞳に、妻の翠のそれがしばらくのあいだ、映っていた。


 が、やがて、それも終わった。

 唇が重なると同時に、ふたりの瞼が閉じられたからだ。


 天頂はすでに深い蒼に染まりつつある。

 いくつかの星が、彼らを祝っている。

 

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